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「――なんと口汚い娘か……」
 だいぶ煙が晴れてきた庭園に、橙実の呆れたような侮蔑を含んだ声が響き渡った。
「あの言葉は菫家の教えかのぉ……?」
 橙実はツイッと顔をそらすと、肩で息をしている泰然に向かいニィ……と不機嫌な笑顔で問いかけた。
「――っち、誓ってそのような事はっ! ――魅音、謝りなさい」
 泰然はギリギリと目を釣り上げ、ずかずかと魅音の前に立つと、手を握りしめきつい視線を向けながら言う。
「――……おじい、さま?」
 その言葉にふらり……と立ち上がり、不安定な様子で指を噛み、せわしなく辺りを見回し始めた。
「龍族をバケモノとは……――とんだ娘を緑春祭に招き入れてしまったものです……」
 橙実たちの後ろから歩いてきた紫釉は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「――申し訳のしようも……」
 グッとは手を握りしめながらも、深々と頭を下げる泰然。
「……ちょうど良いのではないか? これで歌い手を他の者にかえられる。 ――人王も喜ぶじゃろうて」
 橙実のその言葉に、カッとした魅音は噛み付くように言った。
「歌い手は私よっ!」
「黙らんかあっ!」
 しかし魅音が言葉を発した瞬間、その声をかき消すかのような大声で泰然が怒鳴りつけた。
「っ……でも、おじいさま……」
 どこか虚ろな目で不思議そうに瞳を揺らしている魅音は、怯えながらも泰然に言い募る。
 ――自分がなぜ叱られているのか理解していない様子だった。
「黙れっ! そなたの声など聞きとうもないわ! ――頭が高いのだ! 平伏し頭を垂れていよ!」
「だ、だって……おじいさまどうして……?」
 泰然の言葉に、混乱した様子でふるふると頭を振り、自分を睨みつける祖父から逃れるように後ずさる魅音。
「――やれ」
 後ずさるばかりの魅音を一瞥すると、泰然は連れてきた護衛に向かい短く命じた。
「……いやよ、やめて! 離してっ!」
「泰然様のご命令です……!」
「っ……くっ……」
 無理矢理土下座させられ、頭を押さえつけられる魅音。
 悔しそうに唇を噛みしめ、その長い爪を地面に食い込ませていた。
「――春鈴の瞳は我の宝よ。 ――他の者になど渡してたまるか……」
 魅音の声が届く範囲にいたのか、紫釉は不愉快さを隠そうともせず魅音を睨みつけている。
(――いや、私の瞳は私だけのものなんですけどね……?)
「……怪我はないか?」
 蒼嵐はようやく春鈴から手を離し、気づかうようににたずねる。
「……ぁ、うん。 助けてくれてありがと」
 離されて初めて、抱きしめられていたことを認識した春鈴は、恥ずかしさをごまかすように前髪をいじり、照れくささを隠すようにわざとぶっきらぼうな口調で言い放った。
「っ……ならいい……」
 蒼嵐も瞳を揺らし、春鈴から顔をそむけると鼻をいじりながら答える。
 ――そしてお互いがお互いに恥ずかしさをごまかしていることを理解し合った二人は、同時に吹き出しクスクスと照れ臭そうに笑いあった。
「あ。 ――でももう少し遅く来てくれても良かったのに……」
「――は?」
 そんなことを言われるとは思っていなかった蒼嵐が眉をひそめ、春鈴は言いにくそうに鼻をかきつつそっと打ち明ける。
「……もうちょっとであいつのムカツク顔面に、真正面から一発入れられてた」
(――最初のは失敗だった……せめであの手を握りしめておけば……)
 春鈴は無理やりひざまずかされている魅音に冷たい視線を送りながら、悔しそうに唇を噛みしめた。
「――春鈴って意外に武闘派だよね……?」
 浩宇が呆れたように目をくるりと回しながら言った。
「元気な子よの。 ――やはり女の子はそうでなくてはな」
カッカッカッと、楽しそうに笑い何度も頷く橙実。
「――私が言うのもなんだけど、龍の子育て方針って斬新じゃない……?」
 そんな橙実の言葉に春鈴は眉をひそめ、蒼嵐たちは苦笑いを浮かべ肩をすくめるだけで明言は避けた。
「――しかし、菫大臣よ……そなたの孫娘も元気が有り余っておるようじゃのぅ?」
