神界の器

高菜あやめ

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第二部

四、琵琶の弾き手

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 その頃、都の一角にある広大な敷地内に建つ公家屋敷では、昼間から華やかな宴が催されていた。

 季節毎に開催されるこの宴には、数多の有力貴族が招待される他、毎回一風変わった珍客が数名招かれるのが慣例となっていた。大半は噂の渦中にある貴族だが、急に頭角を現し始めた大名や名だたる剣士、また過去には東国で人気急上昇中と触れ込みの大道芸人だった例もある。
 いずれにしても、屋敷の当主であり宴の主催者でもある内大臣は、客の好奇心を満たすことが最大のもてなしと考えていた。そしてその考えは、あながち間違っていない。

 ある者にとっては最高の暇つぶしに、またある者にとっては有益な情報を得る絶好の場となり得る。そして、そんな連中をすべてひっくるめて、傍観者に徹する者も少なからずいた。
 そして今回の宴も例に漏れず、皆の期待を裏切らない面々が招かれていた。
 宴の中盤に差し掛かった頃、二人の少年が庭の中央に設えられた舞台に上がった。客の誰もが待ちわびたとばかり彼らに注目する……否、正確には、琵琶を持つ小柄な少年ただ一人に、好奇の目が向けられていた。

 雲ひとつない寒空に、洗練された笛の音色が高く鳴り響き、続いて少々ぎこちない琵琶の調べが控えめに後を追う。技量の差は歴然としているが、不思議と息が合って聞こえる。若さ溢れる少年たちの合奏は、まるで膨らんだ花の蕾から零れ落ちた陽だまりのようで、観客の目も耳も存分に楽しませていた。

「ほう、さすがは笛の名手である中納言の御子息なだけある。まだ元服前というのに、血は争えないものだ」
「それに比べて、琵琶はだいぶ劣りますなあ」
「たしかに……あれが噂の?」
「ああ、たしかにあれが例の……十歳にしては、いささか小さ過ぎではないか」
「無理もないでしょう。つい最近まで、卑しい暮らしを強いられてきた、気の毒な身の上らしい」
「たしかに、それでは仕方あるまい。だがそれにしても、商人風情がよくこの宴に入り込めたものだ。一体どういった伝手で、招かれるに至ったことやら……」

 意味深な会話を交わしていた人々は、そこでふいに口をつぐむ。彼らの視線の先には、紅つつじの直衣姿も艶やかな、一人の麗しい青年がたたずんでいた。

「これはめずらしい……湊殿ではありませんか。いつ都へお戻りで?」

 青年の登場に、その場にいた者たちは心密かに色めき立つ。この青年だけでも十分興味をそそられるというのに、件の少年の身内かもしれない噂が、都でまことしやかに流れる中、この組み合わせは彼らにとって絶妙と言わざるを得ない。だが当然そのような心はおくびにも出さず、にこやかな仮面を被って青年に対峙する。

「まあどうぞこちらへ、まずは一杯いかがですかな」
「いただきましょう」

 青年は勧められるまま、酒を注がれた盃を手に取った。

「志摩の風も心地良いのですが、そろそろ都の酒の味が恋しくなってきたところでしてね」
「ならばもっと、こちらへもお顔を出してくださらなければ……皆寂しがってますよ?」
「だが私はこれでも、都落ちした身ですからね」
「またそのような御冗談を! 宮中でお見掛けしなくなって、すでに五年以上経っております。いい加減お戻りになられても、誰もとがめますまい」

 青年は小さく笑うと、舞台に顔を向けた。その整った横顔は、かつて宮中で男女問わず数多の貴人を魅了した、匂い立つような色気を滲ませている。

「あの少年たちの演奏は、お気に召しましたか」
「そうですね……笛も素晴らしいが、琵琶には秘めた才能を感じますね。まだ荒削りな分、これからが楽しみといったところでしょうか」
「なるほど。あのような年端もいかない子どもならば、計り知れない伸びしろがあるかもしれませんな……お身内の方ならば、さぞかしご期待されましょう」

