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第四章(最終章)

世界の抱える事情

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 時は少し戻って『すざく』がソ大連(ソビエト大連邦)第5前哨基地を出立して宇宙に出る直前。

 荘厳な執務室、1人の老人が書類のチェック作業をしている。彼の名はウラジミール・カポレフ。ソ大連政府与党である共産党の現書記長、実質的な独裁者である。
 年齢こそ82歳と高齢だが、その目の輝きは年齢と実績に裏打ちされた確かな自信を得た事で、若い頃よりも光を増し『視線だけで人を射殺せる』とまで噂される人物である。

 その彼の執務室の扉がノックされ、返事を待たずに彼の秘書が入室する。秘書は緊迫した面持ちでカポレフに告げる。

「同志書記長、第5前哨基地ティンダの政治局員マリンコフ少佐から緊急入電、大東亜連邦の新鋭戦艦『すざく』と接触した事により、基地職員全員が思想汚染された、との事です。確認して詳細を得ようとしたのですが、同志マリンコフは既に自死した後の様でした」

「…どういう事だね?」
 カポレフの視線に刺されて秘書が硬直する。報告に来ただけで彼には何の咎も無いのだが、マリンコフの不手際の責任を自分が取らされるのではないか? と恐怖するくらいにはカポレフの目は不機嫌さを孕んでいた。

「は、基地の技術士に確認を取ったところ、第6前哨基地ハバロフスクを壊滅させた反逆者を追っていた部隊が東亜(大東亜連邦)の部隊と遭遇、なぜか戦闘にならずに合流、第5前哨基地へと帰投、基地全体が汚染、という流れだそうです」

 訝しむカポレフ。常識的に考えてそんな事はありえないのだ。
「なぜ戦闘にならなかったのかね? 東亜とソ大連われわれは現在戦争状態で、お互いの人型飛行戦車は『虫』として認識されるはずだろう?」

「それが、どうやら東亜の連中は『偏向フィルター』の存在を認知しているらしく、虫が『設定として作られた敵』であると理解していた様です」

「ばかな?! 東亜の技術士が裏切ったのか? でなければ東亜が連合を無視して国家方針を勝手に変えたのか…?」

「なんでも我が軍との遭遇時に、東亜軍同士で戦闘が行われていたらしく、恐らくは東亜の『粛清部隊』と反乱勢力との戦闘中だったと思われます。それらをまとめて虫と誤認した我が軍が戦闘に介入、東亜の『すざく』部隊による汚染を受けたものと判断されます」

「ふむ、その件について東亜は何と?」

「まだ何も… 確認された方がよろしいかと…」
 神妙な面持ちで秘書が静かに進言した。

「うむ、クスノキへホットラインを繋げ」

 正面の壁に備え付けられている大型モニターに、立派な髭をたくわえた、いかつい顔の壮年男性が映し出される。彼こそ大東亜連邦の現内閣総理大臣、楠木くすのき 宗太郎そうたろうである。

「これはこれは書記長閣下、直接の呼び出しとは珍しい。いかがされましたかな?」

 カポレフに負けず劣らず鋭い眼差しを持つ楠木が、さも迷惑である、と言わんばかりの言葉を画面の中のカポレフに投げつけた。
 逆にカポレフは感情を殺した口調で淡々と語りだす。

「楠木総理、貴国の新型戦艦『すざく』により、我が国の前哨基地がまるごと1つ思想汚染された。これは明らかな連合法違反だ。粗方の調べはついているぞ? この件について釈明を求めたい」

 カポレフの言葉に楠木の顔色が一気に青ざめる。『すざく』の件は東亜も東亜で、とても頭の痛い問題として認識されていたのだ。


大連ダーリェン基地の操者数名が幽炉の秘密に気がついた』という連絡が縞原重工の丑尾技術士から届いた。
 いつもの様に縞原の飼っている処理部隊を向かわせて、その操者を逮捕するなり事故死させるなりして処断する。楠木はその結果だけを聞いて書類に判を押す、それだけで何事も無く終わるはずだった。

