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第九章

第102話 だいりにん

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「初めまして。わたくし油小路あぶらこうじ 佐清すけきよと申します」

「増田 蘭です。あの、増田繁蔵の孫です…」

 名刺を差し出してきた男に蘭は深くお辞儀をした。 
 週末の某ファミレス、蘭は1人の男と出会っていた。歳の頃は30代半ばから40代、これと言って印象に残らない顔つきに、人当たりの良さそうな笑顔を貼り付けた営業マンといった感じの人物だ。

『この人が魔王の代理人エージェント…』

 蘭は多忙な繁蔵に代わって(という名目で)魔王軍の代理人との顔合わせを行っていたのだ。
 蘭自身が魔王軍の情報を掴む事が出来れば、繁蔵や凛の暴走を抑えたりマジボラに有益な情報を流す事が出来るかも知れない、という算段であった。

 蘭が緊張しているのは着なれぬリクルートスーツを着ている為だけでは無い。油小路と名乗る目の前の男が異様に不気味であったからだ。

 男の外見的に変な所は無い。出された名刺には聞いた事も無い名前だが、一般の商社らしき社名が刷られていた。
 しかし彼が魔王の尖兵であるのならば普通の人間という可能性は薄いだろう。周りに一般の客も居るこの状況で、急に暴れだす様な事が無いとも限らない。

 いずれにせよ油断のならない相手であるのは間違いない。蘭はゴクリとツバを飲み、相手に意識を集中する。

「まぁそう固くならないで下さい。これから長い付き合いになるのですから仲良くしていきましょう。私もご老人よりも若くて美しい女性が相手の方が仕事に身が入りますからね」

 微笑みを崩さずに話す油小路が、蘭には余計に恐ろしく感じた。この笑顔の下でこの男はどんな事を考えているのだろう? と。

「…とりあえず先に今回分の『恐怖エナジー』をお渡しします」

 蘭がのど飴の缶容器ほどの大きさの機械をテーブルに置き、相手方に差し出す。
 油小路がその機械を受け取り懐に仕舞い込んだタイミングで蘭が声をかける。

「あの… 祖父に言われて事情がよく分からないままにここへ来てしまっているのですが、『魔王軍』というのはどういう事ですか…? まさかゲームやアニメの世界みたいに世界を滅ぼそうとする魔王が実際に居るんですか…? 私達は大丈夫なんですか…?」

 もちろん蘭は「『魔王』なる者が存在して平行世界を荒らし回っている」事を知っている。現に睦美の祖国はそれによって滅びているのだ。

 蘭は実際の魔王軍から直接何らかの情報を得るべく、自ら志願してここに来ているのである。手ぶらでは帰れない。
 せめて彼らの目的ぐらいは探ってみせないと、またこちらを楽しそうに見下した睦美の顔を見る羽目になる。蘭にはそれが我慢ならなかった。

 緊張と睦美への静かな怒りで蘭の口調が少し震える。むしろそれが蘭の芝居に箔を付ける結果となり、『未知なる魔王軍に怯える少女』という演技を成功させていた。

「その辺はお爺さまとも話し合いましたが、現在我が魔王はこちらの『第865439世界』に侵攻するお考えはありません。安心して下さい」

 顔色を窺う限り油小路の言葉に嘘は無いように思えた。しかし相手が人間で無いのなら、表情筋の操作など造作も無い事だろう。それが故に蘭は目の前の男の底知れなさに恐怖する。

「…それは今後永久に、という事ですか? それとも『恐怖のエナジー』を納めている期間だけ、という事ですか…?」

 蘭の質問に油小路は微かに口角を上げた。一瞬ではあるが今まで見せていた営業マンスマイルとは別のよこしまな表情を見せた事を蘭は見逃さなかった。

「…なかなかに聡明なお嬢さんだ、お爺さまよりも知恵が回る。その聡明さを祝して私も正直に答えましょう。回答は『条件付きで後者』です」

「…どういう事ですか?」

 蘭としてもここからが本番の任務である。あくまでも『未知の魔王軍』に力無く怯える少女を演じなければならない。

「詳しくは申し上げられませんが、私共にはこの世界で別に『やらなければならない事』がありまして、それが終わらない事には魔王軍もこの世界に手を出せない状況にあります」

「はぁ…」

 油小路の言葉に首を傾げる蘭。よく分からないが、もしその『やらなければならない事』とやらを阻止できれば、この世界は魔王軍から守られるという意味であろうか?

「それが終わればこの世界への侵攻もありえますが、もし仮にそうなっても貴方達の様に『恐怖エナジー』を提供してくれた人達には少なくない便宜を図る事は約束しますよ」

 油小路の笑顔は崩れない。会話のノリも「保険の勧誘」の域から出ておらず、魔王軍の視点からは『世界の崩壊』など些事であり日常茶飯事なのだろう事が窺える。

「まぁ、こちらの事情の事は気にしないで結構ですよ。手伝っていただける様な事でもありませんし、えぇ」
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