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スピンオフ【相川と太田】

13*

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 その夜、相川はめずらしく酔ってたようだ。
 いつもなら口下手の雅史のテンポに合わせてくれるのに、完全に相川のペースで会話を進めてきた。帰ろうとする雅史をなんだかんだと引き留め、風呂もシャワーもすっ飛ばして、半ば強引にベッドへと引きずりこんだ。

 ベッドサイドに置かれた、小ぶりでかわいらしいランプからこぼれるオレンジ色の光が、雅史を見下ろす相川の顔にくっきりとコントラストを落とす。独身男の寝室には微妙にミスマッチなそれは、前の恋人の趣味だろうか。想像するだけで、胸の中に苦いものが広がっていく。

「……なに考えてるの?」
「へっ、今?」

 仰向けでシーツに転がる雅史の顔に、ゆっくりと影が落ちた。

「そう、今……」

 相川は、自分の存在を主張するように、雅史に顔を近づけると鼻をすり合わせ、時折軽く唇をついばむ。その様子は、戯れてる大型犬を思い起こさせ、自然と雅史の口元がゆるんだ。

「余裕だね」
「……っ!」

 突然深くなった口付けを合図に、欲望に濡れた男の動きが途端に性急になった。雅史が着ていた開襟シャツは、ボタンも外さずいきなりインナーごとまくりあげ、露わになった胸の先にむしゃぶりつかれる。

「あ、ああっ……待っ……」

 雅史は、ズボンの前を揉みしだく男の手をつかみ、なんとか引きはがそうと試みるも、かえって揉み込む力が強まってしまい、あえなく両腕を投げ出した。

「ふっ……かわい……」

 吐息混じりにそうつぶやいた相川は、恍惚として横顔を晒し、舌なめずりする勢いで雅史の体を蹂躙していった。噛みついたり吸いついたり、痛みの一歩手前の強さは、たどった箇所に赤い痕跡を生々しく残していく。
 週末のやさしく甘い抱き方からは、想像もつかないほど強引で激しい一面に、雅史は驚き、混乱していった。

(なんで、俺なんか怒らせることしたっけ? 失言したとか、なにか他に失敗したとか……)

 必死になって頭を働かせようにも、絶え間なく体に与えられる強烈な刺激に意識が揺らいで、ちっとも考えがまとまりそうもない。抗議の意味をこめて、再び絡められそうになった舌を避けて顔を背けると、頭上から掠れ気味の低い声が響いた。

「……千野君はダメだよ。彼には嫉妬深い恋人がいるからね」
「へっ……」

 想像してなかった言葉に、雅史は目を丸くして顔を上げた。するとうっそりと微笑む表情に不釣り合いな、獰猛な視線とぶつかる。

「それとも片瀬? あいつもやめた方がいいよ。なんせここ何年もずっと片思いしてる相手がいるんだ。それはもう、しつこいくらいにね……」

 そこでようやく雅史は、相川がおかしな方向に誤解してることに気づいた。しかし今は何か下手なことを言うと、さらなる誤解を生むかもしれない。なにしろ自分もだが、相川も到底冷静には見えないからだ。

(うう、どうしよう……)

 窮地に陥った雅史は、とうとう泣きたくなってきた。それを唇を噛みしめて、なんとか堪えていると、ふっと体の戒めが解かれた。

「ごめん……怖がらせた」

 体を起こした相川は、抜け落ちた表情を隠すかのように、ふいと顔を背けた。それから雅史の体をシーツからすくい上げると、離さないとばかりギュッと抱きしめる。

「嫌わないで」
「あ……」
「お前に嫌われたら、生きていけない」

 大げさな、と笑って済ませられる声音ではなかった。雅史はそろりと手を上げてると、相川の背にそっと回す。

「あの、嫌いになったり、しませんから」
「うん……」

 肩に埋められた顔が小さく動いて、次に首筋に柔らかな何かが押しつけられた。くすぐったさに肩をすくめると、ようやく相川の体から力が抜けた。

「よかった……別れたいとか、言われなくて」
「……そんなこと、言うわけないっすよ」

 そう、そんなこと言うはずもない。だって、そもそもが付き合ってるかどうかすら、分からなかったのだから。
 しかしこれではっきりした。別れるのは許さないだの、別れたいと言われなくてよかっただの、つまり自分たちは付き合ってたのだ。

(……いつの間に……てか、いつから?)

