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10. 園遊会
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小さい頃、父の手伝いで、実家から二キロ離れた街まで買い出しに行ったことがある。提灯作りに必要な糊の在庫が切れてしまい、間に合わせの分を買いにやらされたのだ。
あの日もたしか、冬の終わりのよく晴れた日だった。日差しがものすごく強くて、手にした糊のバケツが信じられないくらい重くて、帰り道が途方も無く遠く感じたのを、まるで昨日の事のように覚えている。
(そうか……この時間帯は、一番日差しが強かった)
昼下がりの、午後二時半。庭園には遅咲きの冬薔薇が見頃を迎えていた。私は汗のにじむ額に手をかざして、容赦ない陽光をさえぎりつつ辺りを見回す。
庭園は明るい太陽の下、薔薇にも負けない華やかなドレスをまとった貴婦人たちが、華奢なパラソルを手に軽やかな笑い声を立てていた。その隣には洗練された紳士が、まるで薔薇を支える支柱のようにように、貴婦人をエスコートしている。
ルイーズ様のパートナーとして園遊会に出席した私は、会場である南向きの中庭で炎天下にさらされながら、パラソルを持ってこなかった事を悔やんでいた。
(二時間程度だし、木陰もあるから大丈夫だと思ったんだけど、甘かった……)
手にしたレースのハンカチは、もやは絞っていない雑巾レベルにしとどに濡れている。おそらく念入りにしてもらった化粧も、汗でだいぶ崩れているに違いない。隣に立つ麗しいルイーズ様に対して、非常に申し訳なくも残念な姿になってしまってることだろう。
そんな私の正面には、先ほどから品良く着飾った年配のご婦人が、好奇心旺盛な様子でルイーズ様に話しかけていた。
「それで、こちらのご令嬢はどなたかしら? 初めてお目にかかりますわね」
私は曖昧に微笑んでみせた。これしかできないので仕方ない。そしてエスコートしてくれているルイーズ様を、すがるような目で見上げた。
「こちらは宰相の遠縁で、最近こちらで行儀見習いはじめたヨリ・クラルテ・ルミエライト伯爵令嬢です」
「まあ、あのルミエライト伯爵の……そうでしたの」
ご婦人はそれ以上何も聞いてこなかった。そりゃそうだ、ルミエライト伯爵令嬢なんて、適当に作り上げた肩書きだから知らなくて当然だ。そして、こちらから話題を振らないかぎり、会話もふくらみようがないのも、宰相様の計算通りだ。
「ところでお二人とも甘い物はお好きかしら。あちらのテーブルの焼き菓子が絶品ですわよ」
「では失礼して、僕らも少しいただこうか……君は甘い物が好きだったよね」
ルイーズ様の微笑みに応えるつもりで、私もにっこりと笑い返した。
「あら、仲睦まじいこと……」
ご婦人のからかいを含んだ声音に、どう反応するのが正解か分からず内心ヒヤヒヤする。しかし、一方のルイーズ様はまったく動じた様子もなく、華麗に私の手を取ると、件のテーブルへと歩き出した。当然引っぱられる形で、私も一緒に足を動かすが、困ったことになった。
「……私、食べませんよ?」
見上げるルイーズ様の横顔が、笑顔を消してこちらを見下ろす。
「君、甘い物好きじゃなかった?」
「好きですよ。でも今は無理です」
「少しくらいなら大丈夫だろう? 他の令嬢も食べているから、よく見てごらん」
暗に『ああいう感じに食べればいい』と言われたのだと思うが、別にマナーを気にして食べないわけじゃない。本当は言いたくなかったが、ここを譲る訳にはいかないので、正直に話すことにした。
「あの、実は食欲が無くて」
「え、具合でも悪いの?」
「……服がキツいんです」
ルイーズ様は一瞬おどろいたように目を見開いたと思ったら、今度は神妙な様子で視線を落とした。
「ならば、仕方ないな……」
「ええ……」
この仕方ない事情は、真新しいドレスの下でこれでもかと体を締め付けるコルセットに原因がある。別名『補正下着』と呼ばれ、体の線を無理やり変形させて、どうにか少しでも細い腰のラインを作り出す、悪魔のようなアイテムだ。
ドレスに似合うのは折れそうなくらい細い腰、という誤った先入観と、先人から受け継がれた悪習による固定観念から、ほぼすべての令嬢がこの苦行を強いられている。
(正直あと数センチ細くしても、見た目なんてたいして変わらないと思う)