 しかし、作戦の為に補給用シャトル『はまゆり』に乗り込んだ処理部隊は、その直後に全員が音信不通となる。
 丁度その時、大連基地は謎の輝甲兵(鎌付き)による襲撃を受けており、処理部隊は避難した先のシェルターが虚空ヴォイド現象により消滅した為に、何事も成せずして全滅してしまったのだ。

 やがて基地司令代行を名乗る長谷川という大尉によって、上記の襲撃の件が伝えられ、救援のふねの派遣を求めてきた。
 国籍不明の輝甲兵の襲撃は、それこそ寝耳に水だった。成文化されていない裏の連合法によって、輝甲兵による戦争行為は『絶対に人目に付かないように』行われる必要がある。

 輝甲兵の偏向フィルターと人間の目視の併用は、人類の敵である虫が本当は外国の輝甲兵である、という『真実』が露見してしまう為に、絶対に忌避すべき事態なのだ。

 件の輝甲兵の映像を見たが、特機であるらしくデザインが奇抜で、出自がはっきりしない。ただ現在東亜と戦争中のソ大連製である事は想像に難くないが、ソ大連の秘密主義によって特機のデザインその他が諸外国に知らされておらず、そのため証拠が無いので糾弾も出来ない。

 要請された救援部隊に再び処理部隊を忍ばせる事も可能だが、大連基地の連中に特殊部隊への対策を取られている可能性もある。
 基地を襲撃した輝甲兵は友軍のシャトルを強奪して宇宙に上がったらしい。それは台湾上空の補給基地部隊に捕捉され、遁走しているのが確認されている。

 大連基地の連中は先ず間違いなく虫=輝甲兵である事を知っている。過去のケースの様に1人や2人では無く基地ぐるみの話だ。特殊部隊を数名送ってどうなる物でも無いだろう。
 なれば強襲部隊を送り込んで、一気に殲滅する他無いではないか。

 しかしそこで満を持して投入した新鋭艦『すざく』と、虎の子の近衛このえ師団が、大連基地の抵抗にあい作戦を失敗したばかりか、『すざく』内部でも艦長、永尾大佐の乱心により基地勢力に転向し、賊徒に『足』と『家』を同時に与えてしまう結果となったのだ。

 直後に秘蔵されていた核兵器によって基地ごと消そうとするも、これも失敗。爆発によって生じた電磁波による電波障害で『すざく』の足取りを見失う、という失点も加算されていた。

 これらの状況は逐一首相の楠木の元へと届けられていたのだが、最初から最後まで有効な手段が何一つ打てないまま、東亜の軍首脳部は楠木の叱責を受け続ける事になる。

 そこでカポレフ書記長タヌキおやじからのホットラインである。楠木は己の胃がキリキリと音を立てて軋むのを感じた。

「『すざく』は現在国家反逆罪で追跡中です。艦長の永尾は代々名将を輩出した家柄で、情操面でも信頼の置ける人物でした。それが反乱を起こすなど、外国勢力による離反工作の可能性も論じられております」

 内心の動揺を隠すべく、逆に相手を非難する楠木、しかしそれを受けてもカポレフは眉一つ動かさずに淡々と答える。

「言いたい事は以上かな? クスノキソウリダイジン。私は貴方に質問をしたのだよ。それに答えてくれないかね?」

「…………」

 下を向き沈黙する楠木、国家の代表としてあるまじき姿であるが、逃げ道を完全に塞がれている現在、彼には何かの言い訳を考える以外に行動の選択肢が無い。

 勝利を確信し小さな自尊心を満たしたカポレフも目を細め表情を緩める。
 ソ大連とて清廉潔白では無い。元々の発端はミェチェスキー少佐の操る『T-1』が反乱を起こした事なのだ。東亜の件はそれが飛び火しただけに過ぎない。
 問題は飛び火した先で大炎上を起こしている事なのだ。
 ミェチェスキー少佐がなぜ東亜の基地を襲ったのか理由は不明だが、事情はどうあれ連合法破りはソ大連が先である。

