つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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「観光地とか人通りの多いところで、情死、心中ってのが、僕の若い頃の流行りだったけどねえ。いまはひとりっきりで、さびしいとこで死んじまう。そういうのの魂もさっさと回収しないと、あとあと……いろいろあると困るから。見っけるにも骨が折れるよ」

サノは休みなくあの世とこの世を行ったり来たりしているので、その疲れが顔色に浮き出ている。シロが出勤の準備をしながら見ていた夕方のニュースで、自殺する若者が増えていると報じており、それに対してサノがため息まじりに言った。

「消えちまうのはいいんだけどさ。思念ってのは唯一死んでも持ってけるモンだから」

「思念というのは土地の記憶というやつだ。草木や石ころ、果てはコンクリまでがそのことを覚えてて、まるで霊のように人目に映し出してる。持ってけやしない」

「そうだけど、思念にこんがらがった魂もある。ほっときゃだいたい消えるけどなんせ数が多いからね。とにもかくにも考える前に回収回収……。手が回りきらない。もっと獄属の数を増やしてほしいものだ」

「現世も死後も、どこも人手不足か。増えるは女給ばかりなり……」

「あんたもホストクラブにでも入ってみたらどうだい。酒にはめっぽう強いのだし」

サノがニヤリと笑う。

「やーだよ。俺は気の回らない男さ。一晩でクビに決まってら」

「でもシロちゃんはいい男じゃないか。もったいない」

「お前は俺がそんなとこで働いて、やきもきしないのかい?俺ぁ女も抱けるんだぜ」

「あんたが僕から離れられないのはよーくわかってるから、ヘイキさ」

「こいつ」

ソファーにもたれかかるサノの鼻をつねるようにつまんだ。

「ネクタイをやってくれ」

少し上を向いて襟を立て、いつものようにきれいに締めてもらう。

「はいよ」

「ありがと」

「仕事はどう?」

「いつもどおりだよ。ちっとばかり売り上げが落ちてるけどな。しょっぱい客が増えた」

「それでも大事にしてやりなよ。冷たくしたらそれっきりだし、お客というのは育ててやるものだ。昔はお客が店を育てたものだが、いまはそういう遊び方をしないだろうしね」

「いまどきのお姉ちゃんらにも、そこんとこの意識が薄い」

「それを教えてやんのが店長であるアンタのつとめだ」

「雇われ店長なんかに言われたって響かねえよ」

「へこたれずに言うの」

「サノちゃんが店長をやれよ。お前の方がよほど向いてる。かわいいくせに怒るとおっかないし、威厳があるしな」

そう言って頬を両手で包み込み、キスをした。

「じゃ、行くよ」

「うん」

「さびしいかい?」

「ううん」

「満面の笑顔で言うな」

「えへへ」

もう一度「行ってきます」のキスをして、シロはいつもより早く出かけて行った。ニュースでやっていた自殺という言葉が、なぜかどうにも頭にこびりついたままである。

電車に乗らず、通りでタクシーを拾った。職場の方向とはほぼ正反対に向かう。青梅街道を少し下ってから環八、甲州街道と入っていき、混んでいたので少し焦ったが、途中から流れてなんとか三十分ほどで目的地の付近に到着できた。

ー「ずいぶん人の多い町だ」

降り立った場所を見回し、目印のコンビニを見つけ、そこを右に曲がる。路地は入り組んでいそうだがそこには入らず、一方通行の道沿いにそのアパートはあるらしい。

「ああ、これだな」

通りの右側に、【ポピー・ハイツ】という表札を掲げた、廃墟の一歩手前のような二階建てアパートが現れた。その真下に立ち、チチチチ・・・と舌を鳴らす。すると五秒後に、二階の真ん中の部屋の窓から黒シャムが顔をのぞかせた。

「上がれ」

錆びてきしむ階段をのぼり、二〇三号室の薄っぺらいドアをそっと開ける。人に化したゲーテが待ち構えていたが、服がないので全裸だった。飼い主の置いていったタバコを勝手に吸っている。

「なんつう部屋だ。お前、もっと金持ちの家をあたれよ」

六畳一間、コンロひとつとトイレはついているが、恐るべきことに風呂はない。築年数は四十年、昭和にできたアパートだという。

「バーカ、半ノラの俺に部屋の具合など関係あるか。ここの坊ちゃんはネコ好きの苦学生でね。うまいカリカリと、そら見ろよ、あの立派な給水器。それからネコ用ソファー。貧乏のくせに身銭を切って揃えてくれたんだ。まあ俺はソファーなど使わないがね」

