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第一部
3.妖精物語
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結婚が決まったバージルは、さっそくその日の午後にはカシュア・ヒースダインを呼び出した。そして謁見の間で、短い顔合わせを終えると、次は戴冠式の準備へ戻るべく足早に廊下を急ぐ。
なにしろ信用おける人材が不足してるため、目の前に仕事があれば、指揮を取るのは三兄弟のいずれかになる。バージルはここ数日、忙しさにかまけてまともに睡眠が取れてないので、ただでさえ愛想のない顔からは、完全に表情が抜け落ちていた。
「どうだった、例の王子様は?」
執務室に入るなり、戴冠式の打ち合わせのため先に入室してたマイヤーが質問をぶつけてきた。その好奇心むき出しの様子に、バージルはなんと答えたらいいか迷った末、ひと言だけつぶやいた。
「普通だった」
「なにそれ。まさか照れかくし?」
軽口をたたくわりには、その表情が曇っている。弟は感受性が人一倍強く、周囲の人間、特に身内にはことさら気をつかう性格だ。消去法でやむを得ず決まった兄の婚姻について、きっと心配してるのだろう。バージルは己の気のきかなさに反省しつつ、もう少し説明を加えることにした。
「礼儀知らずではなさそうだし、おかしな薬物はやってなさそうだし、不健康そうにも見えない。いや、少し足を引きずってたな……足が悪い可能性がある」
「そっか、一度典医のガイヤに診てもらうといいね……ところで顔を見たんでしょ? かわいかった?」
バージルは首をひねった。あの年ごろの男に対して、かわいいという表現は使えるものだろうか。愛嬌があるかどうか、という意味ならわからなくもないが。
「さあ……不細工ではなさそうだが、特別整ってる感じもしなかった」
先ほどの顔合わせは、結婚がきまったことを相手に告げるのが主な目的だったため、特に容姿の美醜について意識が向かず、顔の造作について正直はっきりとおぼえてない。あまり特徴的な顔立ちではないのだろうが、それでもひとつだけ印象的な部分があった。
「そういえば、銀色の瞳をしてたな。ああいう色の瞳は、はじめてみたかもしれない」
「えっ、銀色の瞳? まるで物語に出てくる妖精みたいだね」
「妖精?」
「ほら、小さいころに読まなかった? 森に住むニンフと、月の神様の間に生まれた妖精の話だよ」
弟の説明に、ようやく大昔に読んだ子ども向けの童話を思い出した。それは架空の森に住む妖精たちの物語で、今のバージルからは想像もつかないが、少年の頃はこういったお伽話が大好きだった。ただ成長するにつれ、現実の汚い世界を知っていくうちに、次第に興味を失っていった。しかし忘れたわけではなく、記憶の底に眠っていたらしい。
(たしか『妖精物語』の第三巻だったか。あの本はどこにやっただろう)
そんなこと問うまでもない。とっくの昔に処分されたのだと、バージルはめずらしく感傷的な気持ちで過去をふりかえった。
自分の幼少時代は、それほど不幸ではなかったと思ってる。母親は高位貴族出身で、たいして国王の寵愛を受けてなかったが、母子二人は特に不自由なく、後宮でおだやかな日々を送っていた。件の本もこの頃に愛読していて、表紙がすり切れてしまうくらい繰り返し読んだものだ。
しかしバージルが十三の年に母親が病でこの世を去ると、生活は一変した。住まいは後宮から東の離宮へとうつされ、厳しい監視下のもと、帝王学を徹底的にたたきこまれた。無論、次期王位継承権は腹違いの兄である王太子エドワードにあり、自分は万が一に備えた『身代わり』に過ぎない。早々に己の立場をさとったバージルは、自分自身の人生に対して傍観者を決めこむことにした。
己の存在は、王宮というゲーム盤の駒のひとつに過ぎない。だから、この国にとって可能な限り『最良の結果』をもたらすよう動かす必要がある。もし自分の結婚が有効ならば、そのカードを切るだけだ。今回の結婚もそうして決まっただけで、当事者である意識はあまりなかった。
それがどうしたことか、弟の些細なひと言をきっかけに、相手に対する個人的な興味がむくむくとふくらんできてしまった。実は誰にも話したことないが、『妖精物語』の妖精こそ、バージルの初恋に近い憧れの存在だったのだから。
