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「やあ、君がサラさん?遠いところをわざわざありがとう」

船を降りると、サラは渦川笑一をすぐに発見することができた。船からの客を出迎える群衆の中、彼はただひとり真っ白なウエスタンハットをかぶっていたからだ。帽子同様に赤色もこの一族に好まれているのか、裾をまくりあげた真っ赤なシャツは彼の褐色の肌によく馴染んでいた。

「はじめまして。これからお世話になります。切符もありがとうございました」

久しぶりにきちんとした挨拶をしているな、と思いつつ腰を折る。すると手を差し出されたので、握手をした。

「高速船、けっこうあっという間だったでしょ?普通の船で来ると半日かかるんだ」

「そうみたいですね。こんなに早く着くなんて知りませんでした。あと、あの、ハルヒコなんですけど……」

「うん?」

「彼、さっき鳥をつかまえようとして船から海に飛び込んじゃって……まだ上がってきてないみたいです」

「飛び込んだ?何やってんだアイツ。まあそのうち上がって来るだろ。それよりお腹へってないかい?ちょっと登ったとこにうちの定食屋があるから、そこで昼飯にしよう。魚介は平気かい?」

「は、はい……」

「魚は全部うちの漁船で今朝獲ってきたばかりだ。美味い海鮮丼を出すよ」

藻屑となったハルヒコのことなど気にも留めぬ様子で、笑一はサラが持っていた彼の荷物とハルヒコのスケボーをさっさと自分の肩にかつぎ、「海の見えるテラス席を取っといたから」と笑った。名前に劣らぬいい笑顔であった。

彼は日に焼けた肌と彫りの深い顔立ちで、いかにも温暖な島の人間らしいくっきりとした目鼻立ちをしている。男らしい精力がみなぎっており、快活ではつらつとし、海の男というよりは西部劇の頼れるカウボーイといった雰囲気であった。血縁というわりに、大柄なこと以外でハルヒコと彼はまったく似ていない。

「見てくれ、こないだ買ったやつ。都内のアメ車専門の中古屋におじさんの知り合いがいてねえ、最近届いたばっかなんだ。シボレーS10。安物だがかっこいいだろ?」

笑一は新しいおもちゃを見せびらかす子供のように、初対面のサラにさっそく自慢の車を紹介した。

「はい。映画でよく見ます、こういう……トラック?」

「そうだろう、向こうじゃ農作業の親父とかがよく乗ってるのかもな。けどコレ2人乗りだから、ハルがいてもアイツだけ荷台だったな、よく考えたら」

海に面した駐車場。縁石の向こうはすぐ堤防につながっており、柵などはない。アクセルとブレーキを踏み間違えればすぐに車ごと海に突っ込んでいくだろう。

「ん…?」

車に乗り込もうとしたサラが、ふと海を見て目をこらす。

「おじさん……あれ……」

「んん?」

死体に群がるハゲタカのような海鳥の群れ。彼らは懸命に何かを攻撃しているようだが、どうやら魚ではない。

「おお、ハルだ!ギリギリ間に合ったなあ。おーーい、ここだぞーー!」

笑一が帽子をつかむと高らかと上げ、大きく振った。海鳥につつかれながらこちらへまっすぐ泳いでくるのは、海藻まみれの溺死体のようになったハルヒコであった。「笑ちゃん、あれハルくんかい?」と近くにいた年寄りたちがその様子を笑いながら眺め、「竹芝からアイツだけ泳いで渡ってきたんだろ」と笑一が呆れたように言った。


ー「ああ、死ぬかと思った」

岸に上がるとガックリと膝をつき、海藻を頭に巻きつけたままゼェゼェと息を荒げる。

「ハル、俺こないだ言ってたブレイザーで来ちまったから、悪いけどお前荷台に乗ってくれないか?」

「ああ?着くなり何なんだこの野郎。俺が運転するからジジイが荷台にしがみついてろ。カーブで振り落としてやるからよ」

「やだよおそんなダイハードみたいなこと」

「ああ疲れた……おいサラ、水あるか」

「水?いっぱい飲んだでしょ?」

「海水を飲み込んで喉が渇いたっつってんだ!!」

「それよりスクリューに巻き込まれなくてよかったね。部品がダメになったら弁償のお金すごいらしいよ」

「くそ、どいつもこいつもカケラも俺のことを心配してやがらねえな」

サラがバッグの中からペットボトルを取り出し手渡すと、ハルヒコはそれをひと息に飲み干し、「ん」と空になったそれをサラに戻した。笑一はその様子を、なぜか微笑ましそうに眺めている。

