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第二部
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翌日の昼下がり。テオドアは、ホテルに併設されたバーで、遅い昼食をかきこんでいた。
時間外だったが、フロントに頼んでみると快く店内へ案内され、さらに簡単な食事まで用意してもらえた。
「今頃になって昼メシか」
「……っス」
断りもなくカウンター席の隣に座ったのは、キンバリー少佐だった。いつものように隙なく、かっちりとスーツを着込み、黒髪もセットしている。しかし紳士然とした身なりでも、頬に貼られたサージカルテープのせいで、どこか滑稽な痛々しさがにじみ出ていた。
キンバリーはバーテンダーにコーヒーを注文すると、手荷物を足元に置きながらテオドアをチラリと見やった。
「荷物はもうまとめてあるのか」
「ええ」
テオドアと大佐は、休暇と称したこの旅を早々に切り上げ、今夜の列車で帝都へ戻ることになった。
(結局、ただの仕事だったな)
観光らしい観光といえば、このホテルの近所を半日歩いたくらいだ。それも結果的には、ターゲットを誘き寄せる格好の餌になったに過ぎない。
「……なんだ、その目は」
「あんた、分かってて俺を囮につかったんだろ」
「当たり前だ。役に立たなくてどうする」
キンバリーは悪びれず、すがすがしいくらいキッパリ言いきった。この男はぶれない。どちらかと言えば、旅行だと騙して連れ出した大佐のほうが、よほど分かりにくくてタチが悪いと言える。
無事に旅の目的を果たしたのだから、さっさと次の行動に移るだけ。キンバリーは、このまま一人北の砦へ向かうらしい。無駄を嫌い、合理性だけ追求しそうな男だと、テオドアはあきれを通り越して感心する。
ただひとつだけ、本人に直接たしかめておきたい事があった。
「……なんだその目は」
「いや、その、ケガとか大丈夫なのか」
目に見える傷は頬の裂傷だけのようだが、体の見えない部分もケガをしている可能性だってある。ましてやあの男……デイヴィスの言葉が気になっていた。
二人かがりで襲われたとすれば、キンバリーだってかなりの負担を強いられたはずだ。
しかしキンバリーは、鼻の頭にシワを寄せると、予想外の方向へ話をもっていく。
「久しぶりに、大佐のこぶしをくらったからな。しかも本気の一発だった」
「えっ、それ大佐がやったのか? あの連中じゃなくて?」
「ふん。あんな雑魚相手、かすり傷だって負うものか」
テオドアは驚きを隠せないまま、苦虫をつぶしたような表情を浮かべた男の横顔をまじまじと見つめる。相手は嫌そうに肩をすくめると、さらに予想外の言葉を口にした。
「悪かったな、危険な目に合わせて」
「はっ……え?」
「大佐がお前に謝れと。たしかに、あと少し遅ければ、お前はあの男の慰み者にされていたからな」
「まあ、そうかもな」
「なんだ、やけにあっさりしてるな」
「いや、それは事実だろうから。まあ、やられっぱなしのつもりはなかったけどな。相手の実力は分からねえが、あいつが満足した隙をついて、何か反撃してたかも……」
「おい」
キンバリーはテオドアの話をさえぎると、つり目がちの目をますますつり上げる。
「貴様……間違っても今話したことは、あの方に言うなよ?」
「え?」
「え、じゃない。さすがの俺も、二発目のこぶしは遠慮したい。分かったか?」
テオドアは反論はせず、神妙な顔でうなずいておいた。
「それだけ執着されといて、のんきなものだ。まあ好きにしろ、忠告はしといたからな」
「……好きにしろって、あんたはそれでいいのか?」
つい、テオドアは聞いてしまったが、すぐに失言だったことに気づいた。
「どういう意味だ」
「いや、あんたは大佐と俺の……その、仲を認めたくなかったんだろ?」
「今も認めたくない。が、あの方は本気のようだから、余計な口出しするのはやめだ」
予想に反した男の柔軟な態度に、テオドアは拍子抜けする。
(こいつ、大佐に気があるんじゃなかったのかよ?)
