つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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こういう厄介な輩は断られると思ったのに、見世に着いてから梅岡に一連のことと、彼が鶴本の知り合いであることを話すと、すんなりと座敷に通されてしまった。

「あの小僧はこの辺の見世で遊んでおるが、存外にも悪い評判は聞いたためしがない。素性は何であれ金を払うってんなら客だ。鶴本の顔もあるでな、無下にはできん。"きかねえ"コトを言い出したら、俺が尻っぺたひっぱたいて追い出してやるよ」

「でもあいつはおねえさんと遊びに来たんじゃありません。私と話をしたいと言って……」

「なぜお前と?」

「……さあ。でもきっと、お金を払ってまで私をバカにしたいだけの酔狂人です。そこの道ばたでだしぬけに話しかけられて、私が嫌がるのを面白がってついてきたんですから」

「なんだ、生意気に客を取るようになりおったか。お前をただ冷やかすだけで座敷の金を払うと言うんだ、いい客じゃねえか。よくもてなしてやれ」

嫌いな客が来たときに、裏でそっとピリピリと眉間にしわを寄せるねえさんたちの気持ちがよくわかった。あんなものに股を開かなくて済むだけ自分は恵まれているのだろうが、見世に来た客を「自分でもてなす」のははじめてで、金を払う以上何をされるかわかったものではない。

「何かあったらすぐに部屋を出てこい。ねえや達とおんなじさ。変な客なら叩き出してやっから、これも勉強と思って、さあ」

かくして西 平八の座敷に上がった蓮太郎は、ようこそいらっしゃいました、などとは言わず、「何か召し上がりますか」と儀礼的に聞いた。

「刺し身とネギぬたをもらおうか。お前は何が食いたい?好きなものを頼んでいいぞ」

客から勧められたら決して断ってはならない。蓮太郎はあまり腹が空いていなかったが、とりあえず酒のつまみによさそうなものを頼んでおいた。

「飲めるかい?」

「一口なら」

「注いでやろう」

両手でさかずきを持って、清酒の充たされていくのを眺める。平八はこの若さで、いやに座敷の空気になじんでいた。田舎から来た者や、誰かに連れてこられた慣れていない若い者は、たいていもの珍しそうに、あるいは緊張して視線をあちこちへやるのに、この男はこういう場所にすっかり慣れているようだ。

「小僧のくせにいやに馴染んでいるな、と考えておるだろう」

どきりとなる。この男は霊視もできれば心中も読み取れるのだろうか。

「……俺の実家も昔から女郎小屋をやっててな。田舎の漁師町で、荒くれで利かん坊の客が多いところさ。そこでガキの頃は、お前のように見世の手伝いをしておった。もちろんこんな立派じゃないが、座敷のまねごとをしたようなところもあって、ときどきはガキながらに客の話し相手にもなったもんだ」

「そうでしたか。……あなたは海のほうの人なのですね」

「ああ、ろくでもねえ田舎だったよ。日に三度は小競り合いを見かけるし、町はいつも暗い雲に覆われて、魚臭くて貧しくて辛気くせえところさ。俺は故郷が嫌いでな。この町を全部海の底に沈めてくださいなんて、毎日近所の神社にお参りしたもんだ」

「お参り?」

そこでようやく蓮太郎が少し笑った。

「ふつうはいいことをお祈りするんだろうが、俺は本気だったぜ。だがな、当然そんなもん聞き入れられるはずもなく、今もまだ町は残ってる。俺はガキのうちにそこを逃げ出したから、どうあろうが知ったこっちゃないが」

「平八さんはもう故郷には帰らないのですか」

「ああ。うちは商売柄それほど貧しくはなかったが、兄弟が多くてよ。親としても胃袋がひとつでも減ってもらったほうが助かるわけだ。それに俺はみそっかすだからな。世話は兄貴や姉貴にしてもらって、忙しい親どもとはまともに会話をしたことがねえ。どこもそんな家ばかりだったけどな。貧しくて売られる娘も何人もいたから、うちの小屋も成り立ってたわけだ」

「…………」

こんなとき、他のねえさんなら何と返すのだろう。きっと上手になぐさめて、切り返して、気の利いた話題を吹っかけるのだろうか。だが蓮太郎はそのような言葉がとんと思いつかないので、こう返した。

「……港町の稲荷神社ならば、毎日その日にとれたお魚を供えるのがいいですよ。本来なら生き物の殺生は許されませんが、港の人は生きるために魚をとりますから、その土地のキツネもそれとおんなじことです」

すると平八はきょとんとしたが、徐々にその目を細めてフッと吹き出した。

「そうかい、じゃあいつまでたってもあすこが沈まなかったのは、俺が米粒しか持ってかなかったからだな」

「それよりも、町が沈んだらそのキツネの社も沈んでしまいますから、とても叶えられないです」

「ははは、なるほど、そうだった。俺はずいぶん浅はかなことを、ぬけぬけと神の御前で申しておったわけか」

「私たちはお願いを叶えることはあまりしません。こういうところを悪いものから守るくらいはしますけれど、お参りにきても、せいぜい憑き物をとってやったり、あるいは悪しき者に憑いたり……」

「そうかい。……それなら俺ぁいつかお前らに呪い殺されるのかな」

「あまり目にあまる悪さをすれば、どうなるかはわかりません」

「ではお前を知ってしまった以上、あんまり手の込んだ悪事をやれないわけだ。せめて博打のイカサマくらいは目をつぶってくれ」

「人から恨みを買うようなことはしないほうがいいですよ」

「お前に食い殺されないなら、いくら恨まれようが構わん」

「……あなたって、おかしな人ですね」

「そうか」

「悪い人なんだけど、こうしておとなしくしていればそれほど悪い気もしない」

そう言うと平八がおかしそうに笑い、またグイと酒を飲んだ。

「俺は牛のように暴れたことなど一度もない。田舎でいやというほどその醜さを見てきたからな」

「私も暴れる人はきらいです。心臓がすくんでしまう。その点ねえさんたちは、そんなのを見てもどこか落ち着いて見ている。感心します」

「女は肝の据わったのが多いからな。男は金玉のぶん、女より肝っ玉がちいせえのさ」

そう言うと、蓮太郎がとうとうおかしそうな笑顔を見せた。

「へんな人」

「そりゃあよかった」

「平八さん、あなたは故郷を捨ててきたけれど、ホントはとても寂しがり屋ですね」

「………よせやい、小僧」

「だから私についてきた。あなたは私に惹きつけられたんだ。たった今それがわかりました」

「何故お前に惹きつけられたと?」

「なんとなく、私と似ている気がします」

じっと目を見て、パッと逸らす。ニヤニヤと笑いながらついてきたあの馴れ馴れしさはどこへやら、なんとなく気恥ずかしそうな顔をしていた。

「それなら似た者同士、いずれまたこうして"お前の座敷"に上がるとしよう」

蓮太郎も、照れくさそうにうつむく。しかし「お待ちしてます」と小さな声で返した。
その日は用事があるとかで、平八は本当に酒を少し飲んだだけで見世を出て行った。だが約束通り彼は、その日から週に一度は必ず蓮太郎の顔を見に来たのだ。回を重ねるごとに顔つきが変わってきた蓮太郎を見て、梅岡は特に何も言わなかったが、若い二人の隣り合う背中をいつも微笑ましく思っていた。
……あれはまぎれもない初恋であった。だから何十年経とうとも、こないだのことのように思い起こす。決まり文句のようだが、初恋の気持ちは色褪せないのだ。
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