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「――注文すれば稀糸まれいとの組紐が買えると聞いた……」
 その青年がやってきたのは、市での出来事から数日後、雪もちらつき始めた初冬のことだった――
(……確かにそう言ったのは私なんだけど、まさか見知らぬ龍族が、直接ここに注文しにやってくるとは思ってなかったな……――しかも髪も瞳も真っ黒な黒龍とか初めて見た……――龍族って金の瞳以外の人もいるんだなぁ……)
「――買えないのか?」
 無言でジロジロと見つめられ、その青年は不愉快そうに眉をひそめた。
 せっかくここまでやってきた龍族を怒らせてしまったことを自覚した春鈴は、慌ててその顔に愛想笑いを張り付けた。
「今あるのはこれだけなんですけど……でも! 色とかが気に入らなければ、一から作ります! ……ちょっとだけ時間は貰うことになっちゃうんですけど……」
 そう言ってヘラリ……と笑った春鈴は、気まずさをごまかすようにポリポリとほほをかいた。
 青年はそんな春鈴に、少し驚いたように軽く目を見開く。
「――そなた……」
「……はい?」
「……いや――そなたが稀布の織り手なのか?」
「はい、そうですよ?」
「……――作るところを見学しても?」
「えっと……組紐ですか? 稀布のほうですか?」
(今日はもう布なんか織りたくないでござる……)
 その日のノルマは達成させていた春鈴は、どうか組紐であれ! と念じながらたずね返す。
「そなたの都合に合わせる」
 その答えに春鈴は嬉しそうに満面の笑みを作る。
「――お好みの組紐はありました?」
「いや……えんじ色と深緑のものを探している」
「男性用ですか?」
「そうだ」
「……私、色付けがちょっとだけ苦手で……失敗するかもですけど、かまいません……?」
(いつまで経ってもまだらになっちゃうんだよねぇ……)
「――買い取るのは出来栄え次第になるぞ?」
「それで構いません。 なら――糸、取るところから見学します?」
「……いいのか?」
「人間や他の種族ならお断りですけど、龍族の人が稀布の材料に変なことしないでしょ?」
(それに龍族が欲しいのは、あくまで稀布。 色も付いていない稀糸を奪ったところで、ねぇ……?)
「……構わないのであれば」
 青年がそう答えると、春鈴は「こっちです」と言って、家を出て家の裏手の山の中へと入っていった。


 
 春鈴たちがやって来たのは、家の裏手の山の中ーーそこに出来た天然の洞窟だった。
 
 入り口近くに建てられた小屋、その中から、こぶし大の輪がくくりつけられた長い枝を何本も持ち出す春鈴。
 そして洞窟の入り口に立つと、たくさんの枝を抱えたまま、慣れた手つきで器用に印を結ぶと、発光する白い蝶のような式を生み出し、洞窟の中へと送り込む。
「……入らないのか?」
 その様子を見ていた青年は、不思議そうに首をかしげながらその様子を見ている。
「ちょっと待ってくださいねー。 暗いと危ないでしょ?」
 そう言われた青年は、不思議そうに春鈴と洞窟を交互に見つめる。
 夜目の利く龍族である青年には、こんな洞窟程度の暗闇は暗闇として認識できていないようだった。
 
 白い蝶が右に左に揺れながら、時折洞窟の壁に留まりつつ奥へと進んでいく。
 その動きに合わせるように、ポウ……ポウ……と黄色い光や黄緑色の光がいくつも洞窟内に灯っていく。
 徐々に増え始めるその光を確認すると、春鈴はようやく洞窟の中に足を踏み入れる。
 そして、後ろに続いた蒼嵐に向け説明を始めた。
「この洞窟、夜光虫とか光茸とかたくさんいるの。 虫はさっきの蝶を敵だと思って威嚇のために光を放って、茸のほうは蝶が刺激して回ってるから、こんなに明るく光るってわけ」
 春鈴はそう説明しながら青年を振り返るが、2人の視線が絡まり合う事はなかった。
 ――青年がその目に写していたのは、大小様々なたくさんの水晶たち。
 それらが洞窟内の壁や天井、至る所から生えていて、夜光虫や光茸の光をキラキラと反射させている――そんな光景だった。
「私……奥に行くけど、あなたここにいる?」
 その姿に(さすが龍族、光り物に目がないな……)と、笑いながら控えめに声をかける。
「――……すまん」
 春鈴の声にハッと我に返った青年は、気まずそうに鼻を撫でつけながら、ようやく春鈴に視線を戻した。
「気にしないで。 見慣れてる私だって、綺麗だなーって思うもん。 見慣れてない――しかもこういうのが好きな龍族なら余計でしょう?」
 クスクスと笑いながら、春鈴はゆっくりと歩き出す。
 青年もその後に続くのだが、辺りを見回しうっとりと呟く。
「――本当に美しいな……」
 景色を堪能するように進む青年の歩みは、前を行く春鈴よりも大分遅いものだったが、春鈴はクスリと笑いながら、その速度に歩みを合わせた。
 
