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第二部
8.大切にできるもの
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バージルは複雑な気持ちで、窓辺のエドワード越しに外の景色をのぞいた。残念ながら、バージルのいる位置からは外の様子はまったくうかがえず、エドワードが眺めている光景を見ることができない。しかし当然ながら、自分の伴侶の動向は細部に至るまで把握しているつもりだ。実際、王宮内で彼の目が行き届かないところなどなかった。
「それで? いつまで王子の前で、知らないふりを続けるかって話か?」
「それは王妃殿下に対して、という意味です」
「ああそっちか。さあな、向こうが俺が気づいてることに気づくまで、放っておいてもかまわないだろう。レジーナは俺に気を使いすぎるところがあるからな」
自分がそう仕向けたくせにと、バージルはあきれる。彼女の忠誠心と罪悪感を、狡猾とも呼べるやり口で利用して、この王宮と呼ぶ不自由な箱庭に繋ぎ止めている。しかし兄王の唯一のこだわりでもあり弱点にもなり得る彼女に、王妃の位という足枷をつけるよう進言したのは他ならぬ自分だ。エドワードがわずかに目をすがめると、エドワードは首をかしげてみせる。
「てっきり、お前の伴侶のことかと思った。薬が効いたから、あのような遊びを許しているのだろう?」
「本人は真剣ですから。決して暇つぶしの遊びではなく、つまらない矜持のためでもなく、ただ己の存在意義を見出そうと必死なだけです」
「そのつまらない分析は興醒めする。もっとやわらかで、舌の先でくずれる砂糖菓子のような思考も混ぜるべきだ」
エドワードはニヤニヤ笑いながら窓辺を離れた。弟の性格を馬鹿にしてるつもりはなく、ただ少しばかり案じてるだけだろう。バージル自身、己の感情は制御できても、相手もそうとは限らないから、どこかで計算を間違って溝が生じてしまうのではないかと心配するのだ。
「兄上はおせっかいですね」
「わかってくれて、なによりだ」
バージルは迷っていた。典医が新しく処方した薬は、少しずつだが確実にカシュアの体を癒すだろう。なぜなら末の弟のおかげで入手できた、危険極まりない『蠱毒』まがいの薬を分析した上で調合した、とっておきの特効薬なのだから。
ヒースダインの医療は諸外国と比較しても遅れている。こと薬学に関しては、ウェストリンには遠く及ばない。おそらく流行り病の予防薬も、十年以上前に起こった一度目の流行時に開発できたはずだ。それをつまらない『まがいもの』の毒を作り出すためにばかり力に注いできたから、対策も取れないまま現状を迎えているのだろう。
「どうせお前のことだから、どうにかあの王子を引き止めるつもりだろう?」
「格好の情報源です。おまけに宮廷医師も付いてきたので、利用しない手はありません」
「お前の伴侶の手前、どうするつもりだ?」
エドワードの指摘に、バージルは愚問だとばかり肩をすくめた。
「どうもこうも。私の最愛は彼だけです」
「そのお前の無神経な執着心は、相手に正しく伝わってるのか」
「それはわかりかねます。自分以外の人間の気持ちを正確に推し量ることなど不可能です。ですから相手に対して、私なりの最善と最大限の努力を尽くして真摯に向き合うしかありません」
「本当に、お前と話すとすべてのことが無味乾燥になるな」
エドワードはやれやれと会議テーブルに戻ってくると、仕分けられた資料の山を前にする弟の向いの席に着く。
「さて、もうひと仕事しよう」
バージルがようやくその日の仕事を終えたのは、深夜を回ってからだった。
まだまだ人員不足のため、一人何役もこなさなくてはならない。今日は南側の海岸線に漂流した不法移民の対策に駆り出され、結局現地へ赴くことになってしまい、帰城したころには日付をまたいでしまった。
自室の書斎に着いてまず向かったのは洗面所だ。風呂に入る前に戸棚から鎮痛剤を取り出し、蛇口から出る水で喉の奥へと流しこむ。毎日服用するため減りが早く、先週ガイヤから処方された粉薬のストックはこれで底を突いた。
(明日、医務室へ行く時間を作らなくては)
以前と比べて頭痛の頻度は減ったが、ここ最近は激務が重なり、薬が手放せなくなった。わずかな痛みでも許容できないのは、この腕で愛しい存在を抱きしめたいからに他ならない。この痛みのせいで、彼を苦しめるつもりはなかった。
(しかし薬も摂取しすぎるのは良くない。なにか打開策はないだろうか……)
体は丈夫なほうだ。適度な休息を取れば、きっと症状も改善する。だが適度な休息を取る暇がない。この人手不足をどうにかできないものかと、別の意味で頭が痛くなる。使えるものなら猫の手も借りたい。
