吉原お嬢

あさのりんご

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第3章

小料理屋【かどや】(34p)

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 桃子と別れると、寂しくてしかたがない。育ちは、違うけれど、大好きな人。横浜へお嫁に行ってしまうのが残念でたまらない。そんな事を考えながら、フラフラと東京駅まで来てしまった

 タクシーに乗れば、すぐお屋敷に着く。でも、すぐに帰りたくなかった。寮に入っていたジュンは、英国留学が決まり、今夜は、帝国ホテルで壮行会が催されている。ジュンには、もうしばらく会っていないけれど、遠くに行ってしまうのだわ――

 壮行会に招かれなかったのは、奥様の意地悪だろうか……私とジュンが仲良しなので、焼きもちを焼いているのだ。タクシーより、電車で帰ると気が紛れそうなので、東京駅に足を向けた。日本一の駅だけあって活気がある。

 雑多な人々が集まっていて、なにか張りつめた危うさを感じた。その見えない危うさが、未来を決めかねて追い詰められている私には、かえって心地よい。

『近々…をぶった斬る!!』
 突然、物騒な声が聞こえた。声の主は改札口の近くでひとかたまりになって、大声で話している軍人達の一人らしい。
『~♪武勇勇まし~』
 出征する仲間を送るらしい。カーキ色と赤の軍服を着ている。輝と同じ陸軍だわ。脊の低い軍人が、彼らから離れてこちらに歩いてくる。すれ違いざまに、目があった。彼は、反射的に目を逸らしたけれど、再び私をまじまじと見て―――
「お久しぶりです!」と頭を下げた。
「えっ?」
「鈴子さん!お久しぶりです」
 私の名前を知っている。改めて、男の顔を見るが見覚えはない。鼻筋が通って、目力がある人だ。誰だろう?
「こんな、所でお嬢様に偶然お会いするなんて、驚きだな」
「……」
「…あ、失礼致しました。自分は、安藤中尉の後輩、白松であります。園遊会で、お見かけしたのは……何年も前でしたから、お忘れでしょう」
「安藤さんのお知り合い?!彼は、今、日本にいるの?」
「自分は、所属が変わったので、安藤中尉が、今、どこにいらっしゃるのか知りません。独眼竜先生なら、知っているかも……」
「え?独眼竜?!」
「ハハハ。また、驚かせてしまいました。本名じゃありません。すご腕で、そう呼ばれているのです。これから、先生に会うので、つい名前を言ってしまいました」
「私も、連れて行って下さらない?」
「とんでもない!お嬢様がいらっしゃるような所では、ありません」
「……」
 ケチ!連れて行って!
「呼び留めてしまい、申し訳ありません。では、失礼!」
 彼は、くるりと踵を返し去っていく。

 後をつけよう。独眼竜に会って輝の消息を聞きたい。少し離れて、軍服の背中を追う。白松は、駅裏の料理屋へ吸い込まれるようにして消えた。どうしたものか……ここで、うろつくと怪しまれるにちがいない。

 【かどや】と書かれたのれんの前を行ったり来たりしながら、思案を重ねてみるが、名案は浮かばない。
なんとかなるわ―――店の入口をガラリ、と開けた。
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