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第一部

9.バレたくない体調不良

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 緊張する俺とは裏腹に、隣の津和は終始リラックスモードだ。俺の髪をすいたり耳たぶをつまんだり、変なちょっかいを出してくる。
「昨日は、久しぶりに学生時代に戻った気分で、新鮮だったよ」
「学生気分?」
「そ。やらなかった? 飲んだ後、皆で雑魚寝とか」
 たしかに学生のころは、友達同士で雑魚寝した。特に大学では、よくサークル仲間で誰かのアパートに集まって散々飲んだあと、せま苦しい床で眠ったりもした。
(あの頃は、今ほど偏頭痛も酷くなかったよな……)
 今あんなむちゃな飲みかたしたら、翌日は間違いなく偏頭痛に見舞われるだろう。もちろん今の年齢では、体力的にもやれるはずもないが。
「ほんの三日間だから、布団のレンタルなんて大げさだろう?」
「たしかにレンタルしなくても、うちの」
 うちのアパートにある、と言いかけたのに。
「ここのソファーは柔らかいけど、長時間だと腰を痛めるよ。俺も過去に何度か、ベッドに行くのが面倒なときにソファーで寝たことあるけど、あれはダメだ。朝になると体中が痛くなったからね」
「そ、そうなんだ……」
「たった三日間なんだから、一緒のベッドで寝ればいいよ。もし枕変わると眠れないなら、もう一度車出すからアパートから取ってくる?」
「いや枕は別に、大丈夫だけど……」
「毛布とか、お気に入りのものがあると、安心したりする?」
「そういうのも、別に……」
「じゃあ、昨日と同じで大丈夫そうだな」
 どうやら一緒のベッドで寝ることは、決定事項のようだ。
(もー、いいや……たった三日間なんだ。どうとでもなれ……)
 先ほど飲んだ鎮痛剤が効きはじめたのか、だんだん眠たくなってきた。睡魔と格闘する俺に、津和はクスクス笑いだす。
「寝てていいよ。今日は特に予定もないだろう?」
「でも、せっかくだから……もっと片付けしようと、思ったんだけど……」
「見てのとおり、急いでないから後で構わないよ」
 たしかに半年もこの状態だったんだから、今さら急いでないのはわかる。でもそうすると、俺のいる意味って無いんじゃないか?
(やっぱり起きよう……これじゃ単なる『お泊り会』になっちまう)
 思い切って体を起こそうとしたのに、津和の手で無理やりベッドへ引き戻された。背中に当たるシーツの感触がサラリと気持ち良く、包まれているような安心感がある。ほうっと息を吐くと、ふいに大きな手が伸びてきて、俺の両目をすっぽりと覆ってしまった。
「無理しなくていいよ……特に、俺の前では強がらなくていい」
「なっ……」
 低く、無駄に甘い囁き声に、腰が砕けそうになった。
(なんだ、その口説き文句みたいな台詞は!)
 目を塞がれているから、余計に音に対して敏感になっているのかもしれない。いずれにせよ、こんな甘い声音で口説かれたら、きっとひとたまりもない。
「こっちは君が一番酷い状態のときを知ってるんだ。今さら驚くこともないから安心して」
「あ……」
 なるほど、階段から落ちた夜がまさにそれだ。たしかに、あれほどの醜態をさらしたあとならば、今さらな感じもする。
(でも、だからって、しょっちゅう具合悪そうにしている訳にいかないって)
 やはり一人の方が気楽でいい。こんな風にやさしくされると、自分を甘やかして、誰かに甘えてしまいそうで……困る。
「……悪い、じゃあ少し寝かせて。一時間もすれば、楽になると思う」
「うん。俺はリビングにいるけど、何かあったら遠慮なく呼ぶこと。わかった?」
 津和はそう言い残して、あっさり寝室を出ていった。こんな風に、絶妙なタイミングで引いてくれるのも小憎い。
(どこまでイケメンなんだ、アイツ……)
 俺は閉じられた寝室の扉を、霞む目をこらしてながめる。出だしからこんな調子で、これから先三日間も大丈夫だろうか。
(目が覚めたら、今度こそちゃんと仕事をしよう……)

 週末は、意外にも平穏無事に過ぎていった。
 はじめはケガした時の病院騒ぎや、強引にマンションに引きとめられたこともあって、あれこれ干渉されるかもしれないと覚悟していた。
 だが津和は思ったよりも淡白で、日曜日はずっと家にいたものの、ほとんどほったらかしで好きにさせてくれた。
 本当は清掃員のバイトが入っていたけど、さすがに捻挫が悪化しそうだったので、思いきって休ませてもらった。おかげで一日中、心ゆくまで片づけに専念できた。
 結果、段ボールが五つほど片づいた。まだまだ道のりは遠いが、このペースで片付けていったら、二週間ほどで完了するだろう。
(いっその事、二週間をお試し期間として同居する、とするのもアリかもな)
 よくよく考えたら、三日間という短い期間で決断するなんて無理だ。しかも相手は弁が立つ津和だから、きっと丸めこまれて、流されるように同居することになってしまいそうで怖い。
 ならば二週間で部屋の片づけを終わらせて、それから同居するかどうか判断したほうが、こちらとしても断りやすい状況な気がする。
 日曜の夜、思いきってお試し滞在の延長を切り出してみると、津和は快諾してくれた。案外チョロいかもしれない。
(こうなったら、なんとしても二週間のうちに、部屋を片づけてしまおう。そうすれば、俺がここにいる大義名分はとりあえず無くなるから、冷静に判断できるはずだ)
 風呂から上がったばかりの俺は、タオルで頭を拭きながら洗面台の鏡をのぞきこむ。シャワーの温度を低めに設定して、短時間で出てきたせいか、顔の血色は悪いままだ。沸かしてもらった風呂は入らなかったばかりか、浴槽の蓋すら取らなかった。
(熱いお湯なんて、見ただけで頭が痛くなりそうだもんな……)
 体調の良い日でも、基本湯船には浸からない。サウナや温泉なんてもってのほかだ。
 温泉といえば学生時代、修学旅行先で温泉に入ったことを思い出す。すっかりのぼせてしまった挙句、激しい頭痛に襲われて散々だった。当時、男性教員の部屋で一晩中、つきっきりで介抱してもらったけど、あれは本当に気まずかった。
 旅行のあとは、クラスメイトの思い出話にちっともついていけなかった。夜中に皆でベタに枕投げしたことや、怪談話をしたこと、こっそりお菓子を食べながら恋バナしたこと、女子の部屋に遊びに行ったこと等、一切参加できなかったからだ。
 こんな話は、きっとどこにでも転がっていそうだとわかってる。でも俺にとって、少し悲しい記憶に変わりない。
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