美醜に関しては専門外だし、自分のセンスに特別自信があるわけでもないから、そっと心の中だけでつぶやいた。
(それに、体にも悪そうだわ……)
わざわざ仕事の合間を縫って着付けを手伝ってくれたノーラさんには申し訳ないけど、一刻も早く脱ぎ捨てたい気持ちでいっぱいだ。だって炎天下の中、この衣装……もといコルセットは拷問に近い。
おそらくルイーズ様は、私が目下直面しているかわいそうな事情を察してくれたみたいだけど、どの程度つらいのか実感はわかないだろう。コルセットとは、着けたことがある者しか、その真の苦しみが理解できないシロモノだ。
「ま、せっかく可愛く着飾ったんだから、少しは楽しめば。ケーキなんて、いつだって食べられるだろう」
「そう、ですね……」
あんな贅沢なケーキ、そうめったに口に出来るはずもないけど、それは黙っておこう。
私に付き合って、ルイーズ様もケーキに手をのばそうとはしなかった。代わりに、先ほどと比べて心持ち私を支えるように、腕の力が強くなる。ありがたく、体重をかけさせてもらうことにした。
「あと一周だけ回ったら、中に入ろう」
「……お願いします」
そんなわけで、庭園の散策コースをもう一度回ることになった。
「思ったより暑いな。木陰を選んで歩きたいところだが」
「この薔薇園には、灌木しかないですもんね……」
よく見ると、ルイーズ様の額にもうっすら汗がにじんでいた。装飾の多い長袖の上着に、襟元を飾る重そうなブローチ、きっちりしめたアスコットタイは、別の方向でつらそうだが、ルイーズ様は平然とした表情だ。社交界などというものに縁遠い私と違い、立場的にこういった装いに慣れているのだろう。
「ルイーズ殿下、お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりですね」
「ルイーズ殿下、本日はお招きいただきありがとうございます」
「ぜひ楽しんでいってください」
誰かとすれ違う度に、ルイーズ様は似たようなフレーズの儀礼的あいさつを返した。まるで壊れたオルゴールが、何度も同じ節を繰り返しているようで、その単調さにだんだん眠気すら覚えてきた。いや、これは貧血だろうか……体の真ん中あたりの、血の巡りが悪いせいか。
(つまらないな、園遊会……服はキツくて苦しいし)
「疲れた?」
ルイーズ様が、少し心配げに私の顔を覗きこむ。かなり化粧がはげてるから、あまり至近距離で見ないで欲しい。
「眠くなってきました」
「のん気だな、君は」
ルイーズ様は薔薇のアーチに近づくと、その影を落とす場所に誘導してくれた。
「少しはマシだろう」
「すいません……」
視界の端には、咲き終えて茶色く変色した花弁を下げる薔薇がうつった。まるで今の自分のようで、親近感すら覚える。
(あと半分で、ゴールだ……そうすれば中に戻れる。よし、あとひと踏んばりしよう)
こっそり気合を入れていると、背中から大きく晴れやかな声音が響いた。
「ルイーズ殿下、お久しぶりです」
「ああ、ゲネル隊長。君も来てたのか」
颯爽と現れたのは、やたら見栄えのする凛々しい騎士様だった。歳は宰相様くらいだろうか。精悍な顔立ちに短い黒髪がよく映え、爽やかな笑顔がやたら眩しい。
「連れはどうした。まさか一人で来たわけではないだろう」
「連れのシーラなら、向こうのテーブルで何か食べてますよ。昼飯食いっぱぐれたらしくて、助かったと申しておりました」
「お前たち付き合っていたのか」
「笑えない冗談はよしてください」
笑えないと言いつつ笑顔を絶やさない隊長さんは私に視線を向けると、うやうやしく手を差し出してきた。
「はじめまして、お嬢さん。ゲネル・マークリースと申します」
「……はじめまして」
ぎこちなく手を差し出す私に、ルイーズ様はそっとささやいた。
「ゲネルは第一ギルドの隊長だ。お前の立場を知っている、数少ない人間のひとりでもある」
それは大変だ、仕事中にたるんだ態度を見せたらまずい。あわてて表情をひきしめると、隊長さんは私の手を軽く握って微笑んだ。
「これはまた、ずいぶんとお可愛らしい勇者代理殿ですね」
汗だくで化粧崩れがシャレにならないであろう私に対して、最大級の賛辞を向けられた。お世辞と分かっているだけ、ちょっといたたまれない。
「やはり殿下も、陛下と同じ道をたどることになりそうですね」
「黙れ、まだそうとは決まってない」
(何の話だろう?)
