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1. 就職活動は甘くない

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 ナーダム郊外で提灯屋を営んでいる両親は、兄が『店を継ぐ』と決意表明した瞬間から、ガラリと態度を変えた。

「ヨリ、あんたはどうするつもり?」

 驚いた。ついこの間まで『ゆくゆくは店を継いで欲しい』と言ってたのに、十年前に家を飛び出した放蕩息子の長男が突然嫁を連れて帰ってきて、しかも実家を継ぐと宣言した途端コレだ。

(甘かったか……このまま親の敷いたレールを走っていけると信じてたのに)

 本日、私ことヨリ・クラルテの人生列車は、予期せぬ兄の帰郷により、見事に脱線した。





 そんな私は、ここナーダム地方の田舎町で生まれ育った。
 曽祖父の代から続く家業の提灯屋は、細々とだが堅実に商いを続けてきた。山間に位置するうちの店は、山越えする旅人にとって欠かせない提灯を売っている。そのため我が家は、決して裕福ではないものの、平穏で穏やかな暮らしを送ってきた。

 だがその平穏をかき乱したのは、店の後継と期待された兄の家出だった。そして当然のように、私にお鉢が回ってきた。
 そのため十八歳まで通った町の学校では、将来店を継ぐことを視野に入れて、特に好きでもない算術の勉強に心血を注いだ。そのかいあってか、学校を卒業してからこの二年間、店の帳簿付けは私の役目だった。
 だが兄の帰還により、事態は一変した。

「ロイ、あんたのお嫁さんすごいわねえ。王都の大学を出たんですって!?」
「ああ、だから店の資金繰りとか安心して任せておけるよ」

 負けた。戦わずして勝敗がついてしまった。優秀な兄嫁は、ここシェルベルン国の王都にある某有名大学で経営学やら経理やらいろいろ学んだらしく、帳簿付けができるどころの騒ぎではなかった……。
 私が軽いショックを受けてると、隣の兄にポンと肩を叩かれた。

「ヨリ、今まで悪かったな」
「……お兄ちゃん?」
「でも、これからは俺たち夫婦で店を切り盛りするから、お前は好きなことをしていいんだぞ」
「好きなこと?」

 向かいに座る両親もウンウンとうれしそうに同意を示す。

「ヨリにはいろいろ苦労かけたなあ。年頃の娘なのに、店の手伝いばかりさせちまって」
「本当にね。でもこれからは気がねなく恋人とデートしたり、自由に遊びに出掛けたりしていいのよ」
「お母さん……私、恋人いないんだけど」
「やあねえ、まだ若いんだもの。これからいくらでも出来るわよ!」

 両親も兄も『大丈夫、大丈夫』とのんきに笑っているが、これまで学校に通う以外、店番か帳簿付けか提灯作りの手伝いばかりしていたのだ。洒落っ気も男友達もいない、凡庸な容姿の田舎娘が『いくらでも』恋人をつくれるわけがない。

(男の子とデート経験すらがない私が、いきなり恋人とか難易度高すぎだよ!)

 じわじわと怒りがこみ上げてくるも、それを家族にぶつける気にはなれなかった。だってみんなの顔を見れば、これっぽっちも悪気が無いのがよく分かる。

「とにかく、ヨリはこれからだ。まずは好きな仕事について、自由な独身生活を楽しめばいいさ」
「ええ。でももちろん、誰か素敵な人に出会って、すぐにでも結婚したいっていうなら、それでも構わないのよ? お式の準備ならお母さんにまかせなさい」
「相変わらず母さんは気が早いなあ。ヨリ、まずは求人募集でもチェックしてみたらどうだ。町役場で聞いてみるといい」
「……うん、そうだね……」

