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第二部

2.もうひとりの王子

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 カシュアは、マイヤーの言葉に小さくうなずいた。きつい口調だが、言ってる内容は納得がいく。彼らはクーデターの後、国の建てなおしに取り組んでいるのだ。執務室まで物見遊山気分でこられても、邪魔なだけだろう。
「さっそくだけど、ヒースダイン城の見取り図を入手したんだ。王子様は後宮のどの辺に暮らしてたの?」
 マイヤーは、会議テーブルに散乱していた書類の上に、新たな図面を広げてみせた。こういった上空からの見取り図をはじめて目にしたが、これがヒースダイン城、本宮殿、後宮に至るまで敷地内をすべて網羅してることは簡単に見てとれた。
「この辺りです」
「あ、真ん中なんだ。意外。王子様のような身分なら、もっと端に追いやられていたのかと思ったよ」
 マイヤーの指摘は的を得ている。カシュアの母親は身分が高くなく、有力な貴族の後ろ盾もなかったため、後宮内でも下から数えたほうが早い位にあった。中央はより優遇される立場の寵姫や側室の住うエリアで、端へ向かうほど身分が下がる。
「中央でも、この裏庭に面した部屋は、地下へ通ずる入り口があるからです」
「この下は大昔、排水路だったかな。今は、表向きは閉鎖されてるって聞いたけど、実際は宮廷医師の実験場として使われているよね? 後宮側からの入り口がなかなかわからなかったけど、そうか、部屋の中にあったのか……後宮の部屋割りって、度々変わるものなの?」
「はい、序列によって年に一度変わります。移動しない側室もいるのですが、どこかしらは変更されてます」
「うーん、もしかしたらこの部屋を使う人間は、王子様みたいに医療実験の被験者かもね。調べる価値がありそうだな……」
 マイヤーの言葉に、カシュアは胸を撫で下ろす。少しは役立つ情報だったようだ。
「現在の後宮の序列ですが、カシュア妃殿下の御母堂がご健在だったころと比べると、大きく変化があったようです」
 ピアース執務補佐官は、本宮殿にもっとも近い後宮の一角を指して続ける。
「こちらに正妻、第一側室、第二側室の三名の居室がございますが、問題はこの第一側室エリーゼです」
 カシュアの記憶する限りでは、たしか後宮では正妃に次ぐ権力を振るっていた側室だ。
「エリーゼは、ヒースダインの有力貴族でも筆頭とも言われるアバネシー家の出身ですが、件の病に罹患して容体も思わしくないそうです」
「すると第二側室が、次の第一側室に繰り上がるだろうね」
 マイヤーの言葉に、ピアースは小さくうなずいて同意を示した。
「ただエリーゼにはひとり王子がいます。名はエンシオ、近々ウェストリンへやってくる可能性がもっとも高い王子候補の一人です」
 カシュアは驚いて、ピアースの顔を見た。ピアースの視線とぶつかると、相手は口元だけで笑ってみせた。
「ヒースダインの要求は、事前に送られてきた公式書簡で確認しておりますが……」
 ピアースの視線が、これまで傍観者に徹していたバージルへと向けられた。

 短い会議のあと、カシュアだけ先に居室へ返された。
 室内にはいつものように、兵士と侍女が一名ずつ、静かに部屋の奥で控えいた。交代制だが、空気のように気配を消しているため、気づくと別の人間に変わっていることが多い。カシュアは、すでに担当する全員の顔と、交代のタイミングをおぼえていたので、違和感に気づくのも簡単だった。
「……いつもと担当が違いますね。あなたは今日は、早朝の当番では?」
 侍女にたずねると、少し恐縮した様子で配置換えがあったと説明する。
(きっと、ヒースダインから来る王子を迎える準備だろう)
 カシュアは窓辺の寝椅子に横になると、目をつぶった。昼食前には休むことを義務付けられているからだ。未だ体内に残っている蠱毒は、少しの疲労でも活発化する。あまり血の巡りが良くなると、寿命を縮める危険性があるからだ。
 カシュアの場合、痛みや苦しみが感じられないので、どの程度体に負担がかかっているか自覚できない。そのことを典医はもとより、バージルがとても心配していた。
(エンシオ王子か。会ったことはないが、たしか俺より五、六歳は年上だったはずだ)
 カシュアは今年で二十三になるから、件の王子は三十近くになる計算だ。先刻バージルの口から聞いた話では、ウェストリンにしばらく滞在する予定だという。
(俺の代わりに、その王子をバージル殿下の妃にするよう書簡を送りつけてくるなんて……実に勝手な話だな)
 別に、自分に価値に重きを置いてるわけではなく、むしろ欠陥が多いようにすら思う。そういう問題ではなく、仮にも一度側室として送りつけた王子を、今さら別の王子と交換しろとは、ウェストリンの王家に対して失礼もはなはだしい。
(それに、バージル殿下に対しても……)
 カシュアはそこで、これ以上考えるのをやめた。仮にバージルがエンシオ王子を気に入ったとしても、代わりにカシュアをヒースダインへ送り返すなんてことはしないはずだ。それはヒースダインの意に従ったことになり、諸外国の手前あまりにも体裁が悪い。ヒースダインより格下だと軽んじられては、相手に攻め入る隙を与えてしまう可能性だってあるだろう。
(でも、もしエンシオ王子が、俺より役に立つならば……)
 エンシオは直近のヒースダインの内情を知っている。もし彼をうまく利用できるのならば、おそらくカシュアは用済みだ。
(そうなれば、俺は)
「カシュア」
 カシュアは飛び上がって、椅子から転げ落ちそうになった。
「危なかった、もう少しで床に倒れるところだった」
「し、失礼しました」
 いつの間にか部屋に戻っていたバージルが、床にひざまずいてカシュアの体を抱きとめていた。
「あなたは、あんがいそそっかしいな」
 バージルはカシュアをそのまま抱き上げると、奥のソファーへと移動する。そのタイミングで、侍女が茶の用意をはじめた。
「あの、下ろしてください」
「いや、もうしばらくこのままで」
 バージルはカシュアを横抱きにした体勢で腰を下ろすと、片手で器用にポットを操って、二つのカップに紅茶をそそいだ。
「ほら、あなたの分だ」
「ありがとうございます……」
 ソーサーごとカップを受け取ると、赤くゆらぐ水面を見つめた。
「君が心配するようなことは、一切起きない」
 間近で響いた声に、カシュアはハッとして視線を上げた。湖水のように澄んだ水色の瞳が、わずかに細められる。
「私は、あなた以外の男に興味はない。したがって客人には、早々にお引き取り願うつもりだ」
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