17 / 26
第一部
17.二人で過ごす時間
しおりを挟む
それから、カシュアとバージルの奇妙な共同生活がはじまった。
カシュアは、まだ決定打となる解毒薬が使えないことから、安全を考慮して寝室の外へ出ることを禁じられている。そしてバージルは、仕事を寝室に持ちこんで、ほぼ一日中居座っている。
(いや、居座ってる、と言うのは間違ってる。ここは、この方の寝室でもあるのだから)
寝室には扉が二つあって、ひとつは廊下へ続くもの、もうひとつはバージルの私室へ続くものだった。
「あまり目の届かない場所にいてほしくはないが、私の部屋ならば構わない。奥に本棚があるから、どれでも自由に読むといい」
「承知しました、では」
さっそく本棚をみせてもらおうと、ベッドから出ようとしたところで、手首をつかまれた。
「待て、その前に」
「え」
そのまま腕の中に閉じこめられ、唇を重ねられた。やわらかくて、やさしい触れ合いだが、視界をしっかり遮断しないと、また腰が抜けてしまう。至近距離の王弟殿下は、特にキスの前後は、暴力的なほど色気を帯びてて危険だ。
「……あなたは、いつまで他人行儀な話しかたを続けるつもりだ」
「えっ」
つい目を開けてしまうと、切ない色を帯びた青い瞳に見つめられてた。
「もっと、くだけた口調がいい。乱暴な話しかたでも、いいから」
バージルは過保護だが、カシュアをきちんと男性として認識し、そのように扱ってくれる。元気になったら体力作りにも協力すると約束してくれたし、また普段着も男性用の服を仕立ててくれる。まだ寝室から出られないので、着る機会はないのだが。
「お、俺は、敬語を外すと、そっけない言いかたしかできない」
「うん? それがあなたなら、私は構わない」
カシュアは動揺を隠しきれず、逃げるようにベッドから飛び降りると、バージルの部屋へとかけこんだ。
(心臓に悪い……)
あのきれいな顔で、やさしく言われてしまえば、愛されてると信じてしまいそうだ。カシュアは決して楽天的な性格ではない。自分がなにか特殊な事情で大切にされ、生かされていると理解してる。詳しい事情はわからないが、少なくとも自分が死ぬことは、ヒースダインに対して不利な要素となるのだろう。
(もっとヒースダインとウェストリンの関係性について学ばないと。殿下の本棚に、ちょうどいい本はあるだろうか)
本を読むのは嫌いではない。いや、これまで本を読むことくらいしか許されなかったから、他にやりたいことが思いつかない、という言いかたが正しい。
本棚に並んでいるのは、さまざまな戦術書や歴史書、地域の伝承についての本と幅広い。実用的な学術書が多いなか、ふと一番下の棚の端に目をやると、毛色の違う本を見つけた。
(……『妖精物語』だって?)
子ども向けの童話だ。しかもこの本は、読んだことこそないが、存在はよく知っている。
(間違いない……あの物語の本編だ)
なぜバージルの本棚にこれが収まっていたのか、深く考えるよりも先に中身が気になった。さっそくめくって読み進めていくうちに、気づいたときにはかなりの時間が経っていたらしい。
「……カシュア」
「えっ、はいっ!」
肩をはねさせて後ろをふり向けば、体を屈ませたバージルがあきれた様子でカシュアの顔をのぞきこんでいた。
「そのように床に座っていたら、体が冷えてしまう」
「あ……」
腕を取られて引き上げられると、本がひざからすべり落ちた。
「ん? この本は……いったいどこから見つけた?」
バージルは不思議そうに、床に落ちた本の表紙を見下ろす。
「その本棚の、端にありました」
「これはマイヤーのいたずらだな。いつ私が気づくか、ためしたに違いない」
バージルは本を拾い上げると、カシュアと一緒に寝室へと運んだ。そして並んでベッドに座り、さっそく慣れた手つきでページをめくる。
「私が子どものころに読んだ本だ」
バージルの子ども時代なんて、今の姿からは想像もつかない。でも、このような童話を楽しんでいたころが、たしかにあったのだ。
「三巻の第二十四章、ここで妖精の子が生まれる。ほら、ここだ」
カシュアは、バージルが指をすべらせる文字を目で追う。
「あなたに似てるだろう?」
カシュアは顔を上げると、甘い微笑を浮かべた男の目をまじまじと見つめた。冗談を言ってるようには見えない。