ー「さー出るぞお、耐えろよマクレーン!」

笑一が後方に声をかけ、排気ガスをたっぷり撒き散らして豪快に発車させる。ハルヒコはずぶ濡れになったTシャツと短パンをしぼって乾かすように広げると、トランクス一丁で家畜のように運ばれていった。

「サラさん、アイツあんなどうしようもない男だけど、よく仲良くしてくれるね」

車内で笑一に言われ、サラは何と返すべきか少し戸惑ったが、「彼、とても優しいので」と無難に答えておいた。

「優しい?へー、サラさんの前では優しいところなんて見せるのかあ。あいつも隅に置けないなあ」

車は山道をどんどん登っていき、カーブのたびに落下しまいと荷台にしがみつくハルヒコがミラー越しに見えた。

「ふたりで遊ぶときとか、アイツ、ちゃんとしたとこに連れてってる?」

「遊ぶとき?……あんまり遊ぶってことは……」

「え、ないの?じゃあ休みのときとか、いつもどうしてるの?」

「部屋にいますよ」

「部屋?……サラさんの部屋にかい?」

(僕の部屋というか……)と言いかけたが、ただ「はい」とだけ返すと、笑一はなぜか気まずそうな色を浮かべ、「ず……ずっといるの?」と聞きづらそうに尋ねた。

「お休みの日なんて寝てばっかりですから」

「寝てばっかり……」

「それか、たまに駅前のゲーセンとか河原で釣りをしたりとか、あと学校の隣町のバッティングセンターとか映画館とか、安くなる時間帯にボーリングには行きますけど」

「何だぁアイツ。休みの日はふたりでどっか出かけられるようにって小遣いも多めに振り込んでやってんのに、そんなつまらんとこばっかりか、けしからん。あとでもっと良いとこに連れてけって言っといてあげる」

「でも、けっこう楽しいですよ」

「ええ~、もっとなんか、いまどきの子たちが何すんのか知らないけど、たまには遊園地とか水族館とかお台場とか、パーっとしたとこの方がいいだろう」

「うーん……あんまりそういうところは……」

「じゃあ渋谷とか原宿で美味しいものでも食べて、バッグとか服とか、なんでも好きなモン買ってもらいなよ」

「おじさんのお金でそんなことできませんよ」

「なーに遠慮しなくていいんだよ。おじさんはそういうことにケチケチしたくないんだ」

"そういうこと"という言葉に引っかかるが、島の事業を統括する会社経営者とはいえ、甥の友達相手にまでずいぶん世話焼きで寛容な男だと思った。

「アイツは昔っからまともに人付き合いが出来ないからさ、つまらない男だと思うけど、これからも仲良くしてやってね」

「もちろん……でもふたりして人付き合いは苦手だから、けっこう似てるんです」

「似てる?ははは、ハルなんかと仲良くしてくれるんだから、サラさんは奴よりずーっと出来た人だと思うよ」

「そんなこと……」

謙遜でなく、本当に気恥ずかしくなってうつむいた。笑一は初対面の自分をいやに気に入っているような気がするが、ハルヒコが友人を伴れてきたということが彼にはそれほどに嬉しいことなのだろうか。


山を登りはじめて10分ほどで車は一本道から右の側道に入ると、少しさびれているがそれなりに趣きのある古民家のような建物にたどり着いた。分厚い板の看板が出ており、【うずかわ食堂】と彫られている。駐車する前に、トランクス姿のままのハルヒコが先に荷台から飛び降りた。

「サラさん、荷物とか必要なのだけ持って店に行ってて。おじさん今からちょっと事務所に寄らなきゃならないから、あとで迎えに来るよ」

「はい。ありがとうございます」

「なんでも好きなモン注文してくれな」

「はい。そうだ、ハルヒコの服出さなきゃ……」

「悪いね、世話の焼ける奴で」

「いえ」

シボレーを見送り、サラも荷物を抱えて店に入った。昼どきとあり順番待ちの客も数組あったが、えんじ色の前掛けをした係りの者に「ぼっちゃんのお友達ですね、ようこそ」と三つ指をついて出迎えられ、テラス席に案内された。
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