つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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「……こりゃあここの従業員に聞かれたら、危険思想のカルト宗教だと思われかねないな。通報されても致し方ない」

ゲーテが冷やかすように笑いながら、となりでタバコを吹かしていた男に言った。
男は自分よりさらに上背があり、大昔の日本生まれの割には肩幅も背中も広い。パーティー会場に来るにはラフすぎる出で立ちでぼんやりと立っているその男は、ゲーテを一瞥するなり「ああ、あんたネコか」とつぶやいた。

「そうさ。社長とは付き合いが長いから特別待遇でな。キツネ共の隠密じゃ」

「化け猫など久しぶりに見かけた。どこの生まれだい?」

「俺ぁ日本橋で生まれ、隅田川の水を飲んで育った生粋の江戸っ子よ。住まいは転々としておるが、若いころは上野や浅草、吉原に長く暮らしとったな」

「はあん、さては女郎の飼い猫だな。あの頃のネコとキツネは、あの町でやたらに崇められていたからなぁ」

「俺は特にありがたがられてたよ。シャムだもの。あの当時の日本にゃちょっと見かけねえ垢抜けたナリをしていたからな、神の使いのように大事にされてたよ」

「じゃあ、おいらんに飼われてたのかい?」

「うちの見世にゃおいらんは居なかった。泥くさい田舎娘が多かったよ」

「へえ」

「ところでお前は?」

「俺?俺は…………まあ、東京さ」

「東京のどこ?」

「実は俺も下町の方だ。吉原も、少しは知ってる」

「なんだ、兄弟じゃねえか。すれ違っていたかもしれねえな」

「うむ……そうだな、すれ違っていたに違いない」

「あんた名は?俺はゲーテだ。いろんな名前があったが、今はこれに落ち着いてる」

「ずいぶん賢そうな名だな。俺は佐野だ」

「佐野か。東京のどこに社を構えてるんだい?」

「今はもう東京には居ねえんだ。詳しくは話せねえけど、ここにはクロに呼ばれて遊びに来ただけさ。美味い飯と酒を用意するから、暇なら来いと言われてな」

「はあ、クロの知り合いか。あいつも顔が広いのう」

「そりゃ社長の側近だからな」

「ううむ。……なるほどな」

ゲーテは何かを言いたげであったが、それを引っ込めるようにグラスを傾けた。
誰も気がつかないのであろうか。佐野は恐らく社長と同等の霊力を備えている。もしもいま黒シャムの姿に戻ったら、全身の毛が逆立っているのがバレてしまう。この男がとなりに立ったときから、毒ヘビが心臓に巻きついてくるかのような嫌悪感を感じていた。
彼ひとりで、この会場にいるすべてのキツネを一瞬にして滅し去ることができるはずだ。しかし聞いたことのない名であり、こんな顔も見かけたことがない。普段はいったいどこに身を潜めているのだろうか……
どうやらクロの友人で、悪意も敵意も見えないからいいが、こんな化け物がいまだに現世にいたのかと思わず冷や汗が出た。

「しかしキツネというもの、いつからこんな因果な商売をするようになったんだい。あんたらは神の使い、吉兆の印、商売繁盛、五穀豊穣のありがたい生き物だったじゃないか」

「何を言う、社長を見ろよ。商売繁盛の守り神として、まるでその"手本"のような男じゃないか」

「ありゃあただの金の亡者よ」

「はっはっは、だがインチキで儲けてるわけじゃない。ああ見えて地道に実直にやっておるぞ。不労で金を得るのは好かんと言って、老体に鞭打っていまだに"現場仕事"さ」

「年寄りの冷や水じゃ」

「まあそう言うな。だがな、何もキツネは人の幸せを願うばかりの都合のいいモノではない。それにいくら立派な神棚を作りつけられようと、あるいは賽銭箱に大金を投じられようと、それでご利益を請われたって、悪どい下心のある輩には手を貸さない。神の御心に背く行いは許されないからな。……シャム猫ゲーテよ、いまの人の世に、田を耕し五穀豊穣を願う者がどれほどいよう?それよりも神の御前でこすっからい愚行をはたらく者の方が圧倒的に多い。そうなると、これほど日本中に散らばっている我々の役割も変わってくる」

佐野が思いのほか熱く語るので、ゲーテはそれに圧されて「たしかにそうじゃの」とうなずくしかなかった。あまりヘタに刺激をしたくないのだ。思わず逆立ったしっぽが出てきてしまいそうになった。

「さておき、今も昔もお狐さまは立派なあやかしよ。モノホンの狐がどうかはわからぬが、ともかくあの毛触りと豊満さはめでたさもあるし心も惹かれる。一度シロ坊のしっぽにつつまれて眠ってみたことがあるが、ありゃあどんな高級なベッドよりも上等の"ふわふわ"さ」