私の疑問は、正直に顔に出ていたようだ。隊長さんはフフ、と意味深な笑いを漏らすと、そっと小声でささやく。
「勇者代理のお嬢さん、ご存知ですか? 現国王陛下は、当時ご自分の勇者代理だった方を、お嫁さんに迎えたんですよ」
「は……」
それは、初耳だ。隣のルイーズ様を、そっとうかがうと、なぜか耳まで真っ赤にしていた。
「あまり余計なこと言うな。父の場合とは違う」
「ま、そうかもしれませんね」
隊長はあっさり引くも、ルイーズ様は渋面を浮かべている。かなり癇に障ったらしい……きっと、私に勘違いされたくないのだろう。
(いや、そりゃそうだよなあ……私は代理のパートナーだもんね)
やや気落ちする私に、隊長さんはやさしく語りかけてきた。
「ギルドはもともと魔物討伐を生業とする、叩き上げの猛者ばかりなもので……つい無作法な口をきいて、不快な思いをさせてしまったらすいません」
「あ、いいえ。私も、皆さんと似たようなものです。高貴な方々の常識もマナーもよく分かってない、田舎育ちですから」
「田舎ってどちらの?」
「ナーダムです」
「ああ、山間の自然豊かないい場所ですよね。あの辺りにギルドが無いのが、いまだに少々不思議なくらいですよ」
隊長さんの言うと通り、私の故郷ナーダムにはギルドがないため、あまりなじみがない。ギルドの歴史については、この王宮に来たばかりの頃、宰相様に渡された本と資料で大まかに学んだだけだ。
(たしか昔のギルドは、魔物討伐を目的に集まった剣士や武闘集団で、身分や国籍を問わない自由組織だったって書いてあったな……)
しかし後に魔物の増加が加速した為、国家レベルで対処しなくてはいけない問題に発展し、結果ギルドは国の管轄となって再構築された。ギルドは第一部隊を筆頭に、順次構成されている。その第一隊長ともなれば、まさにギルドのトップと言えるポジションだ。
「それで。今日ここに顔を出した理由はなんだ」
「もちろん、ただお茶を飲みにやってきたわけじゃないですよ」
ルイーズ様と隊長さんの間に、どこか緊張感をはらんだ空気が流れた。
(一体なんの話だろう……私ここにいて、聞いてていいのかな……?)
あの日もたしか、冬の終わりのよく晴れた日だった。日差しがものすごく強くて、手にした糊のバケツが信じられないくらい重くて、帰り道が途方も無く遠く感じたのを、まるで昨日の事のように覚えている。
(そうか……この時間帯は、一番日差しが強かった)
昼下がりの、午後二時半。庭園には遅咲きの冬薔薇が見頃を迎えていた。私は汗のにじむ額に手をかざして、容赦ない陽光をさえぎりつつ辺りを見回す。
庭園は明るい太陽の下、薔薇にも負けない華やかなドレスをまとった貴婦人たちが、華奢なパラソルを手に軽やかな笑い声を立てていた。その隣には洗練された紳士が、まるで薔薇を支える支柱のようにように、貴婦人をエスコートしている。
ルイーズ様のパートナーとして園遊会に出席した私は、会場である南向きの中庭で炎天下にさらされながら、パラソルを持ってこなかった事を悔やんでいた。
(二時間程度だし、木陰もあるから大丈夫だと思ったんだけど、甘かった……)
手にしたレースのハンカチは、もやは絞っていない雑巾レベルにしとどに濡れている。おそらく念入りにしてもらった化粧も、汗でだいぶ崩れているに違いない。隣に立つ麗しいルイーズ様に対して、非常に申し訳なくも残念な姿になってしまってることだろう。
そんな私の正面には、先ほどから品良く着飾った年配のご婦人が、好奇心旺盛な様子でルイーズ様に話しかけていた。
「それで、こちらのご令嬢はどなたかしら? 初めてお目にかかりますわね」
私は曖昧に微笑んでみせた。これしかできないので仕方ない。そしてエスコートしてくれているルイーズ様を、すがるような目で見上げた。
「こちらは宰相の遠縁で、最近こちらで行儀見習いはじめたヨリ・クラルテ・ルミエライト伯爵令嬢です」
「まあ、あのルミエライト伯爵の……そうでしたの」
ご婦人はそれ以上何も聞いてこなかった。そりゃそうだ、ルミエライト伯爵令嬢なんて、適当に作り上げた肩書きだから知らなくて当然だ。そして、こちらから話題を振らないかぎり、会話もふくらみようがないのも、宰相様の計算通りだ。