「はあ、だからって俺はこんなところで飼われたかねえな」

「イヌは広いところが好きだからな。俺にはこれくらいが仕合わせよ」

「どうやって見っけた?」

「まあいきさつを話すとな、あの日新宿まで社長に迎えに来てもらってから、その晩にとりあえず佐野と会ったんだ。で、あいつもこの辺りに別邸を構えておってな、よかったら住めと言われて家を見させてもらったんだが、ペット禁止のマンションだからいちいち化けなきゃならんそうで、出入りがちと面倒くさい。服の問題がわずらわしいだろう。で、まあ考えるよなんつってその場は切り上げて、社長んとこへ帰りしなに、この辺で一杯引っかけてたんだ」

「ははあ、そのときにとなりにいた、人のよさそうな客にこっそりついていったか」

「惜しい。奴はその店で給仕をしておった。金がないからアルバイトをいくつか持ってるそうでな、そのひとつがその見世だったんだ。他に客がなかったから話し相手がいなくて、そいつとしばらく話をしていた」

「なに?それじゃあお前さん、この人間の姿で飼い主と会ったのか?」

「そうさ。で、住まいを詳しく聞いてな。恥ずかしそうにごまかしてたが、聞いていくにどうやら俺の"理想"に近い環境だった。それでバイトがハネたら家を見せてくれと迫ったんだ」

「は?」

「当然断られたが、どうやら家が貧しくて恥ずかしいらしかったからな。そらもうグイグイ押したよ。酔って帰るのも面倒だから、ついでに寝させてくれとまで言った」

「バカかお前。それで?」

「根負けして、閉店してからここに連れてきてもらった。そしたらこのとおり、思い描いていたとおりの部屋じゃ。いい部屋だなあっつって、ホントに酔ってたのもあって、この敷きっぱなしのせんべい布団にゴロンと寝たんだ」

「……まて、それでお前、無事にその姿を保ててたんだろうな?」

「いんや、酔って寝ちまって、なおかつそいつに油断してたんだ。朝になったらシャムに戻ってた」

「かーっ、阿呆!そいつの前で化けたってのか?!」

「いや。朝起きたらそいつも俺のとなりで寝ててよ。で、そいつも目が覚めたらとなりにシャム猫がいることにたいそう驚いてた。だから奴が寝てるあいだに戻ってたはずさ。見られてはない」

「バレたらどうする。決してあってはならんことだぞ」

「生まれてから今まで何百年とバレたことなどないわ。今回はちと油断しちまったが、まあ毒気のない小僧だし、それで俺もすっかり気が抜けてた」

「……で、そのまんま?」

「ああ。まいごかなあ、首輪がないなあ、なんて言って困ってたが、俺がニャンと鳴いて腹を見せたら一撃よ。つまり俺は新宿を出たその晩に早くも新居に移れたというわけさ」

「バカタレ。一週間も行方不明になりやがって、結局これか。社長とクロなんか、車に轢かれて死んだんじゃねえかって役所にまで掛け合って、ほうぼうを探してたんだぞ。佐野まで青ざめてた。俺はそれも運命だから諦めろと言ってやったがな」

「いやすまん。消えたら消えたでほっといてくれるもんかと思ってた」

「ジジイがふらりと消えたらフツーは心配するもんだ」

シロも胸ポケットからタバコを取り出し、ようやく一息ついた。

「それより服着ろよ」

「ないよ。捨てられちゃったもの」

「奴はもぬけのからになった服を見て、何とも思わなかったのか?」

「さあ。だがまさか人間がネコに化けるとは思わないだろう」

「じゃあ次はまた服を持ってきてやるから、どっかに隠しとけ」

「助かるよ」

部屋の主は、バイトが終わって深夜にならないと帰らないというので、まさにゲーテには天の国とも呼べる環境であった。

「とりあえず絶対にバレねえようにだけ気をつけろよ。もう二度と酒なんか飲むな」

シロが灰皿にタバコを押し付けた。

「行くのかい?」

「仕事じゃ」

「おやそうか……働かなくてはメシが食えんからな。キツネに生まれたばっかりに、おいたわしや」

「俺ぁ死んだってネコをやるなんて御免だね」

捨てゼリフを吐き、腕時計を見ながら「またな」と言って出て行った。

「………あのバカ犬め、靴のまま上がりこんでおったのか」
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