「シロか。ありゃあキツネと言っているが、正確にはオオカミだ」

「なに、オオカミ?」

「日本じゃ野干と言えば白狐だが、キツネも元はオオカミの血筋だからな。探せばジャッカルやコヨーテ、普通のイヌなんかもおるだろう。種族はさまざまある」

「なんだ……知らなかった。どうりでカラダもでかいわけだと……」

言いかけてハッとした。

「……あんたも?」

「俺?」

「ああ。あんたもシロ坊と似ている。もしかすると……」

「いや、俺はキツネだよ。ただでかいだけさ」

「ホントだな?オオカミだったら、ちと怖い」

「キツネもオオカミも、あやかしならおんなじさ。化け猫だってイエネコだろうがヤマネコだろうがおんなじことだろ?」

「たわけ、大いに違うわ」

「さすがにライオンが化けたとは聞いたことないがな」

「さーて、わからんぞ」

ようやく少しずつゲーテの中の警戒心がほぐれてきた。そもそもクロが呼びつけたというのなら、危険なモノでもない。ただ、彼の中に潜む強大な圧力のような底知れぬ力に、少しひるんでいるだけだ。しかし、「ゲーテよ、お前ネコのくせに油断しやすいな」と突然言われて、思わずドキリとした。

「……そりゃあお前さんが、油断してはならぬ手合いだったということかな?」

「そんなんじゃない。ただ、俺はこうして気安く話してくれる化け猫に会ったことがない。ケンカをしたこともないが、深くなじんだこともない」

「そこがイヌ共との違いよ。どんなに飼い慣らされようとも、心のどこかで飼い主をバカだと思ってるような種族だ。いつも一線引いてるのさ」

「なるほどなあ。じゃあお前さんは特異なネコだな。人間じみてる。ふだんは何を?」

「ふだん?そりゃあネコをやっとるわ。黒シャムのゲーテ。新宿が根城さ」

「新宿?ずいぶんさわがしいところに暮らしているな」

「いやあ、生活はそれなりに快適だぜ。三食昼寝付き、暑さ寒さのない場所で一日中ぐーたらしとるわ。だがそれも労働のうちよ。俺がきまぐれにヒザに乗ってやったり、腹を出してごろんとやるだけでヒトがよろこぶ。蝶よ花よを地でいく男さ。だがいかんせん不自由でならん」

「なんだそりゃ。富豪の飼い猫か?」

「違わい。まあ俺も社長のことをあまり悪く言えん。因果な商売をしとるのさ」

「なるほど……ネコも愛嬌を切り売りしなけりゃならん時代か。どこもいろいろあるんだな」

佐野がやけにまじめな顔で返し、ゲーテは心中で笑った。しかし佐野はまじめな顔をしたまま、思わぬことを続けた。

「なあゲーテ、俺と友達になってくれ」

「は?何じゃ、いきなり」

ゲーテが眉根を寄せる。

「ネコとキツネの友達というのもおもしろい。聞いたことないだろ?それに俺はもともとネコが好きなんだ。化け猫でない、ふつうのイエネコだけどな。だがお前のことも気に入った。連絡先を教えてくれ。ときどき会おうじゃないか」

「ああ……まあ、おもしろいかね?……俺とお前が、友達ねえ……」

「いやかい?」

「嫌じゃねえけど、俺はあいにく連絡手段を持ってねえ。悪いがしばらくはクロを介しちゃくれねえか?」

「クロ?ああ、別にいい。そんなに不自由なのか?」

「まあいろいろとな。だが近々、居を移そうと思案中だ」

「それがよかろう」




報告会を終え、クロとシロと社長はまた他のキツネたちとの話し相手に追われたが、会場の貸し切りの刻限がやってきて、四半期に一度のパーティーはなんとか滞りなく終わった。クロとシロは肩からドッと荷がおりるのを感じるが、こんなのが一年に四度も訪れるのだ。社長は他の二次会組のキツネたちと連れ立って、意気揚々と銀座へ流れていった。彼はどこにその余力がしまわれているのか、どんなに年を取ってもいまだに無限に遊んでいられる。

わらわらと帰路につくキツネたちにタクシー券を渡し、すべて見届ける頃にはすでに十二時を回っていた。ホッとして気が抜け、思いっきり伸びてあくびをする。しかし最後に出てきたゲーテと佐野の『コンビ』に、クロとシロは目をぱちくりさせた。

「悪巧みなどしとらんから安心せい」と笑い、ゲーテがポンと姿を消した。すると崩れ落ちた服の下から黒シャムがひょっこりと顔を出し、「クロや、三日以内に新しい飼い主を探すから、俺の見世に俺を引き取りたいと掛け合ってくれ」と言った。
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