「ところでお二人とも甘い物はお好きかしら。あちらのテーブルの焼き菓子が絶品ですわよ」
「では失礼して、僕らも少しいただこうか……君は甘い物が好きだったよね」
ルイーズ様の微笑みに応えるつもりで、私もにっこりと笑い返した。
「あら、仲睦まじいこと……」
ご婦人のからかいを含んだ声音に、どう反応するのが正解か分からず内心ヒヤヒヤする。しかし、一方のルイーズ様はまったく動じた様子もなく、華麗に私の手を取ると、件のテーブルへと歩き出した。当然引っぱられる形で、私も一緒に足を動かすが、困ったことになった。
「……私、食べませんよ?」
見上げるルイーズ様の横顔が、笑顔を消してこちらを見下ろす。
「君、甘い物好きじゃなかった?」
「好きですよ。でも今は無理です」
「少しくらいなら大丈夫だろう? 他の令嬢も食べているから、よく見てごらん」
暗に『ああいう感じに食べればいい』と言われたのだと思うが、別にマナーを気にして食べないわけじゃない。本当は言いたくなかったが、ここを譲る訳にはいかないので、正直に話すことにした。
「あの、実は食欲が無くて」
「え、具合でも悪いの?」
「……服がキツいんです」
ルイーズ様は一瞬おどろいたように目を見開いたと思ったら、今度は神妙な様子で視線を落とした。
「ならば、仕方ないな……」
「ええ……」
この仕方ない事情は、真新しいドレスの下でこれでもかと体を締め付けるコルセットに原因がある。別名『補正下着』と呼ばれ、体の線を無理やり変形させて、どうにか少しでも細い腰のラインを作り出す、悪魔のようなアイテムだ。
ドレスに似合うのは折れそうなくらい細い腰、という誤った先入観と、先人から受け継がれた悪習による固定観念から、ほぼすべての令嬢がこの苦行を強いられている。
(正直あと数センチ細くしても、見た目なんてたいして変わらないと思う)
美醜に関しては専門外だし、自分のセンスに特別自信があるわけでもないから、そっと心の中だけでつぶやいた。
(それに、体にも悪そうだわ……)
わざわざ仕事の合間を縫って着付けを手伝ってくれたノーラさんには申し訳ないけど、一刻も早く脱ぎ捨てたい気持ちでいっぱいだ。だって炎天下の中、この衣装……もといコルセットは拷問に近い。
おそらくルイーズ様は、私が目下直面しているかわいそうな事情を察してくれたみたいだけど、どの程度つらいのか実感はわかないだろう。コルセットとは、着けたことがある者しか、その真の苦しみが理解できないシロモノだ。
「ま、せっかく可愛く着飾ったんだから、少しは楽しめば。ケーキなんて、いつだって食べられるだろう」
「そう、ですね……」
あんな贅沢なケーキ、そうめったに口に出来るはずもないけど、それは黙っておこう。
私に付き合って、ルイーズ様もケーキに手をのばそうとはしなかった。代わりに、先ほどと比べて心持ち私を支えるように、腕の力が強くなる。ありがたく、体重をかけさせてもらうことにした。
「あと一周だけ回ったら、中に入ろう」
「……お願いします」
そんなわけで、庭園の散策コースをもう一度回ることになった。
「思ったより暑いな。木陰を選んで歩きたいところだが」
「この薔薇園には、灌木しかないですもんね……」
よく見ると、ルイーズ様の額にもうっすら汗がにじんでいた。装飾の多い長袖の上着に、襟元を飾る重そうなブローチ、きっちりしめたアスコットタイは、別の方向でつらそうだが、ルイーズ様は平然とした表情だ。社交界などというものに縁遠い私と違い、立場的にこういった装いに慣れているのだろう。
「ルイーズ殿下、お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりですね」
「ルイーズ殿下、本日はお招きいただきありがとうございます」
「ぜひ楽しんでいってください」
誰かとすれ違う度に、ルイーズ様は似たようなフレーズの儀礼的あいさつを返した。まるで壊れたオルゴールが、何度も同じ節を繰り返しているようで、その単調さにだんだん眠気すら覚えてきた。いや、これは貧血だろうか……体の真ん中あたりの、血の巡りが悪いせいか。
(つまらないな、園遊会……服はキツくて苦しいし)
「疲れた?」
ルイーズ様が、少し心配げに私の顔を覗きこむ。かなり化粧がはげてるから、あまり至近距離で見ないで欲しい。
