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第二部

4.エンシオ王子との面会

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 中庭でのひとときを終え、部屋へ戻ってほどなくすると、扉がノックされた。
 侍女の取り次ぎで現れたのは、ピアース執務補佐官だった。つい先日バージルの執務室で顔を合わせて以来だが、なんとなくこんな形で訪ねてくる気がしていたので、特段驚きはなかった。
「なにか陛下の勅命でもございましたか」
「エンシオ王子と面会していただきたいのです。私も同席いたします」
 カシュアは侍女に茶を用意するよう告げたが、訪問者は『手短かにすませますので』と丁重に断った。
「まずはじめに。陛下は、此度のヒースダインの提案を却下されます」
「却下するだけ、でしょうか」
 ヒースダインによる失礼極まりない提案を、エドワード国王陛下はどのように扱うつもりだろうか。
「却下するだけです。ただせっかく足を運んだエンシオ王子を、このまま帰らせるのはもったいないと思われませんか」
「つまり俺と面会させて、彼からなにか有益な情報を引き出せと?」
「あなたの能力が、生かされるかと」
 ピアースはやわらかな微笑を浮かべながら、カシュアへと手を差し出した。
「……なんの真似です?」
「本当に他者の体調がわかるのか、試させていただけませんか」
 まるで医師の診断を期待しているようだが、カシュアのそれは少しばかり違う。
「俺は痛覚を感知できるだけで、悪い箇所や病がわかるわけではありません」
「自覚症状がない、痛みをともなわない病やケガはわからないと? そうだとしても、素晴らしい能力には違いありません」
「素晴らしい能力、ですか?」
 カシュアはピアースの瞳をのぞきこみ、その奥にひそむ真意を知りたくなった。そっと手を取り、目を閉じて視界を遮断する。そうすれば、より知覚が敏感になる気がするからだ。
(……このひと)
 ハッとして瞼を開き、あらためてピアースは瞳を見つめる。そこには先ほど気づけなかった喜色が浮かんでいた。
「いかがです?」
「まさに満身創痍ですね」
「そう『でした』。もう完治してますよ」
「これで? まだ痛みますよね? 特に左肩から肘にかけて、それから右の薬指と小指の……付け根」
「すっかり慣れてしまったもので。ただもう剣をにぎれないのは、いささか残念ではありますが」
 ピアースは手袋をはめた右手を軽く持ち上げて苦笑を漏らす。
「そんなお顔をされる必要はございません。この痛みは主君を守れたという、私の矜恃でもあるのです。それにあの方はすでに、私よりもお強い。今は別の形で、あの方の盾になればいいだけです」
 エドワード国王はそれほど剣が立つらしい。
(それに彼の妃は、元近衛騎士だとも聞いたな)
 女性にしては背が高く、顔立ちも精悍で意志の強そうな眉をしていた。彼女もおそらく、ピアースと同じ矜恃を持って主君を支えているに違いない。
「国王陛下は、周囲の方々の人望が厚いのですね」
「ええ、前国王とは違って」
 どこか含みのある言い方に、カシュアはたじろく。
「妃殿下も、元はヒースダインの人間で、どういう目的でこちらへ送りこまれたのか調べはついてます」
「……そう簡単に、俺を信用できませんよね」
 ピアースは否定も肯定もせず、ただ微笑んだ。
(無理もない)
 まずこの能力について、たとえバージル殿下が信じていようと、荒唐無稽な話すぎて鵜呑みになどできないだろう。そしてカシュアがヒースダインの人間と接触するならば、監視の目を厳しくするのもうなずける。ピアースは自らの目で、カシュアの言動や行動を見張るつもりだ。たとえ剣をにぎれないとしても、カシュアが不審な行動を取れば、容赦なく排除に動くだろう。
「バージル殿下は、この面会のことをなんと?」
「バージル殿下には、まだ・・お知らせしておりません」
 意図的に知らせてないことは明白だった。もちろん国王陛下の勅命に逆らうわけにはいかない。カシュアは黙って応じるしかなかった。

 エンシオ王子との面会は直ちにおこなわれた。ピアースはあらかじめ場を整えてから、ただカシュアを呼びにきたにすぎなかったようだ。
 エンシオ王子一行が滞在する賓客室は、宮殿の中央から少し離れていて、さらに王族の居住エリアからはもっとも遠かった。遠方から訪れる客人に気がねなくくつろいでもらう配慮と、王族へは物理的に近づかせない意図が見て取れる。またこのあたりはクーデターによる被害が最小限だったが、復旧工事の観点からはもっとも優先度が低い場所と見なされ、あまり手入れも行き届いてなかった。
「体裁を取り繕ってもしかたないでしょう。それよりも、先に着手しなくてはならないところはいくらでもありますからね」
 ピアースは案内する道すがら、こともなげにそう言った。暗にヒースダインの訪問はたいしたことではなく、重要度が低いと告げている。それは先方にも、正確に伝わっていることだろう。
 それでも顔合わせをおこなう部屋は、最低限には整っていた。賓客室の並ぶ棟の端に設けられた小部屋がそれで、カシュアの予想をはるかに超える、ものものしい警備体制が敷かれていた。扉を囲むように兵士が四人、室内にも二人。窓はなかった。付け加えると、家具も簡易な椅子しかない。
「まるで罪人の尋問部屋のようですね」
 そんな軽口を叩くのは、エンシオ王子とともに同席する宮廷医師だった。細い眼鏡の蔓を耳に巻きつけた三十がらみの男で、感情の乗りにくい、ヒースダインによく見られる彫りの浅い淡白な顔立ちをしてる。
「お気を悪くされないでください。これもすべて王子殿下の御身の安全のため、とでも申しましょうか。ご覧のとおり我が国では、現国王陛下が即位してまだ日も浅く、王宮と言えど万全の治安とは申し上げにくいのです」
「お気になさらず……このようなときに、無理して参ったのはこちらです」
 エンシオ王子の低い声が、黒いベールの下から響いた。謁見の間でも着用していたが、遠目では顔が見えないものの、こうして近くで対峙すると、顔色こそわからないが表情は透けて見える。王子は同行する医師と同じく、乏しい表情でカシュアを見つめ返した。
 互いに形式ばったあいさつをすませると、カシュアはいきなり本題に入った。
「エンシオ様は、どこかお体が悪いのですか」
 するとベールの下の顔が、一瞬皮肉げに笑った。
「……どういう意味でしょう」
「そのままの意味です。遠路はるばる医師を同行されているので」
「生まれつき、体が弱いのは否めません。なにしろ国外へ出るのははじめてですから、いろいろ不安もございます。そういうカシュア妃殿下こそ、いかがですか?」
 ベールからのぞく瞳が、どこかうつろだ。
「もうお体の調子は、すっかり良いのですか。ヒースダインにおられたころは、ほとんど床に伏せっていたとうかがいましたが」
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