「あ、ここの水晶取っちゃだめだよ? スーチたちのご飯だから」
「わかっている」
 
 この洞窟はスーチと呼ばれる虫の住みだった。
特別な水晶を食べて透明な糸を出す、という特殊な生態をもっている虫で、その糸こそが稀布の原材料だった。
 
 洞窟の最奥が春鈴の目的地であり、スーチたちの巣が、無数に存在している住処でもあった。
 そこは壁一面、天井に至るまで水晶で覆われていて、大小さまざまなその水晶には、小さなくぼみが無数に存在していた。
 そしてそのくぼみの中にはキラキラと輝く透明な糸で出来た繭があり、その周りを白い毛玉のようなものがふよふよと漂っていた。
「これがスーチ……?」
「の繭。 スーチの成虫は、今まわりをふよふよしてるこの毛玉」
「……これが? もっと美しいものかと……」
「まぁ……キラキラはしてないよね? 洞窟の外で見るとちょっと灰色だし……でも糸は綺麗だし、私はこの子たちかわいいと思うけどねー」
 春鈴はそう言いながら、顔の周りを飛んでいたスーチにふぅっと優しく息を吹きかけた。
「かわ……いい?」
 人間との美の感覚の違いに言葉を失う青年だったが、そのことを思い悩むよりも、目の前の光景を愛でることを優先したようで、軽く頭を振ってから再び目の前に広がる美しい輝きに視線を戻した。
「さてと……もうすぐ生まれそうなのは――この子とこの子……ここら辺はみんないけるかなぁ?」
「――生まれていない繭から糸を取るのか……?」
 呟きながら繭に手をかける春鈴に、青年は眉をひそめ、責めるような口調で言った。
「……だって、この子たちが生まれるとき、繭を破って出てきちゃうから……――糸短くなっちゃうし……」
「それは……そうなのだろうが……」
 青年は(たった今、この虫たちを可愛いと言っていたのにか⁉︎)と驚きながらも(しかしそれとこれとは別問題なのだろうか……)と、悲しそうに目を伏せた。
 そんな青年の態度に、春鈴はなにをそんなに残念がっているんだろうか? と不思議そうに首をかしげた。
 そしてーー次の瞬間、その原因に思い当たっていた。
 幼い頃、自分も同じような勘違いをして、祖母の邪魔をした覚えがあったからだ。
「――中の子たちは死なないよ? ちょっと早めに羽化してもらうだけ。 ――それに、ここにはこの子たちの保護者がたくさんいるからね、繭を壊されたら死んじゃうって判断された繭は、成虫たちが糸を噛みきっちゃうの」
(水晶食べる子たちだもん。 いくら丈夫とはいえ糸の一本くらい楽勝ですわー)
「……無事、ならばいい」
 青年は無表情ながらもどことなくホッとしたように答えた。
「……意外」
 青年の様子の春鈴は思わず呟いていた。
「なにがだ?」
「なんか……龍族ってもっとこう……『虫のことなど知ったことかっ! 取って取って、取りまくれぇ!』とか言う人たちなのかと思ってた」
「……この虫がいなくなれば稀布が手に入らないのにか?」
「――なるほど、理解」
(つまり龍族にとっては、スーラも人間も等しく守るべき種族ってことですね……!)
 春鈴は青年の言葉に大いに納得し、深くうなずいた。
 
 そんな会話ののち、春鈴は持ってきた棒を一度すべて壁に立てかけると、ふところから細い枝を取り出して、その枝で繭の周りをくるくると撫で付け始めた。
「――なにをしている?」
「糸の端っこ探してんの」
「端……?」
「繭って外側から作られてくでしょ? だから片方の端っこは一番外側にあるわけ。 ――大体の端っこで大丈夫なんだけど……大体、繭20個くらいで一本の糸になるかな?」
「ふむ……」
「ちょっとこれ持っててー」
春鈴はそう青年に声をかけると、手にしていた何本もの糸が絡まっている枝を青年に手渡した。
そして立てかけていた棒のうちの1本を地面につき立てる。
「……もし良かったら、この輪に糸を通しながらついてきてもらってもいい?」
 その頼み自体に拒否するところは無かったが、青年は心配そうに手にした枝、そしてその糸が繋がっている繭を交互に見つめる。
「……このまま歩いたら、引っ張られた繭が落ちてしまうのでは……?」
「落ちない造りになってるし、万が一落ちちゃっても成虫が守ってくれるから中の子は平気」
「……この毛玉は働き者だな?」
 青年は感心したように辺りを浮遊しているスーチたちを見つめる。
「どの種族だって、親は働き者でしょ?」
「――……そういうものか」
 青年はそう呟くと、ちょうど目の前を漂い始めたスーチをしげしげと眺る。
 そして、少しだけ春鈴が言っていため『可愛い』を理解し、フッと顔をほころばせた。
 