 家族からあれこれ提案されたものの、私はどれもピンとこなくて、曖昧にうなずくしかなかった。

 それから話題は、兄夫婦の結婚式になった。兄たちによると、婚姻届けはすでに提出済みらしいが、まだ正式な挙式をあげてないらしい。
 すでに打ち解けモードの嫁と姑は、さっそく明日から式の準備をはじめようと盛り上がっている。方や私は、さっそく明日から職探しに出かけることになった。

「大丈夫よ。ヨリは頭もいいし若いもの。すぐにいい仕事が見つかるわよ」





 だか職探しをはじめて二週間過ぎても、仕事は見つからなかった。

(世間では、どこも慢性的な人手不足で困ってるって聞くのに……)

 ナーダム地区に限って違うようだ。仕事なんてそのうち見つかるさ、と高くくってたらとんでもない。
 両親も最初こそ『ゆっくり好きな仕事を探すといい』と言ってたけど、次第に『少しでも興味があれば』となり、最近では『雇ってもらえるならどこでも』とせっつくようになった。

(このままどこにも雇ってもらえなかったら、どうしよう……)

 町役場の求人募集を確認し、少しでも可能性のある働き口に履歴書を送ってみるのだが、悲しいことにまだ一度も面接にすらこぎつけていない。
 職探しの合間はやることもないので、店を手伝おうとすると『そんな暇があったら町役場へ行ってこい』と言われる。収入も無ければ、家の仕事も手伝えず、ただ毎日三度のご飯を食べるだけ。今や私は、完全にこの家のごくつぶしだ。

 そうして職探しをはじめて一か月が過ぎようとした頃。
 夕食の席で、肩身がせまい思いをしながらスープをすすっていたら、向かいに座る兄が「そうだ」と名案を思いついたとばかり手を叩いた。

「王都に行けば、もっと職の口があるんじゃないか」

 兄のひと言で、私の王都行きが瞬時に決定した。
 両親はうれしそうに『旅費と滞在費なら心配するな』という。だが馬車で片道十時間以上かかる王都へ向かうのは、正直不安しかない。

「せっかくだから、旅行がてら少し足をのばして職探ししてもいいんじゃないか?」
「それにヨリ、あなた王都ははじめてじゃないでしょ」
「え、ヨリって王都へ行ったことあるんだ?」

 兄は身を乗り出して興味を示す。すると母は、何度口にしたか分からない自慢話をはじめた。

「ほら、この子ってば、学校で算術が一番だったでしょ。だから王都のお城で開かれた算術大会に、ナーダム地区代表で参加したのよ。すごいでしょ」
「へえ、地味……ゴホゴホ、すごいじゃないかヨリ。兄として鼻が高いよ。じゃあ一人でも大丈夫だな」

 それで、どうして『じゃあ一人でも大丈夫』って話になるのか謎だ。

(それに算術大会って、子どもの頃の話なんだけど)

 しかも学校の先生も同行したから、別に一人で行ったわけじゃない。こんな理屈で、世間知らずの田舎娘をたった一人で上京させるとか酷すぎる。
 さすがに黙ってしまった私に、向かいの兄嫁が遠慮がちに口を開いた。

「でも女の子ひとりじゃ、きっと不安ですわ。王都はあまり治安が良くないですもの。それに近ごろは、王都の周りでも魔物が出るって噂も聞きますし」
「そうなの? やっぱりヨリを一人で行かせるのは、やめたほうがいいかしらね……」

 兄嫁の話に、母は顔を曇らせる。ふつう魔物は山や森の奥にいて、人の多い場所には近づかないはずなのに、まさか王都のそばで目撃されたとは驚きだ。

「物騒な世の中になったな。魔物が人里にも出没するようになったなんて」
「その代わり、うちの魔除けの提灯は売れ行きいいけどねえ……」

 魔物は火を怖がるという定説がある為、代々うちの店では『魔除けの提灯』と称して、山越えする旅人相手に商売してきた。
 王都の魔物事情を心配する両親に対して、兄は危機感の無いのんきな顔で笑ってみせた。

