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第1章
吉原神社(6P)
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気がつくと、座敷にはだれもいない。お銚子やお皿が散らばっているだけ。階下から、客を送る女将さんの声が聞こえてくる。宴会は終わったらしい。目の前に帽子が落ちている。カーキ色の軍冒。緋色の線には金色の星がついていて。取り上げて中を見ると”安藤 輝”と名前がある。
輝の帽子だわ。忘れたらしい。帽子を持ってフラフラしながら階段を降りた。お酒のせいかな。まだ、頭がぼーっとしている。玄関には、誰もいない。
どうしたものかと、立っていると、奥から女将さんが出てきた。帽子を見ると「あら、忘れものだね!あの人達は裏門から帰るから。追いかけて渡しておいで。神社の方だよ。一本道だし、急げばおいつく」
私のお尻をポンと叩いて店の外に押し出した。
急げば追いつくって女将さんは言ったけど。なんだか、身体に力が入らなくて走れない。輝達に追いついたのは、仲之町通りを過ぎて水道尻にさしかかった所だった。
ガヤガヤと喋りながら歩いている軍人さん達。カタカタと下駄を鳴らして駆け寄ると、輝が振り向いた。
「忘れものですー安藤さんー」と帽子を振って合図する。
「あ!いけねぇ。大事なもの忘れた」
輝が踵を返してこちらへ歩いてくる。よかった。間に合った。無理して走ったせいか息切れする。
「鈴、持って来たのか。わりいな」
「ばーか。軍冒忘れるかよ」
「…なに?ばかとはなんだ。これは、忘れたんじゃねぇや。単純バカはそっちだろう」
「せっかく持ってきたのに。ばかって!」
「おい、安藤――早く帰るぞ」
「気が効かないな、二人だけにしてやりましょう」
「同じ故郷だし。二人のランデブーってやつですよ」
ヒュー、ヒュー
わいわい騒ぎながら桜会の軍人さん達は裏門を出てしまった。
ランデブーじゃない。幼なじみ。でも、ひやかされて悪い気はしなかった。
うっ!なんかムカムカする。
ゲホッー
あわてて道端に駆け寄る。気持ち悪い。吐きそう。
「鈴、お前飲み過ぎだ。ほら。あそこの神社で水もらうべ」
「うん」
神社の入り口に、さらさらと流れているお清めの水場があった。輝は小さな、“ひしゃく”に水を掬い取る。
「ほら、飲んでみろ」
「うん」
冷たい水は美味しくて、ゴクゴクと飲みきった。境内は、灯明が敷地をほのかに照らしている。だあれもいない。
「ここさ座って、休め」
輝は私を抱えるようにして本堂の縁側に腰を下ろす。
ゲッフッー
「鈴、大丈夫か?」
肩に手をまわして、私を覗きこむ。
「水を飲んで、よくなった」
輝にもたれて座っている。頭を輝の肩にのせてみた。ちょうどいい。
「田舎にも、こんな神社あったね」
「ああ。あれもお稲荷さんだったな」
「…鈴?」
「何?」
「ほんとは、俺――」
「え?」
「あのな、俺……帽子、わざと置いてきた」
「えー!」
「鈴に持ってきてほしかったから」
「輝!ひどい!」
騙されて悔しい。でも小細工してまで、私に会いたいなんて嬉しいかも。
言葉が探せずに輝の腕をポンポン叩いた。
「いてぇ!鈴、わりぃ。ごめん!」
境内で輝を追いかけた。奥へと走り出して、立ち止まる。白い水面が浮かび上がっていた。
「弁天池―――」
輝は呻くように言う。輝もこの池の悲しい物語を知っているのだろうか。関東大震災の時、遊廓に閉じ込められ火事で逃げ場を失った遊女達がこの池に沈んで溺れて息絶えた。翌朝、ここは、無残な遊女達の骸で埋め尽くされていた―――
「ここで、五百人も死んだって。姐さん達が話していた。私達遊女は、火事になっても逃げられない……焼け死ぬしかないの。牢屋に閉じ込められているのと同じだ」
「鈴子……俺は……できるものならこの金で鈴を見受けしてやりたい」
「それは活動資金じゃないか。大原さんから怒られる」
「そうだな。俺が勝手に使うわけにはいかねぇ。鈴子、ごめんな。金がなくて助けられない。そのかわり、貧しい娘が体を売らなくても食べていける世の中にする。命がけで戦うさ」
思い詰めた輝の目は、底なしに悲しい。 黙り込む私達。
その重い沈黙を破って輝はきっぱり言った。
「神様にお参りしていこう」
輝は何かを念ずるかのように夜空を仰ぎ……やがて歩き出した。そして、お賽銭箱の前で立ちどまる。
ジャラン、ジャランと鈴を鳴らす。
パンパンパン!