 ふんふふーんと、鼻歌を歌いながら、棒を突き立て、洞窟の出口へと向かう春鈴。
 その棒に付いた輪に枝を通しながら、その鼻歌に耳をそばだてつつ、青年は少々ためらいながらも口を開いた。
「なぜこの輪に糸を通す?」
「えー? その糸がまだ弱いから? 壁とかに当たって擦れると切れちゃうし……あ、でも一番の理由は、普通に汚れちゃうからだねー。 だからこの輪っかで壁とかに当たらないように外まで保護するの」
「……そもそも、繭ごと出してはいけないのか?」
 春鈴はそんな質問を聞きながら(小さなころの私とおんなじ質問してる)と、笑いをかみ殺していた。
 いくら微笑ましくても真剣な質問には真剣に答えなくては……と表情を引き締めようとしながら。
「あー……それやるとね、羽化したての子は死んじゃうの。 ーー周りのふわふわが乾いた後なら問題ないんだけど……ーーあと普通に繭を泥棒していくような奴が定期的に現れるような洞窟、簡単に捨てられちゃうでしょ。 スーチって、群れで行動する虫って言われてるから集団引っ越しが発生するね」
「……そう、なのか」
 春鈴の説明に納得したように頷いた青年は、ちらりと背後を振り返り、スーチの巣がもう見えなくなってしまったことを確認すると、残念そうに肩を落とした。
「――っていっても、私もばっちゃからそう言われてるだけで、本当にそうなるのかまでは知らないんだけどねー?」
 そう言いながら、春鈴はいたずらっぽく笑う。
「……試していたならば、この洞窟にスーチはもういない……?」
「そういうことー」
 ケラケラと笑いながら答えた春鈴は、ご機嫌な様子で再びふんふふーんと、鼻歌を歌いはじめ、手にした棒をドスッと地面に突きたてていく。
 そんな様子にクスリと微笑みをこぼした青年は、そのまま春鈴の後に続いていった。
 
 洞窟の入り口から差し込む光が大きくなり、もう夜光虫たちや水晶の姿も見えなくなり始めた頃、青年は突きたてられた輪に糸を通しながら、ふと沸き起こった疑問を口にした。
「稀糸を取る時にも歌を歌うものなのか?」
「え、いや……なんとなく? 子供の頃から、歌いながら糸取ってるばっちゃの後、ついて回ってたから……その名残?」
「……そういうものか」
 そんな会話しながら歩いていると、夜目が利かない春鈴でも辺りの様子がはっきり見える場所まで戻ってきていた。
 春鈴は差し込む日の光にホッとしたように大きく息を吸い込むが、青年は名残惜しそうに、たどってきた道を振り返った。
 ――そこには青年がもう一度見たかった、水晶のきらめきやスーチが漂う姿はなかった。 けれど、青年はあの美しい光景を思い返すように一度目を閉じて、記憶の中にきちんと焼き付いていることを確認すると、満足そうに洞窟を後にしたのだった――
 
 稀布と呼ばれる布は、特殊な歌声を持つ織り手が、願い歌と呼ばれる特別な曲を歌いながら織ることで作り出される、それは美しい布のことだった。
 織り手の選曲や歌い方、その時の感情によってその色合いを変えるという、魔訶不思議な布でもある。
 ――そして、その織り手の中でも妖術が使える美羽蘭と春鈴が作る布は、その力を用いて、さらに様々な能力を布に宿すことが出来る特別製だった。
 
 ――稀布の最大の特徴は、なんといってもその美しさだ。
その布はまるで宝石を散りばめたかの如くキラキラとした輝きを放つ。
 織り手の能力が高ければ高いほどその輝きは増し、龍族のみならず多種多様な者たちを魅了し続けている。
 