 ひとつの疑問が解けた途端、次なる新たな疑問が浮かぶ。相川の『付き合ってる』は、一体どこからを指すのだろう。
 カラダの関係を持った時点で付き合いが始まるのか。それとも持つ前からすでに付き合ってたつもりなのか。おそらく後者だろう。

(たしかサークル時代は、しょっちゅう付き合ったり別れたりしてるって噂があったよな……)

 しかしあくまで噂な上、すぐにサークルに顔を出さなくなった雅史は、それほど相川も相川の噂をしてた周囲の人間も知っていたとは言えない。もてる人間は、総じてやっかみの対象となる為、悪意ある噂を立てられても不思議ではない。

(それに、なんとなくだけど……そんな取っ替え引っ替えできるほど器用そうに見えないんだよな……)

 雅史は、自分の凡庸としか思えない顔に飽きずにキスの雨を降らせてる男を、そっと盗み見た。なんとも甘く、幸せそうな様子である。

「さっきは、怖がらせてごめんね」
「いいですよ、もう……」
「もしかして、俺の気持ちを疑ってる?」

 核心を突く言葉に、雅史はハッとした。

「そっちか」
「……すんません、俺」

 クスクス笑う男の吐息が、感じやすい耳の後ろにかかった。

「最初からがっつくと、引かれると思って遠慮してたけど、それで疑われるなら本末転倒だな」

 両手で顔をすくわれ、唇の真ん中をちょんと舌先でつつかれた。間近に迫る瞳は、長くて濃いまつ毛が覆われ、高い鼻梁が頬を掠める度に、微かな吐息のようにくすぐられる。

「もしお前が少しでも俺と距離を置こうとするなら、今夜は帰れないように足腰立たなくなるまで抱きつぶすつもり」
「……いや、明日会社だから!」
「ここからリモートで仕事すればいいよ。PC持ってるだろう?」

 相川の指摘通り、雅史は万が一に備えて常にPCを持ち歩いている。床に放置された黒のナイロンバッグが、視界の端に所在なさげに映った。
 雅史がPCをながめてため息をついていると、相川は両手で雅史の顔をはさんで自分へと向きを戻した。

「こら、仕事は明日だろ。今夜は俺だけ見て、俺のことだけ考えてよ」
「そんな、無茶な……」
「つれないね。じゃあ……俺しか考えられないようにしてあげる」
「……クソ安いセリフっすね」

 雅史の暴言とも取れる軽口に、相川はこの上なくうれしそうに笑った。笑いながら、戯れるように再びベッドへ押し倒されてしまう。向けられた双眸が、あからさまな欲望に濡れて、吐く息が熱い。

「せ、先輩、明日は仕事が」
「うん……そうだね」

 男はそう言いながらも、動きを止めることはなかった。

「それで、お前は何に悩んでいたの」
「えっ……ああ」
「言って」

 今さら、自分たちは付き合ってるのかどうかで悩んでた、なんて言えない。雅史は、絶え間なく与えられる激しい愛撫に翻弄されつつ、なんとか知恵を絞った。

「……俺らの関係って、その、もう恋人同士ってことで、いいんすよね……?」
「うん、俺がお前の彼氏だよ。束縛気味の重たい奴だけどあきらめてね」

 その夜、相川は雅史を一晩中離そうとはせず、どんなに泣きを入れても一睡も眠らせてくれなかった。





 翌日。雅史が目覚めたのは、始業時間ギリギリ前だった。

「ふふ、朝から刺激的な格好してるね」

 雅史が裸のまま、あわてて床の上でPCを起動させていると、すでにTシャツ姿の相川が背中から抱きついてきた。

「暑苦しいんで、離れてください」
「エアコンの温度下げるよ」
「もう、邪魔しないでくださいよ。大人しく、あっちいってて……」

 リモコンの操作音が聞こえ、再び背中が温かいものに包まれた。

「よいしょっと」
「あ、こらやめろ」

 ちょうどログインしたところで、強制的に胡座をかいた相川の上に座らされてしまう。傍に置かれたトレーには、湯気の立つマグカップと、トーストをひと切れだけ乗せた皿があった。
 相川は、雅史を抱えたまま器用にトーストをひと口大に千切ると、それを憮然とした顔の雅史に差し出した。

「ほら、口開けて」
「は?」
「両手塞がってるでしょ。食べさせてあげるよ」
「ふざけないでくださ……」

 雅史が抗議の意味をこめて、肩越しに男の顔を見上げると、フワリと唇を掠め取られた。

「ふふ、びっくりした顔もかわいい」
「あ、あんたなあ……」
「ご飯食べないと、仕事させないよ」

 相川の手があやしげに動き出し、雅史の仕事の手を止めようとする。その様子に、雅史はとうとう白旗を上げた。

「はい、あーん」
「……」

 相川は、さもうれしそうに雅史の餌付けを開始した。長くて男らしく骨ばった指が、一欠片のパンを雅史の口元まで運ぶ際に、わざと唇に触れていく。そしてそのまま、口の端を軽くこすって顔を近づけると、啄むようなキスを落とされた。

「パンくずが、ついてた」

 雅史は、薄く蜂蜜が塗られたパンを咀嚼しながら、すぐ横でミルクのカップをふうふう息をかけて冷ましてる端正な顔を、あきれたようにながめた。

(はじめからこんなで、もつのか……?)

 フルスロットルな愛情表現に、熱しやすく冷めやすかったらどうしようかと、雅史はむしろ不安を覚えてしまう。

(取っ替え引っ替え、てほど不誠実とは思えないけど……)

 学生時代にサークルで聞いた噂を鵜呑みにするほど短絡思考ではないが、この状況を素直に受け入れられるほど単純ではなかった。
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