「それは……」
 橙実にからかわれるように言われ、答えに詰まる泰然。
「――我も老いはしたものの、龍族の男よ。 ――可愛い孫娘が人間に仇なされたとあっては……なぁ?」
 そう言いながら橙実は剣呑な視線を魅音に向け、威圧を受けた魅音はビクリと肩を震わせた。
「……まご、むすめ?」
 橙実の言葉を聞いた泰然はポカンと目を見開き口をあけ、そして春鈴もコテリと首を傾げた。
(――いや孫じゃ……いや、孫じゃないのにって呼ぶってことは……――もしかして橙実様、ばっちゃの知り合い……――まさか元恋人だったり⁉︎)
「いきなりなにを……?」
 橙実の言葉に反応したのは泰然や春鈴だけではなかった。
 春鈴の隣に立った紫釉が、橙実を睨みつけるように眉を寄せていた。
「ま、ご……?」
 ようやく口を動かせるようになったのか、泰然は橙実と春鈴を見比べながら、とぎれとぎれに言葉を発した。
「――正確には曾孫の曾孫……もう一代くらい後か? まぁ……我が一族の血を分けた子に代わりはあるまい」
「――え? ……ええっ⁉︎」
(なにそれ⁉︎ ……――つまり橙実様は、うちの祖先の龍族のご親戚⁉︎)
「なんじゃ、美羽蘭から聞いておらんのか?」
 これでもかと目を大きく見開いて驚く春鈴の様子に、橙実は呆れたように肩をすくめた。
「いや……初耳かと……?」
 首をかしげながら記憶を探る春鈴だったが、どんなに頭をひねっても龍族に親せきがいるだなんて話を聞いた記憶はなかった。
(……むしろおとぎ話感覚で「先祖に龍族がいたからうちの家には先祖返りが現れるんだよ」って話を聞いてたよ……)
「我が一族から出た先祖返りであるからこそ、美羽蘭を知っていたのだ。 ――まさかこんなに早く、次の先祖返りが、一族が産まれるとは思わなんだがなぁ?」
(……この言い方だと、橙実様の中では先祖返りがギリギリの許容範囲内で、母ちゃんや兄ちゃんは一族に含まれてなさそう……――橙実さまの人間嫌い筋金入りすぎる……)
「――ん? 曾孫の曾孫のもう一つ……?」
(橙実様ってば一体いくつなのよ……? え、龍族の寿命ってどんだけ長いの?)
春鈴が橙実の年齢のことで頭がいっぱいになった時だった、泰然が急に跪き、橙実に向かって勢いよく頭を下げていた。
「この度は! 知らぬこととはいえ大変なご無礼をっ‼︎」
 
 菫家が春鈴たちを稀布の織り手として“保護”できていたのは、春鈴たちが先祖返りであってもであるからだった。
 しかし龍族側から、それも李家の祖先となる一族の長から「自分の孫のようなもの」とまでいわれてしまえば、菫家が春鈴たちを“保護”する大義名分は消え失せてしまう。
 そして、泰然にとっては最悪なことに、龍族の中でも大きな発言力持つ一族の一員であると認められた娘に対して、自分の孫娘が危害を加えたのだ……
 無様な土下座とはいえ、自分の謝罪一つで済むならば安いものだった。
「――菫大臣……人王の疲れを癒したいと半ば強引に里へと滞在し、案の定里と外を頻繁に出入りし……結果この騒ぎよ……――捕らえた傭兵たちからは証言を得ているぞ――……雇い主は人間の若い女であった、とな」
「っな⁉︎」
 泰然は紫釉の言葉に目を見開き、バッと魅音を振り返った。
 魅音は相も変わらず無理やり頭を押さえ続けられていて、時折体をゆすって小さな抵抗を見せていた。
「――知らなかったと見えますが……――そこの娘はあなたの推薦でここへやってきた……さらにはあなたの実の孫――知らなかった、では済ませられませんよ?」
 紫釉は泰然を見下ろしながら冷たい声で言い放った。
「そもそも本当にこれはこの娘の独断なのかのぅ……?」
 橙実は疑わしい視線で泰然と魅音を交互に見つめ、ひげを撫で付けながら言った。
「そっ……その辺りは調べてみませんと……――しかし、監督が行き届かなかった事は事実とはいえ! この泰然、誓って龍族の方々を害するつもりなどはございません! ――そもそもお疲れの蒼嵐様に向かい、あのような暴言を吐くなど……っ!」
 泰然は蒼嵐に向かい、頭を地面にこすりつけるかのように下げながら必死に言い募る。
(……蒼嵐、さま……? あれ、蒼嵐さんってば私が思ってる以上に偉い人……?)