「いえ、まったくそうは思えませんが」
「いや、私のイメージどおりだ。控えめなのに芯が強くて、どこかかわいらしい」
「かわっ……」
絶句するカシュアをよそに、バージルはさらに続けた。
「やわらかそうな灰色の髪も、淡い瞳の色も。あなたに出会ってはじめて、妖精ならこういう外見してるだろう、という答えをもらえた」
ありがとう、と礼を言われても、カシュアはどう反応したらいいかわからない。ただ彼が自分に興味を持った理由だけは、これではっきりした。
「私は妖精ではありません」
「ああ、人間でよかったと思ってる。だからこうして伴侶になれて、触れることができる。本当に、あなたが本物の妖精でなくてよかった」
カシュアは再びあぜんとして、バージルの満足げに笑う横顔を見つめる。生まれたばかりの不安の種は、彼の言葉で一気に霧散した。
「バージル殿下は……太陽の使徒に似てますよ」
「誰だ、それは?」
そこでカシュアは、子どものころに読んだ物語を聞かせた。バージルは驚きと興味を持って、それに聞き入っていた。そしてカシュアが話し終えると、うれしそうにつぶやいた。
「私が、本物の太陽の使徒でなくてよかった。人間だからこそ、あなたと共に生きることができる」
王弟殿下夫妻の寝室でやさしい時間が流れる一方で、大執務室では剣呑な空気が漂っていた。
エドワード国王は、ピアース執務補佐の持ってきた報告書を前に渋面を浮かべる。
「……ヒースダインから、重罪人カシュア・ヒースダインの引き渡し要求だと?」
「罪状はこちらに」
「なになに……十五年前、当時後宮に住んでいたカシュア・ヒースダイン『元』王子が、複数の妃たちに死に至る病を『故意に』うつした、と」
「ヒースダイン側は、罪人である王子の引き渡しを、謝罪とともに申し入れてきました」
「謝罪? 何に対して?」
「当時知らなかったとはいえ、あろうことか罪人を側室としてウェストリンへ嫁がせたことへの謝罪、のようです」
「なるほどな」
「どうやら連中は、カシュア様が件の流行病に感染し、完治したと考えてるようです。むこうの宮廷医師らは、病の抗体を持つカシュア様を調べて、どうにか予防薬ないし治療薬を開発したいのでしょう」
「ふーむ、あの王子が病を克服したと信じるにいたった根拠は、あの驚異的とも呼べる、痛みへの耐性だろうな」
「ええ、あのような不思議な体質をお持ちならば、ヒースダインがそう考えても不思議ではないですね」
「今さらだな。しかし連中は、その可能性にかけてみることにした。きっとヒースダインでは件の病が蔓延してて、藁にもすがる思いなのだろう。予防薬は、喉から手が出るほどほしいはずだ」
エドワードは、人の悪い笑みを浮かべた。
「先にウェストリンが予防薬を開発して、ヒースダインに高値で売りつけてやるのもいいな」
(第一部・完)
カシュアは、まだ決定打となる解毒薬が使えないことから、安全を考慮して寝室の外へ出ることを禁じられている。そしてバージルは、仕事を寝室に持ちこんで、ほぼ一日中居座っている。
(いや、居座ってる、と言うのは間違ってる。ここは、この方の寝室でもあるのだから)
寝室には扉が二つあって、ひとつは廊下へ続くもの、もうひとつはバージルの私室へ続くものだった。
「あまり目の届かない場所にいてほしくはないが、私の部屋ならば構わない。奥に本棚があるから、どれでも自由に読むといい」
「承知しました、では」
さっそく本棚をみせてもらおうと、ベッドから出ようとしたところで、手首をつかまれた。
「待て、その前に」
「え」
そのまま腕の中に閉じこめられ、唇を重ねられた。やわらかくて、やさしい触れ合いだが、視界をしっかり遮断しないと、また腰が抜けてしまう。至近距離の王弟殿下は、特にキスの前後は、暴力的なほど色気を帯びてて危険だ。
「……あなたは、いつまで他人行儀な話しかたを続けるつもりだ」
「えっ」
つい目を開けてしまうと、切ない色を帯びた青い瞳に見つめられてた。
「もっと、くだけた口調がいい。乱暴な話しかたでも、いいから」
バージルは過保護だが、カシュアをきちんと男性として認識し、そのように扱ってくれる。元気になったら体力作りにも協力すると約束してくれたし、また普段着も男性用の服を仕立ててくれる。まだ寝室から出られないので、着る機会はないのだが。
