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二十二日目-3
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次の瞬間、頭に衝撃があった。倒れたのがベッドの上だったのが救いだが、あっという間に後ろ手で拘束され、しかも馬乗りに押さえつけられてしまい、身動きが取れない。
馬乗りになってる奴は、ウルスよりも大柄な男のようだ。首筋に当たる硬質な物はナイフだろうか。足元ではロープをくくる音がする。袋越しの視界は最悪だけど、部屋の様子が手に取るように分かった。
「おい、なんでひとおもいに始末しねーんだよ」
ウルスの冷たい声が響くと、それに反応して、俺の頭上から野太い男の声が食ってかかった。
「気が変わった。コイツは親父の秘蔵っ子だろ。ゆすりのネタには最高じゃねえか」
「ふざけんな! いいからさっさと……」
ウルスの言葉は不自然に途切れ、ほぼ同時に壁に何かを打ちつけたような、大きな物音がした。
続いて、室内に踏み込んでくる多くの足音がして、俺は自分が助かったことを知る。訓練された足運びに、防具のこすれる硬質な金属音、小さな号令と従う返答は兵士のものに間違いない。ああもう大丈夫だ、後は落ち着いて、彼らに任せればいい……。
「……ロキ」
殿下の声が耳元でした途端、全身が激しく震えた。抱きしめられた感覚に、いつもならあり得ない幸運に、頭で理解できても体が追いつかない。だから、反射的に拒絶の声を上げていた。
「……やだ、はなせ!」
「ロキ……ロキ、もう大丈夫だから」
俺は暴れるだけ暴れ、そのうちどこかで意識が途切れてしまった。暗転する刹那、首にチクリと鋭い痛みを感じたから、たぶん鎮静剤でも打たれたのだろう。
ゆらぐ意識の中で、誰かにきつく抱きしめられていたみたいだが、今の俺にはそれすらも恐ろしかった……だってこれはきっと、すぐに覚めてしまう都合の良い夢だ。
こんな夢は、過去に幾度となく見てきた。そして見た数だけ裏切られたことを、俺はやるせないほど知っている。
目を覚ますと、真っ暗な部屋にいた。寝かされているベッドは温かく、体がシーツに沈みこむほどやわらかい。
(今、何時だろう……)
起き上がって時計をたしかめたくても、体に巻きつく腕に阻まれてしまう。それでもあきらめずにもがいていたら、ようやく少しだけ拘束がゆるんだ。
「ロキ、目が覚めた?」
寝起きの掠れ声は、殿下のものだ。腕枕をされ、薄い布一枚すら隔てず、素肌の胸に抱きしめられている。
「気分はどう? 痛いとこはある? ああ、頭は触らないように。脳震盪を起こしたから、起き上がるのはやめて」
殿下の手が、そっと頬に触れた。目が少しずつ暗闇に慣れてきて、ようやくここが奥離宮の寝室だと分かった。
「あの……あれからどうなったんですか。ウルスたちは」
「しー、目を閉じて。今は何も考えずに、眠って」
「でも……」
「いい子だから。眠らないと、回復できない。回復しないと、いつまでもベッドから出られないよ?」
それは困る。俺は観念して、素直に目を閉じた。すると睡魔があっという間に襲ってきて、スルリと夢の中に落ちていった。
夢の中で、俺は療養施設にいた。もう何日も経つのに、ずっとベッドから起き上がれなくて、半ば絶望感に襲われていた頃だ。
ああ俺はここで終わるのかと、もう任務に着くこともないのだと、頭の中の冷静な自分が悟った。
でも別の自分が、そんなことは認めない、きっとどこかにこの窮地を抜け出す方法があるはずだと、必死になっていた。とうとう往生際が悪いそいつが打ち勝って、俺は無理やりベッドから這い降りると、病室を抜け出して中庭へと向かった。
中庭には誰もいなかった。観賞用にしてはお粗末だが、手入れされた小さな花壇には、名前も知らないが見慣れた花が咲いていた。
花をながめても高い青空を見上げても、特段なにか感じることはないが、頬をこする風の感触には、いくらか心が慰められた。それは断崖絶壁を吹きつける、あの冷たい風の感触を思い起こした。生命の危機に直面するとより一層湧きあがる、あの生きているという実感が、鋭い刃物のように心を研ぎ澄ませ、ぼやけた視界をクリアにした。
まだ生きることを許されるなら、絶対にあきらめない。裸足の足裏に触れる瑞々しい芝と、冷たく湿った土が心地良く、ケガした右足にかかる自分の体の重みが、痛覚によって生命力を裏付けた。
自分はまだ生きてて、これから……。
「ロキ、ロキ……起きて」
瞼を持ち上げると、殿下の顔があった。焦燥感を滲ませる表情をながめていると、口に濡れた感触がした。
「熱冷ましの薬だよ、飲んで……少しは楽になる」
味はあまりしない。口の中の感覚が鈍っているのか、うまく飲み下すことができず、唇から液体がこぼれていった。
殿下は辛抱強く、何度も俺の口に薬を注ぎ込んだ。俺も舌と喉を動かしていくらか飲み込んだけど、それは途方もなく時間を要した。
「よかった……これでひとまず大丈夫」
名残惜しそうに触れたのは、殿下の唇だったことに気づく。やわらかくて弾力があって、少し甘い。さっきまで味も感覚もぼんやりしてたのに。
「もっと……」
「しかたないな、本当は眠ってもらいたいのだけど」
甘くてやさしい感触に、涙がこぼれてしまう。こんなやさしさに慣れてはダメだと分かってるのに、気持ちが折れてすがりついた。いつ奪われるか分からない、都合の良い夢は、いったいいつになったら覚めてしまうのだろう。