 春鈴はそっと首を傾げながら蒼嵐を盗み見た。
「それ以前にも、きな臭い事件があったのぉ? ――証拠はないが……その辺りに転がっている侍女どもに聞けば、なにか詳しい話が聞けそうよなぁ……?」
 橙実はワザとらしく不思議そうな顔を作ると、芝居がかった様子で何度も首をひねるながら蒼嵐に話しかけた。
「――わ、私は悪くないわ!」
 橙実の言葉に魅音は押さえつけられながらも必死に声を出した。
「っ黙れと何度も言わせるなっ!」
 この状況で自白としかとられないようなことを言い出す魅音に、激しく反応する泰然。
 そのあまりにも大きく恐ろしい声に、魅音だけではなく春鈴までもがその身体を大きく震わせた。
「――大丈夫だ。 なにもさせぬ……心配するな」
 身体を震わせる春鈴の背中を労わるようにさすりながら、蒼嵐はそっと優しく伝える。
「……蒼嵐ってさ? すごい偉い人……?」
 春鈴は声をひそめコッソリとたずねる。
「――あの二人と対して変わらぬ」
(基準があの二人……? ――え? あの二人って蒼嵐と同じぐらいなの⁉︎ もっとずっと偉いのかと……――じゃあ蒼嵐さんてば、想像以上にえらいのでは……?)
「呼び捨てにしてたら、私捕まる……?」
「……今更だろう? それに私が許可を出したのだ。 問題はない」
「ありがてぇ……」
 二人がそんな会話をしていると、ぐすり、ぐすり……と、魅音のすすり泣く声が聞こえてきた。
 そちらを見ると、
「――まこと、こたびのご無礼、ひらにご容赦を……」
と言いながら頭を下げつつ、同時に魅音の頭をグイグイと押さえつけ、地面に押し付けている泰然の姿があった。
 魅音は泣きながらも泰然を懇願するように見つめながら、小さな声で「痛い……おじいさまやめて、ごめんなさい……」と言っているが、そんな魅音の泣き声など聞こえないかのように、冷たい表情でグイグイとその頭を地面に押しつけている。
「――さすがは人間。 身内を切り捨てるのが早いのぉ……」
 そんな泰然の姿に、橙実は呆れたように眉をひそめ鼻を鳴らす。
「――え? おじい、さま……?」
 橙実の言葉に魅音はすがるような視線を泰然に向け、弱々しく声をかける。
 しかし泰然は、少しも反応することも魅音を視界に捉えることすらせず、静かに口を開いたのだった。
「――そこな襲撃者たちは、どちらへ連れて行けばよろしいでしょうか?」
 襲撃者と言いながら倒れ伏している侍女たちへ視線を流す泰然。
 「……え?」
 その視線と泰然の言葉に戸惑いの言葉を上げ、必死に首を振る魅音。
「あー……じゃあこっちで引き取りまーす……」
 そんなやり取りを視界に入れつつも渋い顔でそう言った浩宇は、そばに控える部下たちに合図を送る。
護衛たちが未だに意識のない侍女たちを拘束して運び出し始めると、泰然はその護衛たちに向かい小さく「この者もどうぞ……」と魅音を指した。
 戸惑う護衛たちが浩宇を見つめ、浩宇がたずねるように蒼嵐を見て――紫釉や橙実と視線を交わし合った蒼嵐が頷くと、それを見た護衛たちは静かに魅音に近づいて行った。
 それを見ていた魅音は大きく目を見開くと、より一層大きくもがき始める。
「ちょ……やっ――いや……おじいさまっおじいさま! ねぇおじいさまぁっ!」
 そんな言葉むなしく、魅音は護衛たちに両脇から腕を掴まれ立たされる。
 魅音は必死に泰然に向かって声をかけ続けるが、泰然はそちらに一瞥もくれず――魅音はそのまま引きずられるようにこの場から連れ出されていった。

(――あんなヤツ、未だに大っ嫌いだけど……あいつがあんなに呼んでも見ようともしない……悲しそうな素振すら見せない……――なにこの人、怖い……)
「……どこか痛むか?」
「え……」
「――顔色がよくない」
 そう言いながら春鈴のほほをそっと撫でる蒼嵐。
「ぁ……――大丈夫。 ちょっと……色々考えちゃって……――でございます……?」
 答えている最中にこちらを見た優炎たちと目が合ってしまい、春鈴は語尾に言葉を付け足した。
「やめろ。 かまわないと言っただろう? ――そもそもお前は朱家の一族になったんだ……」
(――あ、なったんだ……? そっか……――あれ? だとしたら……)
「――じゃあ余計に気をつけたほうがいいのでは……?」
 春鈴の言葉に蒼嵐は嫌そうに顔をしかめる。
「……龍族の中は人間と言うだけで下に見る者もいるからなぁ……?」
(出会った頃の橙実様のような人ですね、分かります。 じゃやっぱり、他に人目があるところでは言葉づかいとかに気を使ってたほうが、へんな絡まれかたしなさそう……)
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