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第一部

7.白い寝室

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 カシュアは、消毒の匂いで目を覚ました。鼻にツンとくる独特な感覚は、痛みではないものの刺激があって、少し新鮮でもある。
 そろりと体を起こすと、真っ白で羽のように軽い掛け布団の一部が、床へとずれ落ちた。あわてて引き上げながらまわりを見回すと、そこは見たこともない部屋だった。壁も天井も真っ白で、家具はカシュアが寝てるベッドひとつだけ。それは天蓋付きの広いもので、白い紗のカーテンが下がっているが、同色のタッセルで柱にまとめられている。
(ここは、どこだ?)
 床に降りようとしたら、ケガをした方の足に包帯が巻かれていることに気づいた。とまどいながらも、ひざを曲げて顔を近づけようとしたとき、ノックの音がしたのであわてて布団の中に引っこめる。しばらく黙って息をひそめていたら、再び軽いノックとともに「失礼します」と声が掛かって、部屋の端に設られた扉が遠慮がちに開いた。
「お目覚めでしたか」
 入ってきたのは若い侍女で、たくさんの花がいけられた大きな花瓶を抱えていた。カシュアの視線に気づいた侍女は、にっこり微笑んだ。
「こちらのお部屋があまりにも殺風景だからと、殿下のご希望でご用意させていただきました」
 花は手のひら大の、丸くてコロコロした桃色で、そのまわりをぐるりと囲む白い小花が可憐にゆれている。
「きれいですね」
「気に入っていただけて、なによりです。只今、典医を呼びますので、そのまま楽になさっててください」
 侍女がそう言い残して出ていくと、それほど間を置かずに、今度は白い簡素な衣を身につけた男がやってきた。
「ご気分はいかがでしょう?」
 男はガイヤと名乗り、王宮に常勤してる医師で、代々王族を診る『典医』の称号を持つ立場だという。男は、大きな皮の鞄をベッドの足元に置くと、どれどれとカシュアの顔をのぞきこんだ。背は低いががっしりした体格で、焦茶色の短い髪と目尻のしわに人の良さを感じられ、カシュアの警戒心もなんとなく薄れていった。
 ガイヤは小さくうなずくと、まずはよかったと微笑んだ。
「どこか痛むところはありませんか」
「いえ、どこも」
 とっさにこたえると、ガイヤは少し眉を下げた。
「おみ足をケガされてたので、処置させていただきました。痛かったでしょう、化膿しかけてましたよ?」
「あ……そう、ですね」
 思わず視線をそらしてしまったが、不自然ではなかっただろうか。ボソボソとお礼をつぶやくと、医師はいえいえと足元の鞄を持ち上げた。
「他にもどこかお悪いのでしたら、我慢されないでください。発作的とはいえ、あれほど苦しんでおられたのは、単純に疲労やストレスだけが原因とは思えません」
 きっと、バージルに抱き上げられたときのことだ。痛みで意識が飛んだのは久しぶりだったが、重篤な事態と勘違いされたかもしれない。
(バージル殿下は、大丈夫なのだろうか)
 気にはなるが、この医師にきいてもいいものか迷っていると、向こうからあたかもカシュアの疑問にこたえる言葉が告げられた。
「これまでの生活環境によって、少しずつお体を壊されてる可能性がございます」
「そう、ですね……」
 たしかにバージルはいつも忙しそうだから、体をじゅうぶん労われてないように見受けられる。
「なにかご事情がおありなのですね」
 カシュアが顔を上げると、医師は困った様子で、それでも無理に聞き出そうとはしなかった。
「しかし、あまり殿下にご心配をお掛けしてしまうようなら、精密検査をさせていただくことになるでしょう」
「それは……」
 かえって、いいかもしれない。むしろカシュアが健康体である証明になる。反対に、ぜひバージルの検査こそ、おこなってもらいたいものだ。
 ぜひ、お願いしますと言いかけたそのとき、ノックの音とともに、今度は間を置かずに扉が開いた。
「気づいたか。容体は?」
 現れたのは、シャツに簡素なズボン姿のバージルだった。つい先日、謁見の間ではじめて顔合わせをしたときと同じような格好で、既視感を覚える。
「殿下、もう起きられたのですか。もう少しお休みになられたほうが」
「私はじゅうぶん休んだ。彼は?」
「ご覧のとおり、お顔の色もよくなって、容体も安定されてます。ただ、もう二、三日はご様子をみたほうがよろしいかと」
 医師からチラリと向けられた視線に、カシュアは身が縮こまる思いがした。隠し事があるなら、早めに吐いたほうが無難だとでも言いたそうだ。
(それができたら、どんなに楽か)
 ずっと隠し通せるとは思ってない。痛みに対する反応は、不意を突かれるとごまかしようがないことがままある。
「……大丈夫か。どこか苦しいところはないか」
 いつの間にかうつむいていた顔を上げると、すでにガイヤは出ていったようで、部屋にはバージルと二人きりだった。
「腹はすいてないか。なにか用意させるか」
 バージルはベッドサイドの椅子に座ると、足を組んで身を乗り出してきた。
「それとも少し眠るか。寝る前にあたたかい飲み物を持ってこさせようか」
 目の前の精悍な顔立ちは、造形美にばかり目がいきそうだが、こうして至近距離でながめると、高い頬骨の下には薄く影が落ち、思慮深そうな双眸の下瞼には青黒いくまがあった。
「手を握っても?」
「えっ」
 バージルが手を伸ばした途端、あの苦しみや痛みを瞬時に思い出し、反射的にベッドの背もたれに体を押しつけて避けてしまった。その過剰とも呼べる拒絶反応に、バージルの表情がこおりつく。
 二人の間に落ちた、居心地の悪い沈黙を先に破ったのはバージルだった。
「急に無理を言って、すまなかった。できれば毎日、短かくてもいいから、こうして二人で過ごす時間を取れないだろうか」
「お気づかいいただいたのに、失礼な態度を取ってしまい、なんとお詫びしたらいいのか……」
「いや、侍女たちから聞いてる。あなたは人に触れられるのが苦手だそうだな」
 間違ってない。だが、仮にも相手は婚姻関係を結んだ王弟殿下だ。
(我慢しようか)
 いや、それは得策ではない。バージルの様子を見るに、体調はあまり変わってないようだから、不用意に触れたくなかった。
 カシュアが返事に困っていると、バージルは「ならば」とささやかな提案をしてきた。
「私の見てる前で、少しでも食事を取ってもらえないだろうか」
「食事、ですか?」
「あまり食べてないから、いつか倒れないか心配で……私の我儘に付き合ってもらえないだろうか」
 言われてみれば、宮殿に移ってから、あまり食べてなかった。それは主に人の目があるストレスからで、正直バージルに見られるのも嫌なのだが。
 カシュアは少し考えて、それから思いきって逆に提案してみることにした。
「殿下もご一緒に召し上がるならば、構いません」
 バージルは、面食らった様子で瞬きした。もしや不敬に当たるだろうかと心配になったが、次の瞬間バージルの口元がうれしそうにほころんだ。
「ではさっそく、私の席をこちらに用意させよう」
 カシュアは胸を撫で下ろす。あとは睡眠時間だが、どうすれば寝てくれるのか。まさか一緒に寝てほしいと言うわけにはいかない。
(昼寝でもいいから、少しは寝てもらわないと)
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