バージルは、先ほど終えたばかりの短い逢瀬、もとい顔合わせについて、やっきになって思い出そうと努めた。
(彼はどのような顔立ちをしてただろうか。背は? 体つきは? しまった、もっとよく見ておくのだった)
戴冠式の打ち合わせをしてるときも、その後エドワードに人事配備について相談を受けてるときも、さらに日付をまたいで遅すぎる夕食代わりの夜食を口にしてるときも、常に相手のことが頭からはなれなかった。
(もう一度、できれば近日中に会えないだろうか)
仮にも婚約者なのだから、口実はいくらでも思いつきそうなものなのに、うまく考えがまとまらない。政略結婚なのだからと、一旦は自分の意思も気分も関係ないと感情を切りはなしたのだが、まさかこのような気持ちになるとは思わなかった。このような気持ちとは、つまり相手に対する個人的な『興味』だ。これまで、あまりにも自分の感情に無頓着すぎたせいで、こんな場合どうしたらいいのかわからない。
だって、今までが忙しすぎたのだ。まだ少年と呼ばれるころから、クーデターを成功させるために西へ東へ奔走し、ようやく諸悪の根源とも言える前国王を排除したばかりだ。そしてゆくゆくは宰相となって、聡明な兄王の輝かしい御代に心血を注ぐつもりだ。思春期の青臭い感傷や願望にかまける余裕など、どこにもなかった。
だから自分の結婚など、特に興味も願望もなかった。いずれ適齢期になれば誰かを娶ることになるのだろうと、漠然とした考えしかなかった。そしてそれは、できる限り国にとって益となるものでなければならない。今回の結婚は、まさに政略的に相手が決まっただけのこと、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ただひとつ計算違いだったのは、相手が『妖精』だった点だ。いや似てるところがあるだけで、相手は普通の人間であり成人男性だ。頭ではわかっているのに、一度気づいてしまったからには、どうしても意識してしまう。
(だが私がどう思おうと、これまで通りやるべきことをするだけだ。特別なにかが変わるわけではない)
バージルは、己の感情など余裕で制御できると、この時点ではたかをくくっていた。
なにしろ信用おける人材が不足してるため、目の前に仕事があれば、指揮を取るのは三兄弟のいずれかになる。バージルはここ数日、忙しさにかまけてまともに睡眠が取れてないので、ただでさえ愛想のない顔からは、完全に表情が抜け落ちていた。
「どうだった、例の王子様は?」
執務室に入るなり、戴冠式の打ち合わせのため先に入室してたマイヤーが質問をぶつけてきた。その好奇心むき出しの様子に、バージルはなんと答えたらいいか迷った末、ひと言だけつぶやいた。
「普通だった」
「なにそれ。まさか照れかくし?」
軽口をたたくわりには、その表情が曇っている。弟は感受性が人一倍強く、周囲の人間、特に身内にはことさら気をつかう性格だ。消去法でやむを得ず決まった兄の婚姻について、きっと心配してるのだろう。バージルは己の気のきかなさに反省しつつ、もう少し説明を加えることにした。
「礼儀知らずではなさそうだし、おかしな薬物はやってなさそうだし、不健康そうにも見えない。いや、少し足を引きずってたな……足が悪い可能性がある」
「そっか、一度典医のガイヤに診てもらうといいね……ところで顔を見たんでしょ? かわいかった?」
バージルは首をひねった。あの年ごろの男に対して、かわいいという表現は使えるものだろうか。愛嬌があるかどうか、という意味ならわからなくもないが。
「さあ……不細工ではなさそうだが、特別整ってる感じもしなかった」
先ほどの顔合わせは、結婚がきまったことを相手に告げるのが主な目的だったため、特に容姿の美醜について意識が向かず、顔の造作について正直はっきりとおぼえてない。あまり特徴的な顔立ちではないのだろうが、それでもひとつだけ印象的な部分があった。
「そういえば、銀色の瞳をしてたな。ああいう色の瞳は、はじめてみたかもしれない」
「えっ、銀色の瞳? まるで物語に出てくる妖精みたいだね」
「妖精?」
「ほら、小さいころに読まなかった? 森に住むニンフと、月の神様の間に生まれた妖精の話だよ」
