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「天音のあんなおっかねー顔はじめて見た」

「怒るところ自体もな」

夕食の時間。いつものように同じ卓についた珠希と高鷹に今日の事件のことを聞かれ、天音が来ないうちに同じクラスの耀介と大吾郎が顛末を話した。ハルヒコは禁止されているピザの宅配を頼んでおり、今夜は食堂に現れなかった。だがその方が食堂も平和であり、どうせ注意をしたところで聞く耳など持たぬので、寮長の芳賀は配達のバイクを見ても知らないふりをした。

「あれだけやりたい放題でまだお咎めなしってのが解せねえ。うちの学校、甘過ぎるだろ」

「まあいたずらの範囲内だからな。いまどき、いじめで自殺させたって退学にはならないんだ」

「でももし天音が学校辞めたらどうすんだろ」

「そうなりそうだったら、まあ、部屋を替えてくれるくらいはしてくれるだろ」

「そしたら誰が渦川と相部屋になるっつーんだ。犠牲者が増えるだけだ。ていうか天音が中退するなんてなったら、アイツぜってータダじゃおかねえ」

耀介はハルヒコを転入当初からずっと苦々しく思っている。おそらくは、被害者である天音よりもだ。

「天音はそんなヤワじゃないから平気だ」

大吾郎が耀介の肩を叩き、早くも平らげた空の茶碗を持って炊飯器へと立つと、「俺のも」と言って耀介が茶碗を手渡した。

「あ、やっと来た」

天音が食堂にやって来るなり珠希が立ち上がると、「今日は僕がご飯用意してあげるね」と微笑んだ。おかげで不機嫌そうだった天音の表情が、少しやわらいだ。

「誰にでも甲斐甲斐しいなあ。妬けるぜ珠希ちゃん」

「天音と高鷹だけだよ」

「ありがとう珠希」

「いーえ。座ってて」

4人は暗黙の了解で話題を変え、「保体事件」のことには一切触れなかった。もしも珠希や高鷹が被害者であったならあっさり笑い話にされるが、ふだんから穏やかで感情に左右されない天音がキレたとあれば、それは笑ってはいけない事態なのだと悟ったからだ。おまけに彼は校内の誰よりもハルヒコの害を被っている不幸な立場にあり、見るからに日々疲弊していくため、なおさら触れられなかった。
だが、そんな皆の不安をよそに天音はいつもどおりに夕食を平らげ、楽しそうに会話をしていた。恐らく人生ではじめての「激昂」を味わい突発的にブチまけたせいか、すでに怒りはほとんど抜けきっているようだった。耀介がいつも以上に張り切って天音を笑わせたのもあり、食事が終わる頃にはすっかり上機嫌な顔に戻っていた。
すると天音の機嫌が治ったらしいのを見計らって、部屋に戻る途中、珠希たちの背後で大吾郎がこっそりとこう尋ねた。

「なあ、サラ、どう?」

天音は微妙な顔をした。

「あー……相変わらず絶不調だよ。明日もご飯食べないなら、親に電話して病院に連れてってもらうって中川先生が言ってた。もう3日目だからね。差し入れしたお菓子とかなら、さすがにちょっとは食べてるだろうけど」

「そっか……。でもサラは家族と仲悪いから、連絡したら悪化しそうだけどな」

「うん……でも未成年だと、僕たちや先生が勝手に病院に連れてくことはできないから。診察代のこともあるし……かわいそうだけど仕方ない」

「サラ」は天音たちと同じ2年生で、去年ギリギリの出席日数でどうにか進級できたが、新学年を迎えてからすでに両の手以上の日数を欠席し、遅刻は数えきれなかった。寮住まいだが寮生たちに心を開いておらず、友達と呼べる者はほとんど無い。唯一天音だけが彼と親密に接することができたが、「不調期」におちいると天音にもほとんど顔を見せなくなり、同室の生徒とも一切会話をせずベッドでずっと猫のように布団にくるまっている。

「明日の朝また部屋に行って、どうにかご飯を食べてもらえるように言ってみる。そうすれば連絡されないで済むはずだから。それに今からこの調子じゃ、今度こそ留年しちゃうよ。」