 含みのある一言に、青年は綺麗な弓形の眉を僅かに持ち上げた。

「もちろん、教え甲斐があるならば、それに越したことありませんよ。ああ、また間違えた……可哀想に、手でも痛めているのかな」

 青年は微かに目を眇(すが)めて、琵琶を抱える少年の手元を見つめた。銀杏型のばちを握る小さな手は、弦を叩く切れ味が悪く僅かにぶれる為、楽器本来の持つ音色が少々濁る。

 やがて演奏が終わると、少年たちは正面に向かって深々と頭を下げた。青年はそれを見届けると、盃を置いて再び立ち上がる。

「さて、私はこれで失礼します」
「おや、もうお帰りですか」
「ええ。また近いうちにお目にかかりましょう」

 青年は軽く会釈すると、名残惜しげな様子の人々を後にした。冷えた廊下に出たところで、その場に控えていた屋敷の使用人が膝を進めた。

「お帰りでしょうか。ただ今、お車をご用意いたします」
「いや、車は裏に待たせてあるんだ」

 青年は車寄せがある正面玄関ではなく、裏口へと続く裏庭へと足を向けた。
 庭は屋敷同様、手入れが行き届いていた。紅梅の季節はとっくに終わり、また花の時期には早過ぎるとあって、全体的に色味が乏しいが、どこか水墨画の世界を彷彿とさせる趣がある。

「いかにも『都』らしい庭、かな……」

 感情の籠らない静かな呟きが、葉擦れの音にかき消されていく。その時、青年の視界の端に、小さな影が横切って茂みの中へと消えていった。
 青年が影を追って茂みに近づくと、そこにはつい先刻、宴の席で琵琶を奏でた少年の姿があった。

「そこで何をしている」

 青年の声に、少年は肩を揺らしてしゃがんだまま振り返った。花山吹はなやまぶき( の紅色がやけに目を引くのは、着ている本人に似合ってないからだろう。だがそれ以上に、膝に広げた両手のひらがあまりにも酷い状態で、青年の視線はただその一点に集中した。

「可哀想に。痛むだろう」

 少年はうつろな瞳で小さく頷く。傷だらけの手をしげしげと見つめる姿からは、とまどいとあきらめの入り混じった感情がうかがえた。

「随分と練習をしたのだね」

 青年の言葉に、少年は驚いた様子で顔を上げた。口を開きかけ、だが思い直したのか、微かに首を横に振った。

「うん? 何が言いたいの」
「……」
「黙っていては、分からないよ」

 すると少年は不安そうに辺りを見回すと、か細い声でボソボソと呟いた。

「おうちの人以外と、しゃべっちゃいけないって奥方……おたあさま、が……」
「へえ、なるほどね」

 青年が一歩近づくと、少年はピクリと肩を揺らした。

「ふふ、警戒する仔猫のようだ」

 茂みの中で目を見開いてる小さな顔が、青年の飼い猫と重なったのだろう。逃げられないよう間合いを一気に詰めると、少年は腰を抜かしたようにペタンと地面に尻餅をついた。

「心配しなくても、私はお前と兄弟らしいから、大丈夫だよ」
「きょう、だい……?」

 青年はゆっくりと地面に跪くと、少年の傷だらけの手を取った。すると少年の唇から、小さな苦痛の呻き声が漏れる。

「お前のお父上は、匡院宮家きょういんのみやけの前当主なんだって? ならば私とは、腹違いの兄弟ってことになる。兄と喋っても、お母上は叱ったりしないよ」
「……」
「ほら、兄上にけがを見せてごらん。ああこれは痛そうだ。屋敷に戻って、誰かに布と薬を用意させよう」
「待って、お、俺、戻ったら怒られる……」

 少年は血の気が引いた顔で、青年の手を振り解いた。

「ご、ごめんなさい……ちょっとでいいから、ここで休ませて……お願い」

 消え入りそうな声で懇願する少年に、青年は無理強いしなかった。代わりに少年の肩を抱き寄せ、小さな背中を優しい手つきで撫でた。

「いいよ、少し休もうね。たくさん琵琶を弾いたから、とても疲れたのだろう……毎日どのくらい練習するの?」
「……朝と、昼と、夜……」
「一日中弾いてるのか。誰に教わってるの?」
「奥方様……おたあさまが」
「いつから?」
「ひと月前……」
「えっ、習い始めたばかりか。それであれだけ弾けるとは、大した才能だ。いや、一日中練習してたのだから、その努力の成果かな?」
「分かんない……でも、中納言の若様に、恥をかかせちゃ駄目だって」
「よく頑張ったね、えらいえらい……あ、そうだ」