弟の説明に、ようやく大昔に読んだ子ども向けの童話を思い出した。それは架空の森に住む妖精たちの物語で、今のバージルからは想像もつかないが、少年の頃はこういったお伽話が大好きだった。ただ成長するにつれ、現実の汚い世界を知っていくうちに、次第に興味を失っていった。しかし忘れたわけではなく、記憶の底に眠っていたらしい。
(たしか『妖精物語』の第三巻だったか。あの本はどこにやっただろう)
そんなこと問うまでもない。とっくの昔に処分されたのだと、バージルはめずらしく感傷的な気持ちで過去をふりかえった。
自分の幼少時代は、それほど不幸ではなかったと思ってる。母親は高位貴族出身で、たいして国王の寵愛を受けてなかったが、母子二人は特に不自由なく、後宮でおだやかな日々を送っていた。件の本もこの頃に愛読していて、表紙がすり切れてしまうくらい繰り返し読んだものだ。
しかしバージルが十三の年に母親が病でこの世を去ると、生活は一変した。住まいは後宮から東の離宮へとうつされ、厳しい監視下のもと、帝王学を徹底的にたたきこまれた。無論、次期王位継承権は腹違いの兄である王太子エドワードにあり、自分は万が一に備えた『身代わり』に過ぎない。早々に己の立場をさとったバージルは、自分自身の人生に対して傍観者を決めこむことにした。
己の存在は、王宮というゲーム盤の駒のひとつに過ぎない。だから、この国にとって可能な限り『最良の結果』をもたらすよう動かす必要がある。もし自分の結婚が有効ならば、そのカードを切るだけだ。今回の結婚もそうして決まっただけで、当事者である意識はあまりなかった。
それがどうしたことか、弟の些細なひと言をきっかけに、相手に対する個人的な興味がむくむくとふくらんできてしまった。実は誰にも話したことないが、『妖精物語』の妖精こそ、バージルの初恋に近い憧れの存在だったのだから。
バージルは、先ほど終えたばかりの短い逢瀬、もとい顔合わせについて、やっきになって思い出そうと努めた。
(彼はどのような顔立ちをしてただろうか。背は? 体つきは? しまった、もっとよく見ておくのだった)
戴冠式の打ち合わせをしてるときも、その後エドワードに人事配備について相談を受けてるときも、さらに日付をまたいで遅すぎる夕食代わりの夜食を口にしてるときも、常に相手のことが頭からはなれなかった。
(もう一度、できれば近日中に会えないだろうか)
仮にも婚約者なのだから、口実はいくらでも思いつきそうなものなのに、うまく考えがまとまらない。政略結婚なのだからと、一旦は自分の意思も気分も関係ないと感情を切りはなしたのだが、まさかこのような気持ちになるとは思わなかった。このような気持ちとは、つまり相手に対する個人的な『興味』だ。これまで、あまりにも自分の感情に無頓着すぎたせいで、こんな場合どうしたらいいのかわからない。
だって、今までが忙しすぎたのだ。まだ少年と呼ばれるころから、クーデターを成功させるために西へ東へ奔走し、ようやく諸悪の根源とも言える前国王を排除したばかりだ。そしてゆくゆくは宰相となって、聡明な兄王の輝かしい御代に心血を注ぐつもりだ。思春期の青臭い感傷や願望にかまける余裕など、どこにもなかった。
だから自分の結婚など、特に興味も願望もなかった。いずれ適齢期になれば誰かを娶ることになるのだろうと、漠然とした考えしかなかった。そしてそれは、できる限り国にとって益となるものでなければならない。今回の結婚は、まさに政略的に相手が決まっただけのこと、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ただひとつ計算違いだったのは、相手が『妖精』だった点だ。いや似てるところがあるだけで、相手は普通の人間であり成人男性だ。頭ではわかっているのに、一度気づいてしまったからには、どうしても意識してしまう。
(だが私がどう思おうと、これまで通りやるべきことをするだけだ。特別なにかが変わるわけではない)
バージルは、己の感情など余裕で制御できると、この時点ではたかをくくっていた。
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