(猫の手……あのヒースダインの連中はどうだろう)
バージルはエンシオ王子と宮廷医師に取引を持ちかけるつもりでいた。こちらの餌はエンシオ王子への解毒治療で、間違いなく食いつくだろう。また二人が望むなら、このまま宮殿で保護するのもいいと思った。手ぶらでヒースダインに帰国したら、おそらく宮廷医師は責任を取らさせ、よくて失脚、最悪のケースなら断罪される。またエンシオ王子は再び暗殺の道具として、始末したい輩の妾かなにかになるよう命じられるだろう。
(エンシオ王子は毒が回って絶命し、宮廷医師は責任を取って自害した、という設定にするか)
陳腐でわかりやすい設定のほうが、逆に真実味がある。ついでに宮廷医師は、ガイヤに協力させて、件の流行り病の特効薬を開発させたらどうか。
(ヒースダインには高く売れそうだ)
それというのも、弟マイヤーの密偵部隊による情報によると、とうとうヒースダイン国王が罹患したそうだ。箝口令が敷かれているが、諸外国に漏洩するのも時間の問題だろう。そうなれば近隣国は競ってヒースダインに攻め入ろうとするおそれがあった。
バージルはあれこれ思案しつつカシュアの眠るベッドへ近づき、天蓋からかけられた白い紗のカーテンをそっとめくる。中にはバージルの宝物が、細い体を丸めてぐっすりと眠っていた。きっと昼間の運動が堪えたのだろう。
(私が守るから無理することないのだが。しかし、そういう問題ではないのだろうな)
自分が人の心の機微にうといという自覚はある。だから伴侶の気持ちをうまく理解できず、誤解する可能性は大いにある。相手のみならず、自分の気持ちに対してすら自信はない。
(だって、正直これほど好きになるとは思わなかった)
子どものころに憧れた妖精が現れて、はじめはただうれしかった。そして妖精が実は人間だと気づくと、もっとうれしくなった。そしてそばにいて、自分の伴侶として意識すれば、胸が震えるほどのうれしさがこみあげてきた。無条件に大切にできる存在は、かつて離宮を離れた際に手放した妖精の本とはちがって、手放さなくてもいいのだ。いつまでも自分の手元で、大事にしていいのだと思うと、はじめてあの本を失った際に感じた悲しみに気づけた。
彼を毒などに奪われてなるものかと、慎重に治療を進めてきた。そしてついに効果的な解毒薬で、彼をあの忌まわしいヒースダインの呪いから解放する日が現実味を帯びてきた。その暁には彼と深く繋がって、真の意味での伴侶になりたいとバージルは強く望んでいた。
「それで? いつまで王子の前で、知らないふりを続けるかって話か?」
「それは王妃殿下に対して、という意味です」
「ああそっちか。さあな、向こうが俺が気づいてることに気づくまで、放っておいてもかまわないだろう。レジーナは俺に気を使いすぎるところがあるからな」
自分がそう仕向けたくせにと、バージルはあきれる。彼女の忠誠心と罪悪感を、狡猾とも呼べるやり口で利用して、この王宮と呼ぶ不自由な箱庭に繋ぎ止めている。しかし兄王の唯一のこだわりでもあり弱点にもなり得る彼女に、王妃の位という足枷をつけるよう進言したのは他ならぬ自分だ。エドワードがわずかに目をすがめると、エドワードは首をかしげてみせる。
「てっきり、お前の伴侶のことかと思った。薬が効いたから、あのような遊びを許しているのだろう?」
「本人は真剣ですから。決して暇つぶしの遊びではなく、つまらない矜持のためでもなく、ただ己の存在意義を見出そうと必死なだけです」
「そのつまらない分析は興醒めする。もっとやわらかで、舌の先でくずれる砂糖菓子のような思考も混ぜるべきだ」
エドワードはニヤニヤ笑いながら窓辺を離れた。弟の性格を馬鹿にしてるつもりはなく、ただ少しばかり案じてるだけだろう。バージル自身、己の感情は制御できても、相手もそうとは限らないから、どこかで計算を間違って溝が生じてしまうのではないかと心配するのだ。
「兄上はおせっかいですね」
「わかってくれて、なによりだ」
バージルは迷っていた。典医が新しく処方した薬は、少しずつだが確実にカシュアの体を癒すだろう。なぜなら末の弟のおかげで入手できた、危険極まりない『蠱毒』まがいの薬を分析した上で調合した、とっておきの特効薬なのだから。
ヒースダインの医療は諸外国と比較しても遅れている。こと薬学に関しては、ウェストリンには遠く及ばない。おそらく流行り病の予防薬も、十年以上前に起こった一度目の流行時に開発できたはずだ。それをつまらない『まがいもの』の毒を作り出すためにばかり力に注いできたから、対策も取れないまま現状を迎えているのだろう。