出会いは最悪で、陰湿な嫌がらせも受け、さらにこの期に及んで認めたくないとくる。嫉妬に狂った男の態度に違いない、と踏んでいたが思い過ごしだったのか。大佐の言う通り、脳筋のテオドアに嫌悪感を抱いていたのか、はたまた大佐の信奉者だからなのか。
キンバリーはコーヒーをひと口すすると、咳払いをして口を開く。
「ところで……この酒だが」
「ん?」
キンバリーは足元に置かれた袋から、一本の酒を取り出した。手渡された酒瓶のラベルには、東国の文字が刻まれている。
「この地方の地酒だ」
「ああ、そのようだが……」
「俺が北の砦へ異動になったいきさつだか」
「ん?」
キンバリーは顔こそ平然とした表情を浮かべているが、カウンターに置かれた指先が、少し落ち着きなくトントンとリズムを刻んでいる。
「ある男の代わりに、俺が申し出たんだが……そいつがやけに気にしててな。俺は別に構わんといったのに」
「……」
「まあ、あまりにも気に病んでたものだから、多少気にはなってる。だからこの酒を、そいつに渡してもらいたい」
「……誰に渡せばいいんだ?」
「クリフトン大尉だ」
テオドアは意表を突かれて、酒瓶を手にしたまま固まった。言われてみれば以前、昇進祝いをかねた飲みに行った時に、北の砦へ異動させられる可能性があったと、本人から直接聞いたおぼえがある。
「え、じゃああんた、クリフトン大尉の代わりに?」
「仕方なく、だ。でなければあの男は、せっかく巡ってきた出世のチャンスを断ろうとしたからな」
「……」
「とにかく、異動を交代したのは俺の意思で決めたことだ。その酒でも飲んで忘れろ、と言っとけ」
テオドアは、ここでようやく事態が飲みこめた。この男に嫉妬されていた点は間違ってない。ただ相手が大佐ではなかった。
(クリフトン大尉は、こいつの気持ち知ってんのかな……)
クリフトンならば、相手の気持ちを知っていたら、異動を交代する件も断りそうだ。知っていて両思いならば、なおさらの事。つまりキンバリーの片思いであることは疑いようもなかった。
あの気の良い酒好きの上官は、聡いようで案外にぶそうだと、失礼なことを考えたテオドアだった。
時間外だったが、フロントに頼んでみると快く店内へ案内され、さらに簡単な食事まで用意してもらえた。
「今頃になって昼メシか」
「……っス」
断りもなくカウンター席の隣に座ったのは、キンバリー少佐だった。いつものように隙なく、かっちりとスーツを着込み、黒髪もセットしている。しかし紳士然とした身なりでも、頬に貼られたサージカルテープのせいで、どこか滑稽な痛々しさがにじみ出ていた。
キンバリーはバーテンダーにコーヒーを注文すると、手荷物を足元に置きながらテオドアをチラリと見やった。
「荷物はもうまとめてあるのか」
「ええ」
テオドアと大佐は、休暇と称したこの旅を早々に切り上げ、今夜の列車で帝都へ戻ることになった。
(結局、ただの仕事だったな)
観光らしい観光といえば、このホテルの近所を半日歩いたくらいだ。それも結果的には、ターゲットを誘き寄せる格好の餌になったに過ぎない。
「……なんだ、その目は」
「あんた、分かってて俺を囮につかったんだろ」
「当たり前だ。役に立たなくてどうする」
キンバリーは悪びれず、すがすがしいくらいキッパリ言いきった。この男はぶれない。どちらかと言えば、旅行だと騙して連れ出した大佐のほうが、よほど分かりにくくてタチが悪いと言える。
無事に旅の目的を果たしたのだから、さっさと次の行動に移るだけ。キンバリーは、このまま一人北の砦へ向かうらしい。無駄を嫌い、合理性だけ追求しそうな男だと、テオドアはあきれを通り越して感心する。
ただひとつだけ、本人に直接たしかめておきたい事があった。
「……なんだその目は」
「いや、その、ケガとか大丈夫なのか」
目に見える傷は頬の裂傷だけのようだが、体の見えない部分もケガをしている可能性だってある。ましてやあの男……デイヴィスの言葉が気になっていた。
二人かがりで襲われたとすれば、キンバリーだってかなりの負担を強いられたはずだ。