『…輝と又会えますように…どうか、どうか…お願いします』
念じて手を合わせた。お願いする事は沢山あるはずなのに何故かこれしか思い浮かばない。
輝は何を祈っているのだろう……横目で見たら、もういなかった。
輝は社務所の方に歩いていく。夜遅いのに社務所の窓が開いている。境内の明かりに照らされて、お守りや、絵馬がぼんやり見えた。輝は社務所の箱に硬貨を入れて、お守りを一つ取り上げた。赤い小袋には、金糸で”吉原神社”と縫いとりがある。
「鈴を守ってくれますように……」
輝は笑って私の手にそれを握らせた。
「輝を守ってくれますように……」
私も、輝にお守を買った。
輝の帽子だわ。忘れたらしい。帽子を持ってフラフラしながら階段を降りた。お酒のせいかな。まだ、頭がぼーっとしている。玄関には、誰もいない。
どうしたものかと、立っていると、奥から女将さんが出てきた。帽子を見ると「あら、忘れものだね!あの人達は裏門から帰るから。追いかけて渡しておいで。神社の方だよ。一本道だし、急げばおいつく」
私のお尻をポンと叩いて店の外に押し出した。
急げば追いつくって女将さんは言ったけど。なんだか、身体に力が入らなくて走れない。輝達に追いついたのは、仲之町通りを過ぎて水道尻にさしかかった所だった。
ガヤガヤと喋りながら歩いている軍人さん達。カタカタと下駄を鳴らして駆け寄ると、輝が振り向いた。
「忘れものですー安藤さんー」と帽子を振って合図する。
「あ!いけねぇ。大事なもの忘れた」
輝が踵を返してこちらへ歩いてくる。よかった。間に合った。無理して走ったせいか息切れする。
「鈴、持って来たのか。わりいな」
「ばーか。軍冒忘れるかよ」
「…なに?ばかとはなんだ。これは、忘れたんじゃねぇや。単純バカはそっちだろう」
「せっかく持ってきたのに。ばかって!」
「おい、安藤――早く帰るぞ」
「気が効かないな、二人だけにしてやりましょう」
「同じ故郷だし。二人のランデブーってやつですよ」
ヒュー、ヒュー
わいわい騒ぎながら桜会の軍人さん達は裏門を出てしまった。
ランデブーじゃない。幼なじみ。でも、ひやかされて悪い気はしなかった。
うっ!なんかムカムカする。
ゲホッー
あわてて道端に駆け寄る。気持ち悪い。吐きそう。
「鈴、お前飲み過ぎだ。ほら。あそこの神社で水もらうべ」
「うん」
神社の入り口に、さらさらと流れているお清めの水場があった。輝は小さな、“ひしゃく”に水を掬い取る。
「ほら、飲んでみろ」
「うん」
冷たい水は美味しくて、ゴクゴクと飲みきった。境内は、灯明が敷地をほのかに照らしている。だあれもいない。
「ここさ座って、休め」
輝は私を抱えるようにして本堂の縁側に腰を下ろす。
ゲッフッー
「鈴、大丈夫か?」
肩に手をまわして、私を覗きこむ。
「水を飲んで、よくなった」
輝にもたれて座っている。頭を輝の肩にのせてみた。ちょうどいい。
「田舎にも、こんな神社あったね」
「ああ。あれもお稲荷さんだったな」
「…鈴?」
「何?」
「ほんとは、俺――」
「え?」
「あのな、俺……帽子、わざと置いてきた」
「えー!」
「鈴に持ってきてほしかったから」
「輝!ひどい!」
騙されて悔しい。でも小細工してまで、私に会いたいなんて嬉しいかも。
言葉が探せずに輝の腕をポンポン叩いた。
「いてぇ!鈴、わりぃ。ごめん!」
境内で輝を追いかけた。奥へと走り出して、立ち止まる。白い水面が浮かび上がっていた。
「弁天池―――」
輝は呻くように言う。輝もこの池の悲しい物語を知っているのだろうか。関東大震災の時、遊廓に閉じ込められ火事で逃げ場を失った遊女達がこの池に沈んで溺れて息絶えた。翌朝、ここは、無残な遊女達の骸で埋め尽くされていた―――
「ここで、五百人も死んだって。姐さん達が話していた。私達遊女は、火事になっても逃げられない……焼け死ぬしかないの。牢屋に閉じ込められているのと同じだ」
「鈴子……俺は……できるものならこの金で鈴を見受けしてやりたい」
「それは活動資金じゃないか。大原さんから怒られる」
「そうだな。俺が勝手に使うわけにはいかねぇ。鈴子、ごめんな。金がなくて助けられない。そのかわり、貧しい娘が体を売らなくても食べていける世の中にする。命がけで戦うさ」
思い詰めた輝の目は、底なしに悲しい。 黙り込む私達。
その重い沈黙を破って輝はきっぱり言った。
「神様にお参りしていこう」
輝は何かを念ずるかのように夜空を仰ぎ……やがて歩き出した。そして、お賽銭箱の前で立ちどまる。
ジャラン、ジャランと鈴を鳴らす。
パンパンパン!
『…輝と又会えますように…どうか、どうか…お願いします』
念じて手を合わせた。お願いする事は沢山あるはずなのに何故かこれしか思い浮かばない。
輝は何を祈っているのだろう……横目で見たら、もういなかった。
輝は社務所の方に歩いていく。夜遅いのに社務所の窓が開いている。境内の明かりに照らされて、お守りや、絵馬がぼんやり見えた。輝は社務所の箱に硬貨を入れて、お守りを一つ取り上げた。赤い小袋には、金糸で”吉原神社”と縫いとりがある。
「鈴を守ってくれますように……」
輝は笑って私の手にそれを握らせた。
「輝を守ってくれますように……」
私も、輝にお守を買った。
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