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第一部
11.ヒースダインの思惑
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エドワード国王は、大執務室で報告書に目を通していた。
即位してまだ数日しか経ってないが、どれが優先的に取り掛からなくてはならない仕事なのか、ある程度事前に調査済みなので、判断に困ることはなかった。
「治水の整備が四ヶ所、公道の整備が八ヶ所、あとは公文書の承認プロセスの見直しだな。午後の予算会議までに、費用の概算をまとめといてくれ」
「承知しました」
エドワードの横に控えるのは、マクシミリアン・ピアース執務補佐だ。ほんの数年前、三十手前という異例の若さでエドワード王太子の補佐に抜擢されたが、まだ自身がつかえる主のことを完全に理解してると言い難いだろう。やわらかな栗色の髪に少し垂れた淡い茶色の瞳は、女性ウケは悪くないが職場では軽んじられがちだ。しかしそれを逆手に取って、相手の油断をつく程度には、したたかな性格をしていた。エドワードは、彼のそんな一面を特に気に入っている。
「ところで例の王子の容体ですが、ガイヤ殿の報告によると、その後特に変化は見られないそうです」
マクシミリアンの口角はもともと少し上がり気味のため、こうして話しているときも微笑を浮かべてるように見える。しかし本当に笑ったところは、エドワードですらめったに見たことがない。
「なるほど。するとバージルが抱き上げたときだけ、過剰反応を示したことになるな。やはり、ヒースダインからの報告と一致してる」
「つまり彼は、人と触れ合うと体調に異常をきたす体質だと結論づけても?」
ヒースダインで諜報活動をおこなってるのはマイヤーの部隊だが、その中にはエドワード直属で動いてる者も数名いた。マイヤーは当然知ってるが、知ってて素知らぬ顔をしてるのは、彼から『故意に』伝えたくない情報でも、彼らがそれとなくエドワードに伝えてくれるからだ。
「呪いだのなんだの、迷信めいた戯言を取っ払って考えれば、あちら側がなぜわざわざ彼を指名して我が国に送りこんだのか、その理由がわかると思ったが……」
エドワードは、件の王子が『厄介払い』ついでに国から追い出されたなんて、はなから信じてなかった。ヒースダインは長年ウェストリンを狙ってきた。なぜならウェストリンの南側は、西の大陸と交易するのに都合がいい海岸線がある。そこは昔から大きな港町として栄え、世界でも有数の貿易拠点のひとつとして数えられるまで発展をとげた。ウェストリンは長年この港で、貿易を通じて外貨を稼いできた。内陸国のヒースダインにとっては、喉から手が出るほどほしい土地に違いない。
「たとえ集めた情報が事実関係を裏づけたとしても、真の目的にたどり着けるとは限らない。仮にあの王子が人に触れると体調不良に陥る体質だったとして、それがウェストリンにとって何の危害となる? あの老ぼれの色欲が気味悪がって指一本触れず、結果彼が寵愛を受けなかったとして、それが二国間の同盟関係に悪影響をもたらすほどの要因となるか?」
「いえ。現に彼を四年間も幽閉してたにもかかわらず、ヒースダインとの関係性に特に変化は見受けられません」
クーデターが起こらなかったら、あの王子は生涯北の塔から出られなかっただろう。
「しかし、もし前国王がほんの気まぐれでも彼に手を出したらどうでしょう?」
「それはもう少し検証する価値がありそうだ。今はバージルの妃にすえてしまったが、もし危険性があるとすれば、あの王子自身の何かだ……あのバージルに限って、寝首をかかれることはないと思うが」
すでに王子の身辺は念入りに調査済みだが、この四年間誰かと密通してた形跡などなく、北の塔の内部も隅々まで調査したが、武器になりそうなものは何ひとつ見つからなかった。
「体つきや視線の動かしかたをみても、訓練された暗殺者とは到底思えない。バージルにも確認したが、手の状態もやわらかくて、武器など扱った痕跡はないとのことだ」
「そうすると、ますます分かりませんね。やはり、呪われし王子がウェストリンに厄災をもたらす、という噂しか信憑性がないのでしょうか」