「お、俺は、敬語を外すと、そっけない言いかたしかできない」
「うん? それがあなたなら、私は構わない」
カシュアは動揺を隠しきれず、逃げるようにベッドから飛び降りると、バージルの部屋へとかけこんだ。
(心臓に悪い……)
あのきれいな顔で、やさしく言われてしまえば、愛されてると信じてしまいそうだ。カシュアは決して楽天的な性格ではない。自分がなにか特殊な事情で大切にされ、生かされていると理解してる。詳しい事情はわからないが、少なくとも自分が死ぬことは、ヒースダインに対して不利な要素となるのだろう。
(もっとヒースダインとウェストリンの関係性について学ばないと。殿下の本棚に、ちょうどいい本はあるだろうか)
本を読むのは嫌いではない。いや、これまで本を読むことくらいしか許されなかったから、他にやりたいことが思いつかない、という言いかたが正しい。
本棚に並んでいるのは、さまざまな戦術書や歴史書、地域の伝承についての本と幅広い。実用的な学術書が多いなか、ふと一番下の棚の端に目をやると、毛色の違う本を見つけた。
(……『妖精物語』だって?)
子ども向けの童話だ。しかもこの本は、読んだことこそないが、存在はよく知っている。
(間違いない……あの物語の本編だ)
なぜバージルの本棚にこれが収まっていたのか、深く考えるよりも先に中身が気になった。さっそくめくって読み進めていくうちに、気づいたときにはかなりの時間が経っていたらしい。
「……カシュア」
「えっ、はいっ!」
肩をはねさせて後ろをふり向けば、体を屈ませたバージルがあきれた様子でカシュアの顔をのぞきこんでいた。
「そのように床に座っていたら、体が冷えてしまう」
「あ……」
腕を取られて引き上げられると、本がひざからすべり落ちた。
「ん? この本は……いったいどこから見つけた?」
バージルは不思議そうに、床に落ちた本の表紙を見下ろす。
「その本棚の、端にありました」
「これはマイヤーのいたずらだな。いつ私が気づくか、ためしたに違いない」
バージルは本を拾い上げると、カシュアと一緒に寝室へと運んだ。そして並んでベッドに座り、さっそく慣れた手つきでページをめくる。
「私が子どものころに読んだ本だ」
バージルの子ども時代なんて、今の姿からは想像もつかない。でも、このような童話を楽しんでいたころが、たしかにあったのだ。
「三巻の第二十四章、ここで妖精の子が生まれる。ほら、ここだ」
カシュアは、バージルが指をすべらせる文字を目で追う。
「あなたに似てるだろう?」
カシュアは顔を上げると、甘い微笑を浮かべた男の目をまじまじと見つめた。冗談を言ってるようには見えない。
「いえ、まったくそうは思えませんが」
「いや、私のイメージどおりだ。控えめなのに芯が強くて、どこかかわいらしい」
「かわっ……」
絶句するカシュアをよそに、バージルはさらに続けた。
「やわらかそうな灰色の髪も、淡い瞳の色も。あなたに出会ってはじめて、妖精ならこういう外見してるだろう、という答えをもらえた」
ありがとう、と礼を言われても、カシュアはどう反応したらいいかわからない。ただ彼が自分に興味を持った理由だけは、これではっきりした。
「私は妖精ではありません」
「ああ、人間でよかったと思ってる。だからこうして伴侶になれて、触れることができる。本当に、あなたが本物の妖精でなくてよかった」
カシュアは再びあぜんとして、バージルの満足げに笑う横顔を見つめる。生まれたばかりの不安の種は、彼の言葉で一気に霧散した。
「バージル殿下は……太陽の使徒に似てますよ」
「誰だ、それは?」
そこでカシュアは、子どものころに読んだ物語を聞かせた。バージルは驚きと興味を持って、それに聞き入っていた。そしてカシュアが話し終えると、うれしそうにつぶやいた。
「私が、本物の太陽の使徒でなくてよかった。人間だからこそ、あなたと共に生きることができる」
王弟殿下夫妻の寝室でやさしい時間が流れる一方で、大執務室では剣呑な空気が漂っていた。
エドワード国王は、ピアース執務補佐の持ってきた報告書を前に渋面を浮かべる。
「……ヒースダインから、重罪人カシュア・ヒースダインの引き渡し要求だと?」
「罪状はこちらに」
「なになに……十五年前、当時後宮に住んでいたカシュア・ヒースダイン『元』王子が、複数の妃たちに死に至る病を『故意に』うつした、と」