俺が殿下に守られてたなんて、そんな都合の良い夢は、いつまで続くのだろう。そんなこと考えながら、俺は固く目を閉じた。
馬乗りになってる奴は、ウルスよりも大柄な男のようだ。首筋に当たる硬質な物はナイフだろうか。足元ではロープをくくる音がする。袋越しの視界は最悪だけど、部屋の様子が手に取るように分かった。
「おい、なんでひとおもいに始末しねーんだよ」
ウルスの冷たい声が響くと、それに反応して、俺の頭上から野太い男の声が食ってかかった。
「気が変わった。コイツは親父の秘蔵っ子だろ。ゆすりのネタには最高じゃねえか」
「ふざけんな! いいからさっさと……」
ウルスの言葉は不自然に途切れ、ほぼ同時に壁に何かを打ちつけたような、大きな物音がした。
続いて、室内に踏み込んでくる多くの足音がして、俺は自分が助かったことを知る。訓練された足運びに、防具のこすれる硬質な金属音、小さな号令と従う返答は兵士のものに間違いない。ああもう大丈夫だ、後は落ち着いて、彼らに任せればいい……。
「……ロキ」
殿下の声が耳元でした途端、全身が激しく震えた。抱きしめられた感覚に、いつもならあり得ない幸運に、頭で理解できても体が追いつかない。だから、反射的に拒絶の声を上げていた。
「……やだ、はなせ!」
「ロキ……ロキ、もう大丈夫だから」
俺は暴れるだけ暴れ、そのうちどこかで意識が途切れてしまった。暗転する刹那、首にチクリと鋭い痛みを感じたから、たぶん鎮静剤でも打たれたのだろう。
ゆらぐ意識の中で、誰かにきつく抱きしめられていたみたいだが、今の俺にはそれすらも恐ろしかった……だってこれはきっと、すぐに覚めてしまう都合の良い夢だ。
こんな夢は、過去に幾度となく見てきた。そして見た数だけ裏切られたことを、俺はやるせないほど知っている。
目を覚ますと、真っ暗な部屋にいた。寝かされているベッドは温かく、体がシーツに沈みこむほどやわらかい。
(今、何時だろう……)
起き上がって時計をたしかめたくても、体に巻きつく腕に阻まれてしまう。それでもあきらめずにもがいていたら、ようやく少しだけ拘束がゆるんだ。
「ロキ、目が覚めた?」
寝起きの掠れ声は、殿下のものだ。腕枕をされ、薄い布一枚すら隔てず、素肌の胸に抱きしめられている。
「気分はどう? 痛いとこはある? ああ、頭は触らないように。脳震盪を起こしたから、起き上がるのはやめて」
殿下の手が、そっと頬に触れた。目が少しずつ暗闇に慣れてきて、ようやくここが奥離宮の寝室だと分かった。
「あの……あれからどうなったんですか。ウルスたちは」
「しー、目を閉じて。今は何も考えずに、眠って」
「でも……」
「いい子だから。眠らないと、回復できない。回復しないと、いつまでもベッドから出られないよ?」
それは困る。俺は観念して、素直に目を閉じた。すると睡魔があっという間に襲ってきて、スルリと夢の中に落ちていった。
夢の中で、俺は療養施設にいた。もう何日も経つのに、ずっとベッドから起き上がれなくて、半ば絶望感に襲われていた頃だ。
ああ俺はここで終わるのかと、もう任務に着くこともないのだと、頭の中の冷静な自分が悟った。
でも別の自分が、そんなことは認めない、きっとどこかにこの窮地を抜け出す方法があるはずだと、必死になっていた。とうとう往生際が悪いそいつが打ち勝って、俺は無理やりベッドから這い降りると、病室を抜け出して中庭へと向かった。
中庭には誰もいなかった。観賞用にしてはお粗末だが、手入れされた小さな花壇には、名前も知らないが見慣れた花が咲いていた。
花をながめても高い青空を見上げても、特段なにか感じることはないが、頬をこする風の感触には、いくらか心が慰められた。それは断崖絶壁を吹きつける、あの冷たい風の感触を思い起こした。生命の危機に直面するとより一層湧きあがる、あの生きているという実感が、鋭い刃物のように心を研ぎ澄ませ、ぼやけた視界をクリアにした。
まだ生きることを許されるなら、絶対にあきらめない。裸足の足裏に触れる瑞々しい芝と、冷たく湿った土が心地良く、ケガした右足にかかる自分の体の重みが、痛覚によって生命力を裏付けた。
自分はまだ生きてて、これから……。
「ロキ、ロキ……起きて」
瞼を持ち上げると、殿下の顔があった。焦燥感を滲ませる表情をながめていると、口に濡れた感触がした。
「熱冷ましの薬だよ、飲んで……少しは楽になる」
味はあまりしない。口の中の感覚が鈍っているのか、うまく飲み下すことができず、唇から液体がこぼれていった。
殿下は辛抱強く、何度も俺の口に薬を注ぎ込んだ。俺も舌と喉を動かしていくらか飲み込んだけど、それは途方もなく時間を要した。
「よかった……これでひとまず大丈夫」
名残惜しそうに触れたのは、殿下の唇だったことに気づく。やわらかくて弾力があって、少し甘い。さっきまで味も感覚もぼんやりしてたのに。
「もっと……」
「しかたないな、本当は眠ってもらいたいのだけど」
甘くてやさしい感触に、涙がこぼれてしまう。こんなやさしさに慣れてはダメだと分かってるのに、気持ちが折れてすがりついた。いつ奪われるか分からない、都合の良い夢は、いったいいつになったら覚めてしまうのだろう。
俺が殿下に守られてたなんて、そんな都合の良い夢は、いつまで続くのだろう。そんなこと考えながら、俺は固く目を閉じた。
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