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しおりを挟むー「おはよう」
「おう天音、早いな」
日曜日。朝から練習のある大吾郎と、玄関で鉢合わせた。
「どっか行くのか?」
「うん、地元の友達んとこ」
「そっか」
「練習がんばってね。じゃ」
大吾郎が片手を上げ、先に玄関を出て行ったその背中を見送る。すると背後から「よう」と声をかけられ、振り返ると寝巻きの白いTシャツと短パン姿にサングラスをかけたハルヒコが立っていた。
「おう、おはよ」
「バスケか」
「うん。……サラは起きてる?」
「奴が休日のこの時間に起きているわけがなかろう」
「そっか」
「……」
「……」
その姿のままサンダルを履き、彼も「頑張れよ。じゃあな」と言って外に出て行く。
「出かけるの?」
「散歩だ」
「散歩…?」
いつもの帽子もかぶらず、スケボーも持たずに、ペタペタと門の向こうに去っていった。
住宅街を抜け交差点を渡り、商店街に入っていく。これを突っ切れば駅がある。商店街とは言えそれほど長いものでもなく、寮から駅まではのんびり歩いても10分とかからない。交差点を渡らず右に折れると、いつも買い物をする大型スーパーがある。一定の距離を開け、ハルヒコは天音の後を追っていた。9時前とありまだ商店街を歩く人はまばらで、あまり距離を詰めすぎると気づかれる恐れがある。駅についたら、ホームのいちばん端っこで同じ電車を待ち、天音とともに乗り込むつもりだ。
駅に着き、天音が階段をのぼりきったところですぐにハルヒコも登っていった。行き先はわからない。ペタペタと階段をのぼりきると、右手の改札を通過するためにICカードをポケットから取り出した。
ー「おっす」
「うおっ」
天音は改札を通らず、陰に身を潜めてハルヒコのことを待ち構えていた。
「君もお出かけ?」
「お、おう」
「サラにどこ行くかちゃんと言ってきたの?」
「……いや」
「なんで言わないの?」
「爆睡中だし、そもそもわざわざどこに行くのか報告する義務はない」
「いいや、ある。君たちはいっしょに暮らす恋人同士だ」
「……いつから俺に気づいてた?」
「君が昨日、僕に今日の予定を聞いてきたときから」
「むうぅ……」
「ストーカーって楽しい?」
「よさんか人聞きの悪い」
「これをストーカーと呼ばずして何と呼ぶんだ?僕は島にいる君のおじさんの連絡先も抑えてるんだからな。番号は携帯に入ってる。あんまり変なことしてくるなら本気でチクるぞ」
「……」
「ついてきたら速攻おじさんに電話してやるから」
「なあ、お前いつもコソコソどこに行って誰と会ってる?」
「君に関係ないだろ」
「気になるんだ。豪雨でも無理やり会いに行くような相手って、いったい何だ?」
「何でそんなこと君が気にするんだ。もう行くよ、電車来ちゃう」
「今日は何時に帰る?」
「さあ」
「……」
するとハルヒコはもうそれ以上は追求せず、ポケットに手を突っ込みながらのぼってきた階段をペタペタと降りていった。だが柄にもなく「暗くなるんなら気をつけろよ」とだけ小さな声で言い残していった。天音は少し拍子抜けして、「……ホント変な奴」と吐き捨てた。
ハルヒコが部屋に戻ると、ベッドに横たわるサラが「どこに行ってたの?」と、壁を向いたまま眠そうな声で尋ねてきた。
「メシを買ってきただけだ」
「ふうん」
「今日から冷やし中華を始めたんだ。作ってやるから、そろそろ起きろよ」
「今はいい」
「じゃあいい天気だし、また庭で焼くぞ」
「いい」
「なあサラ、千葉大吾郎はお前に執心だ」
「そう」
「……お前、どうしてときどきそんなふうに沈むんだ?ゆうべは元気にパイルドライバーの練習をしていたじゃないか」
「沈まない日がない人なんていないよ」
「お前はあまりにも情緒が定まってない。泣き喚かない赤ん坊のようなモンだ」
「静かにしてるんだから別にいいでしょ」
「なあ、家族が原因だとは聞いてるが、お前はもう離れて暮らしてるんだ。なのにいつまでも取り憑かれてるつもりか?」
「記憶は離れてくれない」
「記憶?」
「君とおんなじ」
「……俺?」
「ふとしたときにイヤな記憶がよぎるでしょ。君なら駅前の首なし地蔵。僕にも同じ地雷がある。だいたいの人とおんなじようにね」
「じゃあお前の地雷は何だ?」
「ひみつ」
「……サラ」
ベッドに乗り込み、向こうを向くサラの背中をそっと抱く。
「こっち向けよ」
しばらくすると彼はもぞもぞと寝返りをうち、ふたりは間近で見つめあった。
「見てろ」
ハルヒコが軽く握った右手を自分の口元に持っていき、フッと短かく息をふきかけ、ゆっくりとその右手をゆるめるように開きつつ、口元から離していく。手のひらに隠した何かを吹き散らすような仕草だった。
「お前の中の悪魔を消してやった」
「……好きだね、それ」
それはハルヒコが部屋で何度も観ている映画の、ラストを締めくくる場面である。ひとりの男が刑事の面前で、最後にこう明かすのだ。
"After that my guess is that you will never hear from him again. "
"The greatest trick the devil ever pulled was convincing the world he did not exist. "
"And like that"
フッと、黒い炎を吹き消すように。
"・・・he is gone."
そうしてまた、煙のごとく消え去る男。
「カイザー・ソゼだ」
「カイザー……」
「死のうとしないのはけっこうだが、死体のように生きるのはやめろ」
「幽霊でしょ」
「おなじだ。生きてなけりゃ」
胸に抱き、腕に力を込める。この男は決して自分とはセックスをしないだろうと、サラはその胸の中でぼんやりとした頭のまま、はっきりと確信した。
「……君は誰かを好きになったことある?」
「ない」
「僕といっしょ」
「だがこれから好きになる」
「なれるの?」
「なれるさ。俺は別に人を嫌ってるわけでもない。お前と同じように」
「……そう」
「メシを食って、陽に当たるぞ」
「……うん」
「そのあとはキャッチボールだ」
「いいよ。やだけど」
「いやでもやるんだ。人を好きになるための訓練だ」
「関係ある?」
「おおいにある」
そうしてハルヒコに手を引かれ外に出るころには、すっかり南中した太陽に焼き尽くされそうになったが、その刺すような日光の刺激は、すでに黒く焦がされた肌には心地いいものでもあった。「夏休み、ほんとに君の故郷に連れてってくれる?」ともういちど尋ねると、「ずっと居ればいい」と言ってくれた。
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