「どうせお前のことだから、どうにかあの王子を引き止めるつもりだろう?」
「格好の情報源です。おまけに宮廷医師も付いてきたので、利用しない手はありません」
「お前の伴侶の手前、どうするつもりだ?」
エドワードの指摘に、バージルは愚問だとばかり肩をすくめた。
「どうもこうも。私の最愛は彼だけです」
「そのお前の無神経な執着心は、相手に正しく伝わってるのか」
「それはわかりかねます。自分以外の人間の気持ちを正確に推し量ることなど不可能です。ですから相手に対して、私なりの最善と最大限の努力を尽くして真摯に向き合うしかありません」
「本当に、お前と話すとすべてのことが無味乾燥になるな」
エドワードはやれやれと会議テーブルに戻ってくると、仕分けられた資料の山を前にする弟の向いの席に着く。
「さて、もうひと仕事しよう」
バージルがようやくその日の仕事を終えたのは、深夜を回ってからだった。
まだまだ人員不足のため、一人何役もこなさなくてはならない。今日は南側の海岸線に漂流した不法移民の対策に駆り出され、結局現地へ赴くことになってしまい、帰城したころには日付をまたいでしまった。
自室の書斎に着いてまず向かったのは洗面所だ。風呂に入る前に戸棚から鎮痛剤を取り出し、蛇口から出る水で喉の奥へと流しこむ。毎日服用するため減りが早く、先週ガイヤから処方された粉薬のストックはこれで底を突いた。
(明日、医務室へ行く時間を作らなくては)
以前と比べて頭痛の頻度は減ったが、ここ最近は激務が重なり、薬が手放せなくなった。わずかな痛みでも許容できないのは、この腕で愛しい存在を抱きしめたいからに他ならない。この痛みのせいで、彼を苦しめるつもりはなかった。
(しかし薬も摂取しすぎるのは良くない。なにか打開策はないだろうか……)
体は丈夫なほうだ。適度な休息を取れば、きっと症状も改善する。だが適度な休息を取る暇がない。この人手不足をどうにかできないものかと、別の意味で頭が痛くなる。使えるものなら猫の手も借りたい。
(猫の手……あのヒースダインの連中はどうだろう)
バージルはエンシオ王子と宮廷医師に取引を持ちかけるつもりでいた。こちらの餌はエンシオ王子への解毒治療で、間違いなく食いつくだろう。また二人が望むなら、このまま宮殿で保護するのもいいと思った。手ぶらでヒースダインに帰国したら、おそらく宮廷医師は責任を取らさせ、よくて失脚、最悪のケースなら断罪される。またエンシオ王子は再び暗殺の道具として、始末したい輩の妾かなにかになるよう命じられるだろう。
(エンシオ王子は毒が回って絶命し、宮廷医師は責任を取って自害した、という設定にするか)
陳腐でわかりやすい設定のほうが、逆に真実味がある。ついでに宮廷医師は、ガイヤに協力させて、件の流行り病の特効薬を開発させたらどうか。
(ヒースダインには高く売れそうだ)
それというのも、弟マイヤーの密偵部隊による情報によると、とうとうヒースダイン国王が罹患したそうだ。箝口令が敷かれているが、諸外国に漏洩するのも時間の問題だろう。そうなれば近隣国は競ってヒースダインに攻め入ろうとするおそれがあった。
バージルはあれこれ思案しつつカシュアの眠るベッドへ近づき、天蓋からかけられた白い紗のカーテンをそっとめくる。中にはバージルの宝物が、細い体を丸めてぐっすりと眠っていた。きっと昼間の運動が堪えたのだろう。
(私が守るから無理することないのだが。しかし、そういう問題ではないのだろうな)
自分が人の心の機微にうといという自覚はある。だから伴侶の気持ちをうまく理解できず、誤解する可能性は大いにある。相手のみならず、自分の気持ちに対してすら自信はない。
(だって、正直これほど好きになるとは思わなかった)
子どものころに憧れた妖精が現れて、はじめはただうれしかった。そして妖精が実は人間だと気づくと、もっとうれしくなった。そしてそばにいて、自分の伴侶として意識すれば、胸が震えるほどのうれしさがこみあげてきた。無条件に大切にできる存在は、かつて離宮を離れた際に手放した妖精の本とはちがって、手放さなくてもいいのだ。いつまでも自分の手元で、大事にしていいのだと思うと、はじめてあの本を失った際に感じた悲しみに気づけた。
彼を毒などに奪われてなるものかと、慎重に治療を進めてきた。そしてついに効果的な解毒薬で、彼をあの忌まわしいヒースダインの呪いから解放する日が現実味を帯びてきた。その暁には彼と深く繋がって、真の意味での伴侶になりたいとバージルは強く望んでいた。
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