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第一部

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 プラント准尉の退役について誰もが知るところとなった頃、テオドアの異動先については未だ不透明のままだった。
 テオドアは、いつものように執務室にひとり居残って残業をしながら、今後の見通しが立たずに頭を悩ませる。
 補佐官とは、どういう基準で評価されるのだろうか。テオドアが准尉補佐として務めたのは三か月足らずで、あまりにも短い。
 補佐官は特筆すべき任務は与えられないので、従事した期間がそのまま実績として見なされるのだろうか。そうだとすれば、テオドアの実績は皆無に等しい。
 このままでは降格は必至。しかも曹長の空席はないだろうから、どこかの部隊の一兵士に戻される可能性が高い。

(むしろ曹長だった頃よりも不利じゃねえか)

 テオドアには、どうしても手に入れたい物があった。それは亡くなった父親の故郷……田舎の広大な土地だ。
 田舎とはいえ、土地を手に入れるにはかなりの金がいる。しかし薄給取りの下級兵士に、街の金貸し屋がそのような大金を貸してくれるわけがない。
 テオドアが、身売りするような真似をしてでも出世したかったのは、欲しい物を手に入れる為……金と社会的地位さえあれば解決する、俗物的な欲求だ。

(なんとかしなくては)

 クリフトン中尉に相談したら、補佐官や秘書の口がないか自分の同僚や上司に当たってみると言ってくれた。またゾイド准尉も一緒に協力してくれるらしい。二人の気持ちはありがたいが、ただでさえ人員削減が進められる中、あまり期待は持てそうになかった。

(でも、ここで終わるわけには、いかねえんだ……)

 テオドアはデスクから立ち上がると、すっかり固くなっている首の後ろを親指と人差し指ではさんで揉みほぐす。
 いろいろ考えていたせいか作業効率が落ちて、すっかり遅くなってしまった。こんなことではいけない、明日から気を引き締めていかないと、上には這い上がれない。

(ん……?)

 静まり返った執務室に、控えめなノックの音が響いた。
 返事をすると扉が開き、現れた伝令から小さなメモを渡される。目を通すと、それは大佐からの呼び出しだった。
 大佐から呼び出されるのは、実に二週間振りだ。以前は三日と空けずに呼び出されていたものだから、随分と久しぶりな気がする。
 プラント准尉の件とあわせて、本格的な人員整理が始まったとクリフトンから聞いた。恐らく大佐を含む上層部の連中たちは、ここ数週間さぞや忙しい日々を送っていることだろう。

(なのに、わざわざ呼び出しやがって……俺の降格もほぼ決まったようなもんだろ。それとも直接引導を渡すつもりかよ?)

 大佐の執務室へ向かう道すがら、テオドアはぼんやりと思う……このところ仕事だけではなく、いろいろと心配事も重なって、疲れていても眠れない夜が続いている。そのため睡眠不足がたたって、頭痛も復活してしまった。せっかく薄くなった隈も、以前のように目の下を黒く縁取っている。

(いよいよ大佐にも見放されるかな……コイツやっぱ使えねえ奴だってさ)

 とっくに見限られているのだろうが、もしかしたら今夜が最後の忠告なのかもしれない。いい加減学ばなくてはいけないのに、仕事にかまけてついつい己の体調管理をおろそかにしてしまう。
 だが、ほどほどに努力しているだけでは到底足りない……恵まれた奴らには分からない理屈だ。理解してもらおうとは思わない。
 特に、大佐のような人種には。





「……久しぶりだね、テオドア」

 執務室で出迎えた大佐は、にこやかな表情を浮かべていた。テオドアは訝し気にその顔を眺めながら、失礼しますと断って入室すると、視線が自然と仮眠室の扉へ向いてしまう。
 あの扉の向こうに、寝心地抜群のベッドがあるかと思うと、急に抗いがたい眠気に襲われた。頭痛は酷くなり、瞼もやけに重たく感じて仕方ない。
 気がつくと、足が勝手に仮眠室へ向かって動いていた。扉を開くと、いつものように見慣れた白いシーツが目に飛び込んでくる。

「……ぐっ……!?」

 背中に衝撃が走って、息を飲みこむと同時にうつぶせにシーツに倒れた。ベッドが重みで軋むのは、テオドアの他にもう一人の人間が乗り上げたせいだろう。

「取引をしようじゃないか」

 大佐はテオドアを背中から押さえ込むと、吐息混じりの声でそっと耳元に囁く。

「その身をもう一晩ゆだねるなら、准尉以上の地位を約束してやってもいい」
「なっ……」

 すっかり油断していた。大佐はこういう人間だった……何を考えているか分からない、警戒すべき人間。
 いつになく甘い声音に、テオドアの頭の中で警鐘が鳴る。この男の言葉に乗るのは危険だ。

「さあ、どうするテオドア……また僕との『取引』に応じるか?」

 両腕を後ろでねじ上げられ、容赦なく顎を掴み上げられる。言葉では返事を求めているくせに、行動はまるで返事を阻むかのようで、矛盾しているとしか思えない。
 それでもなんとか声を出そうともがくと、顎の締め付けはますます強くなっていく。困惑を極める最中、不意に項にぬるりと濡れた感触があった。

「うぅっ……!?」

 細い指先が薄いシャツの背中をゆっくりとなぞっていく。肩甲骨のくぼみをスルリと撫でられ、反射的に腰が跳ねてしまった。

「ふふ、ここが弱かったな……よく覚えてるよ。あと、ここも」
「んぅ……!」

 耳の後ろを舐め上げられ、全身に甘い痺れが走った。反動で体が弛緩した隙を突かれて、仰向けに転がされると、両腕を頭の上で拘束されてしまった。
 腰の辺りを馬乗りでがっちりと押さえ込まれ、身動きはまったく取れそうにない。くやしいが体術は、大佐の方が一枚も二枚も上手だ。

「さて?」

 乱れたアッシュブロンドの前髪の奥で光る双眸に、青い焔がちろちろと見え隠れする。今や微笑みすら獰猛に見えて、テオドアは説明し難い恐怖に身震いした。

「このままでは、君は確実に降格される。どこかの部隊の一兵士に戻されるだろうね」
「……」

 これは罠だ……流されて、相手の術中にはまるわけにはいかない。

「お友達が、君のために奔走しているようだけど無駄だよ。誰も補佐官の君なんて欲しがらない。君も分かっているだろう? 君を欲しがる酔狂な奴なんて、この僕くらいだって」

 やさしい声音とともに、シャツの前がゆっくりと暴かれていく。素肌を撫でる手袋越しの熱が、じわりと胸の中心に広がった。

「だから僕に身をまかせてしまうといい。決して悪いようにしないから」
「……くっ……あんたは一体、何が望みなんだっ……」

 脇腹をなぞる手袋の感触で、嬌声を漏らしそうになったが、なんとか堪えて言葉を絞り出した。至近距離に迫る整った顔を睨みつけると、形の良い薄い唇がフワリと綻ぶ。

「抱きたいんだよ、君を」
「はっ……?」

 思わず間抜けた声が口から出てしまった。この男は今、何と言った?

「一度抱けば気が済むと思ったけど、そう簡単にはいかないものだな」

 困ったように浮かべる微笑は弱々しく、この状況にはちっともそぐわない。だがその表情とは裏腹に、テオドアを拘束する手は全く緩みそうになかった。




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