「王都にはギルドがあるから、魔物なんて入ってこれないよ」

 ギルドは対魔物に特化した治安部隊で、王都を中心に主要な都市に配備されている。ちなみにナーダム地区にはギルドが存在しないので、あまり馴染みはない。それでも両親は『ギルドがあるなら安心だ』と言いはじめた。

「ギルドの近くに下宿すればいいんじゃない」と母が言えば、
「かえってここより王都のほうが安全かもしれないな」と父も賛同する。

 私は否定も肯定もできないまま呆然としていると、隣の兄にポンポンと肩を叩かれた。

「だってさ。よかったな、ヨリ」
「……うん」

 兄も両親も、どうしても私を王都へ行かせたいらしい。





 そんなわけで私は、乗り合い馬車で丸一日かけて、はるばる王都グランダールにやってきた。
 馬車から降りた私は、これまで見たこともない光景に衝撃を受けた。通りには見たこともない大きな建物が立ち並び、大勢の人間で溢れかえっていて、まるで別世界だ。

(なんだか仕事の口もたくさんありそう……!)

 久しぶりに前向きな気持ちになれただけでも、王都にやってきたかいがあったというものだ。

(もうこうなったら、なんとしても王都で仕事を見つけて、人生を再設計しなくては)

 そう思ったら居ても立っても居られず、一刻も早く求人募集を確認したくて、旅行鞄を抱えたまま市役所へ向かった。
 まずは、私にできそうな仕事ならなんでもいい。選り好みしない。そう決めた。

(お金を稼いで自立できたら、改めて本当にやりたいことを探そう)

 グランダールの市役所は、ナーダムの町役場とは比べものにならないくらい大きかった。しかし職業斡旋事業課は、壁一面に求人募集の貼り出されていて、規模の差こそあれ町役場とそう大佐は無く、どこかホッとした。
 だが求人のほとんどが、日雇いの建築現場での仕事で、条件は十八~四十歳くらいまでの体力に自信のある男性と書かれていた。健康には自信があるが、さすがに性別は偽れない。

(初日から、そう簡単に見つからないか……)

 そろそろ日も暮れる頃だし、明日にでも出直してこよう……そう思って踵を返そうとした時、ある貼り紙に目がとまった。そこには『仕事求む』と書かれている。よく見ると、壁の右半分は求人募集だが、左半分は仕事求むと書かれた紙が数多く貼られていた。

(へえ、私みたいに仕事を探してる人が、こんなにたくさんいるのか)

 自分の特技や希望条件等が、所定の用紙に自由に書かれている。記入用紙は壁際に置かれた小さなデスクに束になって積まれていた。このようなシステムは、ナーダムの町役場にはなかった。

(せっかくだから、私も書いてみようかな)

 まずは名前と滞在先の宿名を、次に特技と自己アピールを書く。手のひらほどの小さな紙片を、ていねいな字で埋めていく。
 そうして記入した用紙を空いているスペースに貼ると、祈るような気持ちで壁に向かって一礼した。

(どうか、誰かの目にとまってくれますように……!)

 ほんの数秒の間をおいて、ゆっくり顔を上げてみると……ちょうど白い手袋が目の前を横切って、貼ったばかりの紙を剥がされてしまった。

「ふーん……『ヨリ・クラルテ、二十歳、女性、特技は算術、算術大会優勝経験有、体力に自信有』……なるほど」

 私は口をポカンと開けたまま、隣に立つ白いマント姿の男を見上げた。歳は二十を少し過ぎたくらいだろうか、羽根飾りのついたつばの広い優美な帽子を目深にかぶっている。帽子の下からのぞく高い鼻と細い顎がツンと澄ました印象で、どことなく近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
 呆けたように男の横顔を眺めていると、顎の線で切りそろえられた白い髪がサラリと揺れて、きつい印象の切れ長の瞳が向けられた。

「これ、君のことであってる?」
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