 ……ただしこの春鈴、色染めが少々苦手だった。
 通常は均一の色になるように心がけて一反の長さを織り上げるのだが、春鈴が織る布は、布の色が薄くなることや濃くなること、最初と最後で色が変わってしまうことなどは日常茶飯事だった。
 調子の悪い時などは、青い布を織っていたのに緑へと変わっていたり、赤から黒に変わることもあった。
 普通は歌っている曲で染まる色が大体は決まるものなのだが、春鈴は機織りに集中してしまうと、鼻歌で済ませてしまったり、勝手に歌を作ってしまったりと、勝手にアレンジしてしまう悪癖あったのだ。
 この為、布の色にむらが出てしまうのだったが、春鈴自身にこの悪癖をそこまで直したいという意識がなく(ここのグラデーション意外にかっこいい!)などと自画自賛する場合も多々見受けられたので、この悪癖が改善される日はそうは訪れそうになかった……
 
 洞窟の外まで戻った春鈴は、再び小屋に入りゴザやら糸紡ぎ器を持ち出すと、洞窟近くの大きな木の下にそれらを使って作業スペースを準備していく。
「――ここで紡ぐのか?」
 青年はちらりとそこまで離れていない母屋に視線を送りながらたずねた。
「私も寒いから、家でやりたいんだけどねー。 でも撚る前の糸って、あんまり日光に当てない方がいいんだって。 なんでも『出来上がりの輝きが違う』らしいよ?」
 人差し指を立てながら物知り顔で喋る春鈴の様子に、青年はクスリと小さく笑い、からかうように言った。
「……また祖母の受け売りか?」
「まぁね? それに、糸紡ぎはここら辺でやるって決まってるから、家まで持ってく輪っか、足りないし」
「それでは、やりたくてもやれないな?」
「ふふっ そのとーり!」
カラリと笑いながら、春鈴は慣れた手つきでカラカラと糸を巻き取り始めた。
青年はマイペースな春鈴に、少し戸惑うそぶりを見せながらも、同じ木の下、春鈴から少し離れた木の根に腰掛けた。
そして春鈴が出すカラカラという音を聞きながら、上から差し込む木漏れ日に目を細め、足から伝わる草のフカフカとした感触――それら全てをのんびりと堪能していた。
 
 ――鳥のさえずりと風の音しか聞こえない……そんな空間に、徐々に混ざり始める、ごきげんな春鈴の鼻歌。
 #____#本人に歌っている意識は無いようなのだが、その鼻歌にだんだんと歌声が混じり始めた頃、あることに気が付いた青年が呆れたよう肩をすくめながら声をかけた。
「――なぁ」
「んー?」
「……糸の所々にすでに色が付いているのはわざとなのか?」
 笑いをこらえたようなその指摘に、春鈴はピクリと肩を震わせるが、すぐさま表情を繕いつつ口を開く。
「――平気なの。 ……布になっちゃえば、このくらい目立たないものだから!」
「……それは平気というのか?」
「……今まで苦情とか言われたことないから……」
 青年の言葉に、春鈴は視線を揺らしながらポソポソと答える。
「……そうか。 ――ところで、なぜ色が付く?」
「――うっかり願い歌、歌っちゃうから……?」
「うっかり……――そもそも歌わないという選択肢は……?」
「だってクセみたいなもんだし……――糸持って作業してると、こう……歌わなきゃ! って使命感が……」
「そんな使命感があってたまるか……」
「そこまで心配しなくても、あなたが頼んだのはどっちも濃い色だから大丈夫だって!」
 春鈴の見当違いな言い分に、青年は(そういう話ではないのだが……?)と思いながらも、自分の害にならないのであれば良いか……と、苦笑いを浮かべながら大きく息を吐き出す。
「――薄い色は苦手そうだな?」
 青年の指摘に、春鈴はニヤリと悪い笑顔を浮かべながら、内緒話をするように声を潜める。
「――……稀糸だって、糸を継ぐ方法ぐらいあるんですゼ……?」
 春鈴からの答えに、青年は深いため息をつくと、無言のまま木の幹に背中を預けた。
 
「――……そういえば、あなたのことなんて呼べばいい? 私は春鈴」
 作業を再開した春鈴が、カラカラと音を立てながら青年にたずねる。
「……蒼嵐」
「蒼嵐様ね」
「――蒼嵐でいい」
「……いいの?」
 青年の身なりは、その者が決して低い身分の者ではないことを主張していた。
「そんなご大層な身分じゃないからな……」
「……んじゃ蒼嵐で」
その答えに疑問を感じないわけではなかったが、あまり敬語や尊敬語が得意ではなかった春鈴は、これ幸いと頷き、青年との会話を切り上げた。
 
――そして再び、いつの間にか鼻歌を歌いだし、糸に少々の色を付けながら糸を巻きつけるのだった――
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