しかしキンバリーは、鼻の頭にシワを寄せると、予想外の方向へ話をもっていく。
「久しぶりに、大佐のこぶしをくらったからな。しかも本気の一発だった」
「えっ、それ大佐がやったのか? あの連中じゃなくて?」
「ふん。あんな雑魚相手、かすり傷だって負うものか」
テオドアは驚きを隠せないまま、苦虫をつぶしたような表情を浮かべた男の横顔をまじまじと見つめる。相手は嫌そうに肩をすくめると、さらに予想外の言葉を口にした。
「悪かったな、危険な目に合わせて」
「はっ……え?」
「大佐がお前に謝れと。たしかに、あと少し遅ければ、お前はあの男の慰み者にされていたからな」
「まあ、そうかもな」
「なんだ、やけにあっさりしてるな」
「いや、それは事実だろうから。まあ、やられっぱなしのつもりはなかったけどな。相手の実力は分からねえが、あいつが満足した隙をついて、何か反撃してたかも……」
「おい」
キンバリーはテオドアの話をさえぎると、つり目がちの目をますますつり上げる。
「貴様……間違っても今話したことは、あの方に言うなよ?」
「え?」
「え、じゃない。さすがの俺も、二発目のこぶしは遠慮したい。分かったか?」
テオドアは反論はせず、神妙な顔でうなずいておいた。
「それだけ執着されといて、のんきなものだ。まあ好きにしろ、忠告はしといたからな」
「……好きにしろって、あんたはそれでいいのか?」
つい、テオドアは聞いてしまったが、すぐに失言だったことに気づいた。
「どういう意味だ」
「いや、あんたは大佐と俺の……その、仲を認めたくなかったんだろ?」
「今も認めたくない。が、あの方は本気のようだから、余計な口出しするのはやめだ」
予想に反した男の柔軟な態度に、テオドアは拍子抜けする。
(こいつ、大佐に気があるんじゃなかったのかよ?)
出会いは最悪で、陰湿な嫌がらせも受け、さらにこの期に及んで認めたくないとくる。嫉妬に狂った男の態度に違いない、と踏んでいたが思い過ごしだったのか。大佐の言う通り、脳筋のテオドアに嫌悪感を抱いていたのか、はたまた大佐の信奉者だからなのか。
キンバリーはコーヒーをひと口すすると、咳払いをして口を開く。
「ところで……この酒だが」
「ん?」
キンバリーは足元に置かれた袋から、一本の酒を取り出した。手渡された酒瓶のラベルには、東国の文字が刻まれている。
「この地方の地酒だ」
「ああ、そのようだが……」
「俺が北の砦へ異動になったいきさつだか」
「ん?」
キンバリーは顔こそ平然とした表情を浮かべているが、カウンターに置かれた指先が、少し落ち着きなくトントンとリズムを刻んでいる。
「ある男の代わりに、俺が申し出たんだが……そいつがやけに気にしててな。俺は別に構わんといったのに」
「……」
「まあ、あまりにも気に病んでたものだから、多少気にはなってる。だからこの酒を、そいつに渡してもらいたい」
「……誰に渡せばいいんだ?」
「クリフトン大尉だ」
テオドアは意表を突かれて、酒瓶を手にしたまま固まった。言われてみれば以前、昇進祝いをかねた飲みに行った時に、北の砦へ異動させられる可能性があったと、本人から直接聞いたおぼえがある。
「え、じゃああんた、クリフトン大尉の代わりに?」
「仕方なく、だ。でなければあの男は、せっかく巡ってきた出世のチャンスを断ろうとしたからな」
「……」
「とにかく、異動を交代したのは俺の意思で決めたことだ。その酒でも飲んで忘れろ、と言っとけ」
テオドアは、ここでようやく事態が飲みこめた。この男に嫉妬されていた点は間違ってない。ただ相手が大佐ではなかった。
(クリフトン大尉は、こいつの気持ち知ってんのかな……)
クリフトンならば、相手の気持ちを知っていたら、異動を交代する件も断りそうだ。知っていて両思いならば、なおさらの事。つまりキンバリーの片思いであることは疑いようもなかった。
あの気の良い酒好きの上官は、聡いようで案外にぶそうだと、失礼なことを考えたテオドアだった。
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