「それは一番信憑性がないやつだ……クソッ、バージルは本当に、男には興味ないのだろうな?」
「そのはずです」
バージルの性的嗜好は把握している。だからこそエドワードは、件の王子を彼の妃にあてがっても、当面問題はないと判断した。しかも相手は、色欲で見境のない前国王ですら食指が動かなかった男だ。
エドワードは、バージルの博識さを買っていたし、宰相としての才覚をもつ優秀な弟は、色恋沙汰にうつつを抜かす性格ではないこともよく知ってる。本人は、自身の見栄えがする容姿について無頓着な上、女に秋波を送られてもわずらわしく思うきらいがある。
(十代のころに、じゅうぶん相手をあてがって遊ばせたおかげで、今はそちら方面は落ち着いてるようだしな)
バージル本人は知らないが、彼が性に目覚めたころ、適当な女を差し向けたのは他でもないエドワードだ。好みがわからず、いろいろ見繕ってみたが、そのうちには男も含まれていた。結果、何人かの女には手を出したものの、男は歯牙にもかけなかった。どれほどたおやかな美少年や、逆に精悍な男であろうと、だ。
(しかしバージルは、身内に対して愛情深い男だ。仮にも伴侶となった王子に対して、情にほだされて手を出す日がくるかもしれない)
あの王子にどんな危険性があるのか、それはガイヤの報告がひとつの鍵になる。たとえば、彼の体に毒がしこまれているか、などがそれに値した。
(ヒースダインで流行した病が死に至る感染症として、それに罹患した状態でウェストリンへ送りこまれたとしても、四年間の幽閉中に命を落としていても不思議じゃない。となると、やはり体に毒をしこまれてる線が強いか……)
時間をかけて毒を摂取することで、体内に毒がしこまれる。知らずに抱くと、命を落とす危険性があるだろう。
しかしガイヤの話では、長年にわたって毒を微量に飲まされて耐性ができたとしても、体が蝕まれ、全身の痛みは耐え難く、まともに食事も取れなければ、ベッドから起き上がれないこともままあると聞く。
「それで、あの王子はまだ床にふせってたのか」
「いえ、それがバージル殿下と、南東の中庭でお食事をともにされたとか」
「庭に出て食事、ねえ……」
エドワードは、くったくない笑顔を浮かべた。
「俺も腹がへったから、そろそろ昼メシにするか。マックス、お前も付き合え」
即位してまだ数日しか経ってないが、どれが優先的に取り掛からなくてはならない仕事なのか、ある程度事前に調査済みなので、判断に困ることはなかった。
「治水の整備が四ヶ所、公道の整備が八ヶ所、あとは公文書の承認プロセスの見直しだな。午後の予算会議までに、費用の概算をまとめといてくれ」
「承知しました」
エドワードの横に控えるのは、マクシミリアン・ピアース執務補佐だ。ほんの数年前、三十手前という異例の若さでエドワード王太子の補佐に抜擢されたが、まだ自身がつかえる主のことを完全に理解してると言い難いだろう。やわらかな栗色の髪に少し垂れた淡い茶色の瞳は、女性ウケは悪くないが職場では軽んじられがちだ。しかしそれを逆手に取って、相手の油断をつく程度には、したたかな性格をしていた。エドワードは、彼のそんな一面を特に気に入っている。
「ところで例の王子の容体ですが、ガイヤ殿の報告によると、その後特に変化は見られないそうです」
マクシミリアンの口角はもともと少し上がり気味のため、こうして話しているときも微笑を浮かべてるように見える。しかし本当に笑ったところは、エドワードですらめったに見たことがない。
「なるほど。するとバージルが抱き上げたときだけ、過剰反応を示したことになるな。やはり、ヒースダインからの報告と一致してる」
「つまり彼は、人と触れ合うと体調に異常をきたす体質だと結論づけても?」
ヒースダインで諜報活動をおこなってるのはマイヤーの部隊だが、その中にはエドワード直属で動いてる者も数名いた。マイヤーは当然知ってるが、知ってて素知らぬ顔をしてるのは、彼から『故意に』伝えたくない情報でも、彼らがそれとなくエドワードに伝えてくれるからだ。
「呪いだのなんだの、迷信めいた戯言を取っ払って考えれば、あちら側がなぜわざわざ彼を指名して我が国に送りこんだのか、その理由がわかると思ったが……」
