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「おかえり」
改札を出ると、サラが立っていた。冷房の効いた電車内では服が乾かず、結局駅に降り立つまでハルヒコはずぶ濡れのままであった。当然ハルヒコの周りに立つ乗客は無く、床の吐瀉物を避けるかのように妙な空間をあけられながら吊り革につかまっていた。
「なぜここに?」
「池田くんから連絡きて……タオル持ってきた。あの子もたぶん、もう少しで帰ってくると思うけど」
「ここまで来ちまえばもうどうでもいい」
「風邪ひくよ」
「そんなひ弱な身体じゃない」
「天音に会いに行ったんだね」
「……」
「……誰と会ってたかわかった?」
「お前は知ってたのか?」
やや置いて、サラは「うん」と返した。
「三国の人生を壊すなと言って、奴に泣かれた」
「君は信用されてないもんね」
「俺を悪意のかたまりだと思ってやがる」
「日頃の行いのせいだよ」
「……なあ、サラ」
改札の前で、人目も気にせずハルヒコはサラを抱きしめた。そのせいでサラの服もじわじわと湿っていく。
「……ふたりの何を見たの?」
「……」
「帰ろう」
しかしハルヒコはサラを離さず、やがてそのままずりずりと膝から崩れ落ちていき、サラの腰を抱いて腹に顔を押し当て、じっと動かなくなってしまった。通りすがる乗客は眉をひそめ、駅員がこちらをチラチラと見ている。
「……ねえハルヒコ」
サラの手が耳に触れる。
「君のこと縛るの、もうやめる」
顔をうずめたまま、ハルヒコの肩がぴくりと動く。
「どうしてかわからないけど、君は天音を好きなんだもん」
腰に回す腕に力が込められる。
「薄々わかってたけど、こんなふうに打ちひしがれてるの見せられたら、もう無理だってハッキリわかるよ。どんなに時間をかけたって、君は僕のことなんか好きになってくれない。それどころか、縛れば縛るほど、天音の方に気持ちが向かっていく。……人間ってそういうふうにできてるしね。だからもう終わり」
「サラ」
「僕はね、足りないものを補い合うとか、正反対だからこそ惹かれ合うとか、そういう言葉で表される関係が死ぬほど嫌いなんだ。でもそれよりずっと嫌なのが、似た者同士の関係だ。……同じものが欠けてるから好きになるけど、そんなのはまやかしに過ぎないって、本当はハナからわかってる。……友達にはなれるかもしれないけど、友達以上の触れ合いを求めたらいけないんだ」
「サラ……」
「僕、ほんとはキスもセックスも知ってるよ」
ハルヒコがそっと顔をあげる。
「でも安心しなよ、君と同じ童貞なのはホントだ。君が何をどこまで知ってるのかわからないけど、僕は珠希や天音とおんなじ。女の人みたいに……女の人みたいに」
サラもゆっくりとしゃがみ込み、いつもどこか遠くを見ているようなうつろな瞳で、ハルヒコの目をじっと見つめた。
「でも、ふたりみたいに、好きな人とじゃない。……世界でいちばん嫌いな奴の人形だ」
ほほえんでいるが、左目から涙がひとすじこぼれ落ちていく。
「お兄ちゃんは、僕のことをおもちゃとしか思ってない。だから家を出たんだ。天音には言えない。確かにお父さんもお母さんも嫌いだけど、あのふたりなら別にまだ我慢はできた。でもお兄ちゃんと暮らすのはもう無理だから……」
ハルヒコは言葉を失ったように、ただ呆然とその涙を見つめる。
「僕たちはおんなじように、家族とか恋人に恵まれた幸せな人を、心のどこかでずっと憎んでる。そんなふたりが一緒にいたって、僕たちが欲するものはぜったいに手に入らない。それどころか少しずつ欲しいものから遠ざかっていく。君は手グセのように僕を抱きしめるけど、それはただの依存だ。抱きしめられる僕も依存してるだけ。だからもう終わり。君がどんな変人だろうと、やっぱり普通の幸せを望んでる。……だからもう終わり」
ベッドも今日から別々だと言い、ハルヒコの肩にタオルをかけてやると、サラが立ち上がって一足先に駅から去っていった。するとその直後にホームに滑り込んできた電車から池田が降りてきて、改札前でうずくまるハルヒコに驚きつつ、手を差し伸べて立ち上がらせた。
「これ、先輩が返しといてって」
帽子はハルヒコの頭に戻ってきて、池田は寮とは反対の場所に住んでいるため、ふたりは駅の階段を降りたところで別れた。それでもまだ太陽は燦々と降り注ぎ、ようやく長い1日の半分を過ぎただけであった。
ハルヒコはまっすぐ寮には帰らず、しばらく河原のあたりをふらふらとさまよった。野球でもしたい気分だが、こんな日に限って、いつも鬱陶しくまとわりついてくる野球少年たちの姿はない。せっかくサラがタオルを持ってきてくれたが、キツく照り返す陽射しのおかげで、歩くうちに服はすっかり乾いてしまった。
人生でいちばん最悪な日だ、という天音の言葉がこだまする。その声を振り払いたいのか、ほとんど衝動的に土手を降りていくと、せっかく服が乾いたのにバシャバシャと川に入っていった。流れはゆるやかだが、腰のあたりまで浸かると少しぐらついた。ずっと遠くの釣り人に「お兄ちゃん危ないよ」と声をかけられたが、構わず胸のあたりまで浸かると、そのままザブンと潜って向こう岸までひと息に泳いだ。濁流にのみ込まれ、このまま海にでも流されていきたい気分だった。