「眠くなってきました」
「のん気だな、君は」
ルイーズ様は薔薇のアーチに近づくと、その影を落とす場所に誘導してくれた。
「少しはマシだろう」
「すいません……」
視界の端には、咲き終えて茶色く変色した花弁を下げる薔薇がうつった。まるで今の自分のようで、親近感すら覚える。
(あと半分で、ゴールだ……そうすれば中に戻れる。よし、あとひと踏んばりしよう)
こっそり気合を入れていると、背中から大きく晴れやかな声音が響いた。
「ルイーズ殿下、お久しぶりです」
「ああ、ゲネル隊長。君も来てたのか」
颯爽と現れたのは、やたら見栄えのする凛々しい騎士様だった。歳は宰相様くらいだろうか。精悍な顔立ちに短い黒髪がよく映え、爽やかな笑顔がやたら眩しい。
「連れはどうした。まさか一人で来たわけではないだろう」
「連れのシーラなら、向こうのテーブルで何か食べてますよ。昼飯食いっぱぐれたらしくて、助かったと申しておりました」
「お前たち付き合っていたのか」
「笑えない冗談はよしてください」
笑えないと言いつつ笑顔を絶やさない隊長さんは私に視線を向けると、うやうやしく手を差し出してきた。
「はじめまして、お嬢さん。ゲネル・マークリースと申します」
「……はじめまして」
ぎこちなく手を差し出す私に、ルイーズ様はそっとささやいた。
「ゲネルは第一ギルドの隊長だ。お前の立場を知っている、数少ない人間のひとりでもある」
それは大変だ、仕事中にたるんだ態度を見せたらまずい。あわてて表情をひきしめると、隊長さんは私の手を軽く握って微笑んだ。
「これはまた、ずいぶんとお可愛らしい勇者代理殿ですね」
汗だくで化粧崩れがシャレにならないであろう私に対して、最大級の賛辞を向けられた。お世辞と分かっているだけ、ちょっといたたまれない。
「やはり殿下も、陛下と同じ道をたどることになりそうですね」
「黙れ、まだそうとは決まってない」
(何の話だろう?)
私の疑問は、正直に顔に出ていたようだ。隊長さんはフフ、と意味深な笑いを漏らすと、そっと小声でささやく。
「勇者代理のお嬢さん、ご存知ですか? 現国王陛下は、当時ご自分の勇者代理だった方を、お嫁さんに迎えたんですよ」
「は……」
それは、初耳だ。隣のルイーズ様を、そっとうかがうと、なぜか耳まで真っ赤にしていた。
「あまり余計なこと言うな。父の場合とは違う」
「ま、そうかもしれませんね」
隊長はあっさり引くも、ルイーズ様は渋面を浮かべている。かなり癇に障ったらしい……きっと、私に勘違いされたくないのだろう。
(いや、そりゃそうだよなあ……私は代理のパートナーだもんね)
やや気落ちする私に、隊長さんはやさしく語りかけてきた。
「ギルドはもともと魔物討伐を生業とする、叩き上げの猛者ばかりなもので……つい無作法な口をきいて、不快な思いをさせてしまったらすいません」
「あ、いいえ。私も、皆さんと似たようなものです。高貴な方々の常識もマナーもよく分かってない、田舎育ちですから」
「田舎ってどちらの?」
「ナーダムです」
「ああ、山間の自然豊かないい場所ですよね。あの辺りにギルドが無いのが、いまだに少々不思議なくらいですよ」
隊長さんの言うと通り、私の故郷ナーダムにはギルドがないため、あまりなじみがない。ギルドの歴史については、この王宮に来たばかりの頃、宰相様に渡された本と資料で大まかに学んだだけだ。
(たしか昔のギルドは、魔物討伐を目的に集まった剣士や武闘集団で、身分や国籍を問わない自由組織だったって書いてあったな……)
しかし後に魔物の増加が加速した為、国家レベルで対処しなくてはいけない問題に発展し、結果ギルドは国の管轄となって再構築された。ギルドは第一部隊を筆頭に、順次構成されている。その第一隊長ともなれば、まさにギルドのトップと言えるポジションだ。
「それで。今日ここに顔を出した理由はなんだ」
「もちろん、ただお茶を飲みにやってきたわけじゃないですよ」
ルイーズ様と隊長さんの間に、どこか緊張感をはらんだ空気が流れた。
(一体なんの話だろう……私ここにいて、聞いてていいのかな……?)
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