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教室移動の際に天音と鉢合わせると、通りすがりにニヤリと笑いながら「なんだ、指ちゃんと残ってるじゃないか」と言われた。ハルヒコは姿を見るなりバツの悪い顔をしていたが、その言葉に眉をピクリとさせ立ち止まった。

「何をぉう?……貴様、今度こそ本気のジャーマン喰らわせてやるぞ、今ここでだ」

「やれるもんならやってみろ」

「言ったな」

迷いのない素早いステップでハルヒコが天音の背後にまわり、そのまま抱き上げようと腰に両腕を回す。だが天音は渾身の力で身体をひねるとアゴの辺りにエルボーを喰らわせ、ハルヒコがひるんだ隙に腕を振り払い、反撃される前にその腕をつかんで床に押し倒すようにして揃って倒れこんだ。

そのまま上に乗っかり胸ぐらをつかんで抑えつけ、「よっしゃー、バカに勝った!」と嬉々とした顔で叫ぶが、「……お前もバカだよ」とその様子を見ていた日吉が冷たく言い放ち、となりの山下が無言でコクコクとうなずいた。

しかし馬乗りで油断していたら、真下からペッと唾を吐きかけられ、天音の右頬にぺちゃりと付着した。

「お前……」

みるみるうちに険しくなるその顔に、傍観していたふたりはただならぬ雰囲気を察し、日吉が「おい、やめとけ」と仲裁に入った。

天音の敵意に満ちた顔を、彼らは初めて目にしたのだ。だが天音も我に返ったのかそれにおとなしく従うと、シャツの襟からパッと手を離しハルヒコの上から退いた。そして「君なんかにホットケーキなんて作ってやるもんか」と言い残し、ハンカチで頬を拭いながらスタスタと立ち去ってしまった。

日吉は「なんのこっちゃ」と呆れ、山下は「アイツいつもちゃんとハンカチ持ってんな」と的外れなことをつぶやいた。

ー「こら、廊下の真ん中で寝るな」

倒れたまま天音の背中を見つめていたハルヒコの後ろから、これから授業を行う副担任の三国がやって来て、丸めた世界地図でポコンと頭をはたいた。

「渦川?」

「……」

「おい、どうした?」

「……何でもない」

ノロノロと起き上がりそのまま去ろうとすると、三国が呼び止める。

「なあ、お前放課後ヒマなら水泳部入らないか?こないだの50mのタイムすごく良かったんだってな、中川先生から聞いたよ」

三国は幼少期からずっと水泳をやっていたので、この学校に来てからはもうひとりの教師とともに水泳部の顧問を務めている。

「わざわざ市営プールなんか行かなくても、夏休みは学校で泳ぎ放題だぞ。もっと練習して今より伸びれば、かなりいい成績残せると思う」

「くだらん、断る」

「つれないこと言うなよ。試しに来てみるだけでも!……な?」

「気が向いたらな」

耳の穴に小指を突っ込みそっけなく答えると、ハルヒコはその場からさっさと立ち去っていき、三国は「頼むぞ~!」と世界地図を振ってその背を見送った。









ー「やですよ、別に水泳好きじゃないし」

放課後、他の部員たちと共に美術室へ向かう天音に、三国がまたしても水泳部への勧誘のために声をかける。

「でも美術部は夏休みなんて特に活動しないだろ?お願いだよ、夏だけでもいいからさあ」

「水泳なんて夏しかやらないでしょ。」

「そんなこたない」

「何度も言いましたけど、僕は運動部が好きじゃないんです。なぜなら練習が嫌いだから」

「練習はけっこう自由にやってるぞ。野球とかバスケみたいに厳しくしごいたりしないし」

「それでも嫌です」

「もったいないよなあ、渦川もお前も宝の持ち腐れだ」

「あんなバカと一緒にしないでください」

「はーあ、じゃあ他に誰か水泳やりたい奴いたら教えてくれ。今年はぜんぜん1年入ってこなくて、勧誘してるけどまったく増える気配が無いんだ」

「この学校、水泳で入ってくる人いないからじゃないですか。もっと強豪チームにならないと」

「そのために部員がだなあ」

「少数精鋭。……じゃ」

「あっ、……何だよ、つれない奴らだ。水泳楽しいのになあ」

しょんぼりとなり職員室へ戻っていく姿を横目に、連れ立って歩く友人が「三国先生、女子校だったら部員なんて集め放題だろうになぁ」と言った。

「何で?」

「何でって、普通にモテそうじゃん。アスリート体型だし、割りとイケメンの部類だし、若いし」

するともう一方の友人が、「でも女子校って若い男の先生なら、よっぽどキモいとかじゃなければ、ほぼ無条件にモテるらしいよ」と言う。

「姉ちゃんが言ってた」

「姉ちゃん女子校?」

「うん、女子校出身。でも俺らだって若い女の先生来たらさ、たとえ顔は多少アレでも……」

「ああ……何かわかる。まあ絶対来ないけどな」

「何で雇わないのかね?」

「そりゃ問題が起きやすくなるからだろ」

「問題……」

「禁断の関係だよ」

「いい響きだなあ、禁断の関係」

「じゃあ何で女子校には若い男の先生が来るの?」

「さあ。でも飢えた男の群れに女が来るよりは安全だからじゃない?かと言って女がいっぱいいるところで働くのも、それはそれで怖そうだけど」

「お姉ちゃん怖い?」

「怖いっつーか、クソつまらんことですぐ怒るし、怒るとめんどい。あと生理を盾にしてイライラを押し付けてくるからな」

生理という、自分の日常ではまったく聞きなれない言葉が男の口から発せられることに、天音は少しだけ気恥ずかしくなる。

「妹もいるけどさ、ふたりとも性格似てんだよな。あんなのが何百人もいるって考えると……」

「なんか、強くなれそうだな」

「でもナメられたら終了だろ」

「女って2人以上になると男のことナメてくるよな」

「ほんとそれ」

それからしばらく、ふたりの女にまつわる会話は続けられた。地元の友人と母親以外で、女の実態をあまり知らない天音はそういうもんかと聞き流すが、何であれハルヒコのような奇人にまさるものは無い。

それにしても、なぜホットケーキなのだろう?作ろうと思えばカンタンに作れるが、面倒なだけであろうか?趣味というほどでは無いが、菓子作りが好きな自分には苦ではない。寮では作りすぎてもあっという間になくなるので、腕をふるうには絶好の場である。

(でも謝らなきゃ絶対作ってやらない)

カリカリとした気分で、製作途中の絵に取りかかる。だが描いているうちに、やがて心はおだやかさを取り戻す。やはり自分に適しているのは美術部だと天音は改めて実感した。
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