 東亜も謎の輝甲兵の存在は知っていても、ソ大連との関係までは暴ききれなかった様だ。その証拠があの楠木の態度である。

「まぁ安心したまえ楠木総理、似たような事例は初めてじゃない。私はこの件を『連合会議』に上げようかと思っているのだよ」

「『連合会議』ですって? それほどの事では…」

「事態はもう『それほどの事』なのだよ楠木総理。君も当事者の自覚を持って欲しいものだね」
 カポレフのその言葉に再び沈黙する楠木。

 連合会議とは地球連合の最高決議機関である。4大国の代表と連合政府の事務局長とが各々1票ずつ持って議題に対して投票する。全5票のうち3票獲得した案件は可決され実行に移される、という仕組みだ。

「私の言いたい事は1点だけだ楠木。私は会議で『すざく』部隊の1人も逃さぬ完全なる殲滅を提案する。君にはそれに賛成票を入れて欲しい。連合の役人は問題無いが、全米連合アメリカ欧州帝国ドイツの麦わら頭どもは『すざく』の技術欲しさに反対するかも知れん。君とて『技術を取るか、命を取るか?』と聞かれれば、答えは明白だろう…?」

 楠木は何も言えない。

「地球連合70億の人間の命が掛かっている議題なのだ。慎重かつ賢明な判断をされる事を祈っているよ、クスノキ」

 通信が切られ、カポレフの執務室に静寂が訪れる。カポレフは数秒間、何かを思案した後に秘書に指示を与えた。

「宇宙に出た『すざく』の足取りを追え。補給基地に寄るようなら、幽炉以外の物資はくれてやってもいい。ただし『絶対に寄港させるな』これ以上の思想汚染を広められては敵わん。てい良く追い払え。最後に第1艦隊を総動員して『すざく』の追跡に当たらせろ。折を見て一斉に叩く」

 カポレフの言葉に秘書は狼狽うろたえた声を出す。
「し、しかし閣下、第1艦隊は首都の守りのかなめです。動かしてしまうと首都ここの防衛戦力が…」

 秘書の言葉にもカポレフは眉一つの動かさない。
「誰がここに攻めてくると言うのだね? ヤケを起こした東亜が艦隊を送り込んで来るとでも…?」

「…了解です。攻撃のタイミングは如何ように?」

「奴らが国境を越えたあたりで、我々と越えた先の出してきた艦隊の2カ国分の火力を叩き込め。仮に奴らがどれだけ強くても、単艦では2個艦隊の波状攻撃には耐えられまい」

「しかし本当に沈めてしまってよろしいのですか? 『すざく』の持つ幽炉並列稼働の技術があれば、我が国も柔軟な艦隊運用が…」

「構わんよ。情報部によれば東亜では現在『すざく』の2番艦『げんぶ』を建造中らしい。今回の貸しの精算で東亜から技術を流してもらうか、そのふねの無期限貸与をさせるなりすればよかろう」

「…了解しました。さすがの慧眼です同志書記長」

 共産党では書記長の言葉は絶対だ。疑問を挟むことは粛清の理由にすらなりうる行為である。
 しかしカポレフは、秘書に敢えて『疑問に思った事は問わせる』習慣を付ける様に教えていた。

 人民を支配する為には、政治に対する人民の思考放棄は大事なファクターだ。しかし将来共産党の幹部となる者は、しっかりと戦略のビジョンを見られる者でなければならない。
『思考を放棄するな。やがては自分で考えられる様になれ。正しい革命の道へと』
 カポレフ自身もそうやって今の地位を得てきたのだった。

「『虫の真実』は守られねばならない。世界に公表してはならない。許された人間以外が知ってはいけない。そうでなければ人類がこの50年やってきた事が全て無駄になってしまう。それは地球連合の300年の歴史に対する不信を生む。今ここで連合が瓦解する様な事があれば、いよいよ人類は滅びてしまう。そしてもし仮に連合が滅んでも、我がソ大連だけは生き延びねばならない。そうだろう…?」

 そこでカポレフは何かを思い出した様に手を叩いた。

「そうそう、忘れる所だった。ティンダ基地の『消毒』を必ずしておくようにな」

 そう言って秘書に微笑んだカポレフの眼には、決意を超えた狂気の色さえ窺えた。
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