改札を出ると、サラが立っていた。冷房の効いた電車内では服が乾かず、結局駅に降り立つまでハルヒコはずぶ濡れのままであった。当然ハルヒコの周りに立つ乗客は無く、床の吐瀉物を避けるかのように妙な空間をあけられながら吊り革につかまっていた。
「なぜここに?」
「池田くんから連絡きて……タオル持ってきた。あの子もたぶん、もう少しで帰ってくると思うけど」
「ここまで来ちまえばもうどうでもいい」
「風邪ひくよ」
「そんなひ弱な身体じゃない」
「天音に会いに行ったんだね」
「……」
「……誰と会ってたかわかった?」
「お前は知ってたのか?」
やや置いて、サラは「うん」と返した。
「三国の人生を壊すなと言って、奴に泣かれた」
「君は信用されてないもんね」
「俺を悪意のかたまりだと思ってやがる」
「日頃の行いのせいだよ」
「……なあ、サラ」
改札の前で、人目も気にせずハルヒコはサラを抱きしめた。そのせいでサラの服もじわじわと湿っていく。
「……ふたりの何を見たの?」
「……」
「帰ろう」
しかしハルヒコはサラを離さず、やがてそのままずりずりと膝から崩れ落ちていき、サラの腰を抱いて腹に顔を押し当て、じっと動かなくなってしまった。通りすがる乗客は眉をひそめ、駅員がこちらをチラチラと見ている。
「……ねえハルヒコ」
サラの手が耳に触れる。
「君のこと縛るの、もうやめる」
顔をうずめたまま、ハルヒコの肩がぴくりと動く。
「どうしてかわからないけど、君は天音を好きなんだもん」
腰に回す腕に力が込められる。
「薄々わかってたけど、こんなふうに打ちひしがれてるの見せられたら、もう無理だってハッキリわかるよ。どんなに時間をかけたって、君は僕のことなんか好きになってくれない。それどころか、縛れば縛るほど、天音の方に気持ちが向かっていく。……人間ってそういうふうにできてるしね。だからもう終わり」
「サラ」
「僕はね、足りないものを補い合うとか、正反対だからこそ惹かれ合うとか、そういう言葉で表される関係が死ぬほど嫌いなんだ。でもそれよりずっと嫌なのが、似た者同士の関係だ。……同じものが欠けてるから好きになるけど、そんなのはまやかしに過ぎないって、本当はハナからわかってる。……友達にはなれるかもしれないけど、友達以上の触れ合いを求めたらいけないんだ」
「サラ……」
「僕、ほんとはキスもセックスも知ってるよ」
ハルヒコがそっと顔をあげる。
「でも安心しなよ、君と同じ童貞なのはホントだ。君が何をどこまで知ってるのかわからないけど、僕は珠希や天音とおんなじ。女の人みたいに……女の人みたいに」
サラもゆっくりとしゃがみ込み、いつもどこか遠くを見ているようなうつろな瞳で、ハルヒコの目をじっと見つめた。
「でも、ふたりみたいに、好きな人とじゃない。……世界でいちばん嫌いな奴の人形だ」
ほほえんでいるが、左目から涙がひとすじこぼれ落ちていく。
「お兄ちゃんは、僕のことをおもちゃとしか思ってない。だから家を出たんだ。天音には言えない。確かにお父さんもお母さんも嫌いだけど、あのふたりなら別にまだ我慢はできた。でもお兄ちゃんと暮らすのはもう無理だから……」
ハルヒコは言葉を失ったように、ただ呆然とその涙を見つめる。
「僕たちはおんなじように、家族とか恋人に恵まれた幸せな人を、心のどこかでずっと憎んでる。そんなふたりが一緒にいたって、僕たちが欲するものはぜったいに手に入らない。それどころか少しずつ欲しいものから遠ざかっていく。君は手グセのように僕を抱きしめるけど、それはただの依存だ。抱きしめられる僕も依存してるだけ。だからもう終わり。君がどんな変人だろうと、やっぱり普通の幸せを望んでる。……だからもう終わり」
ベッドも今日から別々だと言い、ハルヒコの肩にタオルをかけてやると、サラが立ち上がって一足先に駅から去っていった。するとその直後にホームに滑り込んできた電車から池田が降りてきて、改札前でうずくまるハルヒコに驚きつつ、手を差し伸べて立ち上がらせた。
「これ、先輩が返しといてって」
帽子はハルヒコの頭に戻ってきて、池田は寮とは反対の場所に住んでいるため、ふたりは駅の階段を降りたところで別れた。それでもまだ太陽は燦々と降り注ぎ、ようやく長い1日の半分を過ぎただけであった。
ハルヒコはまっすぐ寮には帰らず、しばらく河原のあたりをふらふらとさまよった。野球でもしたい気分だが、こんな日に限って、いつも鬱陶しくまとわりついてくる野球少年たちの姿はない。せっかくサラがタオルを持ってきてくれたが、キツく照り返す陽射しのおかげで、歩くうちに服はすっかり乾いてしまった。
人生でいちばん最悪な日だ、という天音の言葉がこだまする。その声を振り払いたいのか、ほとんど衝動的に土手を降りていくと、せっかく服が乾いたのにバシャバシャと川に入っていった。流れはゆるやかだが、腰のあたりまで浸かると少しぐらついた。ずっと遠くの釣り人に「お兄ちゃん危ないよ」と声をかけられたが、構わず胸のあたりまで浸かると、そのままザブンと潜って向こう岸までひと息に泳いだ。濁流にのみ込まれ、このまま海にでも流されていきたい気分だった。
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