 青年は名案を思いついたとばかりに、少年の両肩に手を乗せると、黒目がちのがつぶらな瞳を覗き込んだ。

「お前に良い琵琶の先生を紹介してあげるよ」
「え……」
「だから、うちへおいで?」

 ぽかん、と少年は口を開いた。青年はひとり納得したように何度か頷くと、少年の手首を握って屋敷へと引き返す。

「お父上とお母上には、私から話をするから心配しなくていいよ。なあに、反対するどころか、間違いなく喜んでくれると思うよ? なにせ私は、お前の『兄上』なのだから、ね……?」





 雨音と松葉が都の外れに着いたのは、出発してから二日目の夜だった。

(なんて豪華な宿だろう……こんな高そうな所に泊まらせてもらっていいのかな)

 町の中心部から少々離れているが、かえって落ち着いた界隈かいわいで治安も悪くないらしい。
 出入りしている宿泊客も、身なりの良い者ばかりだ。雰囲気に飲まれた雨音は、すっかり気後れしてしまい、受付から部屋を案内されるまでの間中、松葉の陰に隠れて小さくなっていた。

(疲れた……!)

 ようやく客室で松葉と二人きりになった途端、張り詰めていた緊張が一気に溶け、座布団の上にうずくまってしまう。

「申し訳ありません……松葉様のお手をわずらわせてばかりで」
「いえ、かえって好都合でした。震えて私の後ろに隠れてるあなたは、いかにも臆病で世間知らずな貴族の若君として映ったことでしょう。下手に付け焼き刃の作法を披露して悪目立ちするより、よっぽどましです」

 松葉はいつもの歯に衣着せぬ物言いで淡々とそう述べると、慣れた様子で荷解きを始めた。

「あ、それは俺がやりますから……」
「いえ、あなたはそのまま休んでなさい。じきに仲居が茶を運んでくるでしょう」

 松葉の言った通り、それほど間を置かずに仲居が茶の盆を手にやって来た。

「お疲れでしょうから、甘味をご用意いたしました。若様のお口に合うといいのですが」
「……ありがとう」

 雨音は緊張しつつも、なんとか笑顔を浮かべてみせた。

「若君、夕餉の前ですので、食べ過ぎないようご注意ください」

 松葉の言葉に、雨音は神妙に頷く。仲居は雨音に微笑むと、今度は松葉に向き直り、お盆に乗せた文を差し出した。

「こちらはつい先程、お客様宛に届けられたものでございます」

 仲居が一礼して下がってしまうと、松葉は早速文を開いた。さっと目を通した途端、顔色が変わる。

「どうやらあなたの弟は今、匡院宮の人間の元にいるようです」
「え……でも弟は、奥津様のお屋敷に引き取られたはずじゃ……」

「その廻船問屋の主人が、昨夜内大臣家の宴に招待されたらしい。あなたの弟も一緒に招かれて、琵琶の演奏を披露したそうです。そこに居合わせた匡院宮家前当主の三男が、あなたの弟を気に入ったとか」

 雨音は混乱のあまり頭を抱えた。

「弟は琵琶なんて弾けません。匡院宮って、宮家の方ですよね? なんでそんな方が……」
「つい先日、明翠様にお話しした内容を覚えてますか。あなたも同席していたでしょう。奥津の夫婦はあなたの弟を、匡院宮家の前当主の隠し子として預かっていたのです」
「でも……それは間違いです、そんな事あるはずない、です……」

 松葉は眉をひそめる。

「間違いとは、どういう意味ですか」
「弟……弥吉が宮家の子なんて、そんなの考えられません。弥吉はれっきとした、俺の父と母の子です」
「もちろん、誰もが眉唾な話と思ってますが、真実なんて誰も求めていません。そして今我々が問題にすべき点は、彼を引き取った匡院宮の目的は何か、という事です」

 松葉は文を横に置くと、思案げな顔で腕組みをする。

「ただの気まぐれか、それとも利用価値があるのか……まずはそこを確かめなくてはなりません」




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