エドワードは、件の王子が『厄介払い』ついでに国から追い出されたなんて、はなから信じてなかった。ヒースダインは長年ウェストリンを狙ってきた。なぜならウェストリンの南側は、西の大陸と交易するのに都合がいい海岸線がある。そこは昔から大きな港町として栄え、世界でも有数の貿易拠点のひとつとして数えられるまで発展をとげた。ウェストリンは長年この港で、貿易を通じて外貨を稼いできた。内陸国のヒースダインにとっては、喉から手が出るほどほしい土地に違いない。
「たとえ集めた情報が事実関係を裏づけたとしても、真の目的にたどり着けるとは限らない。仮にあの王子が人に触れると体調不良に陥る体質だったとして、それがウェストリンにとって何の危害となる? あの老ぼれの色欲が気味悪がって指一本触れず、結果彼が寵愛を受けなかったとして、それが二国間の同盟関係に悪影響をもたらすほどの要因となるか?」
「いえ。現に彼を四年間も幽閉してたにもかかわらず、ヒースダインとの関係性に特に変化は見受けられません」
クーデターが起こらなかったら、あの王子は生涯北の塔から出られなかっただろう。
「しかし、もし前国王がほんの気まぐれでも彼に手を出したらどうでしょう?」
「それはもう少し検証する価値がありそうだ。今はバージルの妃にすえてしまったが、もし危険性があるとすれば、あの王子自身の何かだ……あのバージルに限って、寝首をかかれることはないと思うが」
すでに王子の身辺は念入りに調査済みだが、この四年間誰かと密通してた形跡などなく、北の塔の内部も隅々まで調査したが、武器になりそうなものは何ひとつ見つからなかった。
「体つきや視線の動かしかたをみても、訓練された暗殺者とは到底思えない。バージルにも確認したが、手の状態もやわらかくて、武器など扱った痕跡はないとのことだ」
「そうすると、ますます分かりませんね。やはり、呪われし王子がウェストリンに厄災をもたらす、という噂しか信憑性がないのでしょうか」
「それは一番信憑性がないやつだ……クソッ、バージルは本当に、男には興味ないのだろうな?」
「そのはずです」
バージルの性的嗜好は把握している。だからこそエドワードは、件の王子を彼の妃にあてがっても、当面問題はないと判断した。しかも相手は、色欲で見境のない前国王ですら食指が動かなかった男だ。
エドワードは、バージルの博識さを買っていたし、宰相としての才覚をもつ優秀な弟は、色恋沙汰にうつつを抜かす性格ではないこともよく知ってる。本人は、自身の見栄えがする容姿について無頓着な上、女に秋波を送られてもわずらわしく思うきらいがある。
(十代のころに、じゅうぶん相手をあてがって遊ばせたおかげで、今はそちら方面は落ち着いてるようだしな)
バージル本人は知らないが、彼が性に目覚めたころ、適当な女を差し向けたのは他でもないエドワードだ。好みがわからず、いろいろ見繕ってみたが、そのうちには男も含まれていた。結果、何人かの女には手を出したものの、男は歯牙にもかけなかった。どれほどたおやかな美少年や、逆に精悍な男であろうと、だ。
(しかしバージルは、身内に対して愛情深い男だ。仮にも伴侶となった王子に対して、情にほだされて手を出す日がくるかもしれない)
あの王子にどんな危険性があるのか、それはガイヤの報告がひとつの鍵になる。たとえば、彼の体に毒がしこまれているか、などがそれに値した。
(ヒースダインで流行した病が死に至る感染症として、それに罹患した状態でウェストリンへ送りこまれたとしても、四年間の幽閉中に命を落としていても不思議じゃない。となると、やはり体に毒をしこまれてる線が強いか……)
時間をかけて毒を摂取することで、体内に毒がしこまれる。知らずに抱くと、命を落とす危険性があるだろう。
しかしガイヤの話では、長年にわたって毒を微量に飲まされて耐性ができたとしても、体が蝕まれ、全身の痛みは耐え難く、まともに食事も取れなければ、ベッドから起き上がれないこともままあると聞く。
「それで、あの王子はまだ床にふせってたのか」
「いえ、それがバージル殿下と、南東の中庭でお食事をともにされたとか」
「庭に出て食事、ねえ……」
エドワードは、くったくない笑顔を浮かべた。
「俺も腹がへったから、そろそろ昼メシにするか。マックス、お前も付き合え」
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