「ヒースダイン側は、罪人である王子の引き渡しを、謝罪とともに申し入れてきました」
「謝罪? 何に対して?」
「当時知らなかったとはいえ、あろうことか罪人を側室としてウェストリンへ嫁がせたことへの謝罪、のようです」
「なるほどな」
「どうやら連中は、カシュア様が件の流行病に感染し、完治したと考えてるようです。むこうの宮廷医師らは、病の抗体を持つカシュア様を調べて、どうにか予防薬ないし治療薬を開発したいのでしょう」
「ふーむ、あの王子が病を克服したと信じるにいたった根拠は、あの驚異的とも呼べる、痛みへの耐性だろうな」
「ええ、あのような不思議な体質をお持ちならば、ヒースダインがそう考えても不思議ではないですね」
「今さらだな。しかし連中は、その可能性にかけてみることにした。きっとヒースダインでは件の病が蔓延してて、藁にもすがる思いなのだろう。予防薬は、喉から手が出るほどほしいはずだ」
エドワードは、人の悪い笑みを浮かべた。
「先にウェストリンが予防薬を開発して、ヒースダインに高値で売りつけてやるのもいいな」
(第一部・完)
273
お気に入りに追加
456
あなたにおすすめの小説
特別じゃない贈り物
高菜あやめ
BL
【不器用なイケメン隊長×強がり日雇い苦労人】城下町の食堂で働くセディにとって、治安部隊の隊長アーベルは鬼門だ。しょっちゅう職場にやってきては人の働き方についてあれこれ口を出してお小言ばかり。放っておいて欲しいのに、厳しい口調にもかかわらず気づかうような響きもあって、完全に拒絶できないから困る……互いに素直になれない二人のじれじれストーリーです
すべてはあなたを守るため
高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです
転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】
リトルグラス
BL
人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。
転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。
しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。
ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す──
***
第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20)
**
6回殺された第二王子がさらにループして報われるための話
あめ
BL
何度も殺されては人生のやり直しをする第二王子がボロボロの状態で今までと大きく変わった7回目の人生を過ごす話
基本シリアス多めで第二王子(受け)が可哀想
からの周りに愛されまくってのハッピーエンド予定
リンドグレーン大佐の提案
高菜あやめ
BL
◾️第四部連載中◾️軍事国家ロイシュベルタの下級士官テオドアは、軍司令部の上級士官リンドグレーン大佐から持ちかけられた『提案』に応じて、その身を一晩ゆだねることに。一夜限りの関係かと思いきや、その後も大佐はなにかとテオドアに構うようになり、いつしか激しい執着をみせるようになっていく……カリスマ軍師と叩き上げ下級士の、甘辛い攻防戦です【支配系美形攻×出世欲強い流され系受】
美形×平凡のBLゲームに転生した平凡騎士の俺?!
元森
BL
「嘘…俺、平凡受け…?!」
ある日、ソーシード王国の騎士であるアレク・シールド 28歳は、前世の記憶を思い出す。それはここがBLゲーム『ナイトオブナイト』で美形×平凡しか存在しない世界であること―――。そして自分は主人公の友人であるモブであるということを。そしてゲームのマスコットキャラクター:セーブたんが出てきて『キミを最強の受けにする』と言い出して―――?!
隠し攻略キャラ(俺様ヤンデレ美形攻め)×気高い平凡騎士受けのハチャメチャ転生騎士ライフ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる