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二十七日目

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 殿下は戴冠式までの三日間、公務を休むことになった。
 大きな式典を控えて体調を崩さないよう、大事をとって休養するためと言うが、実際のところ警備目的らしい。奥離宮の周囲には厳戒態勢が敷かれ、式典当日まで一歩も外に出られない状況だ。

「まるで特別休暇をもらった気分だな」
「実際そうでしょう。今まで休みらしい休みがなかったんですから」

 今日は天気も良いので、庭にブランケットを広げて、ピクニック気分を味わっている。サンルームの窓が白く光って眩しいが、木陰の下は驚くほど涼しくて快適だ。
 俺の足を膝枕に寝そべるセレは、心地良さそうに瞼を閉じて、口元にはおだやかな笑みを浮かべている。

「君も少し眠ったら?」
「いえ、昨夜たっぷり寝ましたから。それに俺が寝るとしたら、セレの枕が無くなっちゃいますよ」
「うーん、それも困るな……」

 銀のまつ毛が揺らめき、白くなだらかな頬が俺の右足に押しつけられた。ズボンに隠されたケガはすっかり癒えて、もう薄いあとしか残ってない。

「しあわせだな」

 静かな声が、風が揺らす枝葉の音と混じって、澄んだ空気に溶けていった。

「君はどう?」
「俺ですか?」
「うん。君もしあわせだと、僕もうれしい」
「……セレがしあわせなら、俺もしあわせですよ」
「そんな受け身の言葉ではなくて、君自身がどう思うか教えて」

 返答に困ることを聞くものだ。人の気持ちなんて、簡単に説明できるものじゃない。ましてや、しあわせなんて。

「ロキ? どうしたの、なんか顔色が悪い」
「木陰のせいで、そう見えるんですよ」
「体が冷えたのかな。もう中に戻ろう。温かい飲み物を用意するよ」

 手を引かれて立ちあがろうとしたけど、体が重くて動けない。俺は甘えるように殿下を見上げて、両腕を伸ばした。

「ふふ、子どもみたい」

 セレはうれしそうに頬を染めて、俺をやさしく抱き上げてくれた。長い指が頬にかかる髪を耳にかけると、吐息とともにやわらかく唇を啄まれる。

「ん……冷たいな。これはいけない、早く中へ」

 少しあわてた様子だけど、俺を揺らさないよう、足取りはゆっくりしてた。その代わりに、抱き上げる両腕に力がこもる。それに甘えて、俺はさらに体の力を抜いた。

「ロキ……眠るの?」
「ええ、そうかも、しれません……」

 意識が途絶える前に、先に伝えなくては。

「俺も、しあわせです」
「……ロキ!?」

 最後なのに嘘ついた。本当は悔しくて悲しい。もっと生きて、しあわせになりたい。





 その後、奥離宮は騒然となった。すぐさま典医が呼ばれ、次期国王の伴侶となるはずの青年の容体を確認する。

「意識はございますが、脈がとても弱い。理由は分かりませんが、このまま心肺停止する可能性もあります」
「そんな……傷はすべて癒したはずだ」

 医師の言葉に、セレスタンは納得がいかなかった。身体中に散る傷跡はほぼ消した。一番ひどかった右脚の腿の裂傷も、ようやく肉が盛り上がり、薄いあとになるまで癒えたのだ。

「彼はかつて傭兵として、戦場にいたのでしょう。目に見える外傷だけではなく、体の内側も痛めている可能性がございます」
「内側……」
「内臓や血管に問題があるかもしれません。深い傷が臓器まで届いて、機能不全を起こしたとも考えられます」

 セレスタンは血の気が引く思いで、シーツに横たわるロキを見つめた。おそらく体調不良でも、我慢してたに違いない。彼は、嘘をつくのがとても上手だから。

「手術は無理なのか」
「原因が特定できないので、どこを施術すればいいのか分かりかねます。それ以上に、彼の体力がもたないでしょう」
「……そうか。ならば方法はひとつしかない」

 本当は、彼の体力が回復するまで待ちたかった。

「すぐに延命措置を行う」
「延命を強いたところで、体の変化に耐えられないかもしれません。ことによると、苦痛だけ与えてそのまま……」
「だが、彼は生きたがっていた」

 意識を失う前の表情は、言葉とは裏腹で、悲しさを帯びていた。あれがしあわせな人間の表情だなんて、とても信じられない。

「彼が生きたいと望む限り、できる限りの手を尽くす」

 典医は、セレスタンの決意を尊重することにしたようだ。それはそうだろう、彼はエルフの体質や特性、そして不思議な力について知る数少ない人間の一人だ。エルフが伴侶を失えば、生きていけないことは容易に想像できるはずだ。

「大丈夫ですよ、この男は案外しぶといところがありますからね」

 典医の後ろから声をかけたのは、ワイダール宰相補佐だった。彼も、この状況を正しく理解できてる分、内心必死だろう。

「皆、出ていってくれ。彼と二人きりになりたい」

 典医とワイダールが出ていってしまうと、セレは体の芯から湧き上がる震えに、両手で顔を覆った。

(こんな時に、僕は……)

 エルフとしてどうしようもない性なのが、セレ自身の浅ましい執着と本能から来るものなのか。このような状況下にもかかわらず、彼に触れるよろこびに打ち震えてしまうとは。

「ロキ……ロキ、聞こえる?」

 ロキの瞼が、薄く開いた。脈は弱くても、瞳の強さは変わらない。

(あの地獄のような戦場で……はじめて見つめられた時から、ずっと同じだ)

 彼には告げてないことがあった。それを知られたら、気持ちが疑われてしまうと恐れたから。

「ねえ、ロキ……君は僕の、命の恩人なんだよ……だから今度は、僕が君を助ける番だって……そういう理由があるなら、許してくれるかな」

 ロキの視線が揺れた。

「君が、君自身をあきらめる理由を、先に奪ってしまう僕を許して」

 あきらめる方が楽で、後を追うのも簡単だ。でもそれは許せない。二人で生きのびて、二人一緒にしあわせになりたいのだから。
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