「おう、頼むよ。俺も行きたいけど……あいつは俺じゃ嫌だもんな」

「イヤってことないよ。あの子は別に人を嫌ったりなんてしない。ただ、今は誰とも話したくないってだけ。そういう時期だから」

「うん……」

肩を落とす大吾郎の大きな背中を軽くはたき、「心配すんな。じゃ、明日ね。おやすみ」と言い、そこで別れて天音は階段をのぼっていった。大吾郎はふだんから他人を詮索することなくいつもマイペースに悠然と構えているが、「サラ」のことだけはなぜだか妙に気になるようで、まるで兄弟のように彼の不調を心配していた。




扉を開けると部屋にはトマトソースとバジルの匂いが充満し、ハルヒコがタバスコの瓶を片手に、1枚のピザを1人で半分以上平らげていた。天音は関わるのも嫌なので何も言わずすぐにヘッドフォンをして、課題のレポート作成の続きに取り掛かった。

「よう兄ちゃん、1枚どうだい?俺の奢りだ」

音楽で遮断していても、背後の声は聞こえてくる。だがこれ以上音量を上げると耳が痛くなる。

「いらない。話しかけないで」

「何をそんなにカリカリ怒っている?あのことをまだ根に持ってるんだとしたら、女なみに執念深い奴だな」

「……」

「なあ、お前いつもどこでマスをかいてる?まさか俺が来てから1度もってことはないよな?」

「うるさい。話しかけんなっつってんだろ」

「いつも気が立ってるってことは全然抜いてないんだろう?タマが破裂しやしないかと心配してやってるんだ」

「誰のせいで気が立ってるのか本気で分かってないんだな」

「それともお前女か?」

「はあ?」

「生理が近付くと、途端に性格破綻になる俺の女とおんなじだ」

「はいはい、君の頭の中に住んでるカノジョは怒りっぽいんですね。でも僕はその子とは違います。まず現実に存在してますし」

「やれやれ、その嫌味ったらしい怒り方までそっくりだ」

「童貞のくせに虚しくならないのか?」

「何?」

天音がヘッドフォンをはずして振り返った。

「童貞は君の地雷だろ。君はこうして男子校の寮にいるあいだにハタチを迎えるから焦ってるんだ。18にもなってくだらない男だな。断言するけど、君みたいな男とセックスしてくれる女なんかこの世にひとりもいない。君みたいな男、サルでもごめんだ。君は人としての秩序と道徳がいっさい欠落してる。人と違うことをするのがカッコいいと未だに思い込んでるいちばん痛いタイプだ」

だからそんな奴一生セックスできない、と言って再び机に向き直った。もう手はあげないと教頭に誓ったものの、またプロレス技でもかけてこようものなら今度こそ本気で返り討ちにしてやろうとひそやかに身構えた。だが背後からは何の音もせず、いつもの子供じみた反論の声すらも上がらない。もう一度、首だけでそっと振り返ってみた。

「………お前………」

わなわなと怒りが込み上げる。サンドバッグの向こうでハルヒコは背中を向けていたが、ズボンをさげてあぐらをかき、背を丸めて一心不乱に右手を動かしていた。

「ねえ、どうしてこの状況でそういうことできるの?」

「おい、なぜこちらを見ている?寝るときにベッドでしたらまたうるさいと怒るから、お前が課題に没頭しているあいだに済ませてやろうと思ったのに」

「僕が食堂にいるあいだにできなかった?」

「そのときはしたい気分じゃなかった」

「むしろなんで今このタイミングでしたくなるんだ?」

「そんなもん知るか。本能だ。静かにしろ。ああ……いい感じになってきた……」

「最悪」と吐き捨てるとすぐさま机の方を向き、その気色悪い声を遮断するように、天音は慌てて音量をほぼ最大まで上げた。だがそれでも射精したらしきうめき声はヘッドフォンの中にぬるりと入り込んできて、その瞬間天音は大きくため息をついて机に突っ伏した。

「嫌い……君のこと本当に大嫌い」

「こんな刑務所暮らしのような野蛮な生活をしてるくせに、ずいぶん神経質だな。つらいならママのところに帰ったらどうだ」

「君のような野蛮な人間がいないから今までやって来れたんだ」

「男など誰しもこんなもんだ」

「何それ。本当に馬鹿だね。馬鹿すぎる。嫌い」

「何とでもほざいてろ。どっちかがギブアップするまでその苦痛からは逃げられんぞ。とっとと慣れることだ」

ハルヒコは丸めたティッシュをゴミ箱に投げ入れると、すっきりした顔で残りのピザに手をつけた。「せめて食欲と性欲は分ければ?」という天音の言葉も、まるで聞こえていないようだった。
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