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第6章

小方の男泣き(53p)<エピソード>

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 芳子と、小方が同時に逮捕されてから、一年以上経過した、昭和二十二年二月。まず、小方の審議が始まった。小方には、芳子と共謀して、対中工作、スパイ活動、軍事行動などを行ったとの嫌疑が、かけられていた。
 
 芳子は、自らその審議の証言台に立った。

 小方は、久しぶりに芳子の姿を見た。洗いざらした服を着て、痩せてはいるけど、美しい瞳はそのままで、キラキラと輝いている。

「小方、生きていてよかった。心配するな」と小方に声をかけ、しっかりした声で話しはじめた。

「日本は、戦争に負けた。戦争に負けた日本だが、国民に罪はないはずだ。ぼくと、起居をともにしたからといって、それが、罪を構成する対象にならぬはずだ。小方は、単なる私的な使用人です。したがって、この男がなしたすべての行動は、主人たるぼくの命令によってなしたものであり、自発的な意思からではない。小方によって、それが、許されないということならば、責任はすべてぼくのほうにあります。ぼくを、断罪に処して、小方をただちに釈放しろ」
 
 小方は、「指令。違います」と芳子をかばう発言をしようと、立ち上がった。けれど、芳子は力強く言い放つ。
「えい、貴様は黙っておれ。第一そのざまは、なんだ。小方、お前は女々しいぞ。それでも、貴様は日本人か。日本人なら、日本人らしく、なぜ胸を張って、自分の無罪を主張しないのだ。自分の所論も訴え得ないで、一年以上も、便弁と過した貴様の無能には、愛想が尽きた」
 
 芳子は、”愛想が尽きた”と言いながら、今なお、自分を守るために、無罪を主張しない小方が痛ましかった。涙目で小方を優しく見つめ、目をしばたかせながら言葉を続ける。

「小方、良く聞け。君は、日本で生まれた。犬死するようなことがあってはならない。たとえ、君が、僕に殉じたとして、ぼくのこの身が、あしたから釈放されるでもない。なぁ。分かったか。君が、このぼくを、心配してくれる気持ちはよく分かる。ぼくは身にしみてうれしく、こころから、感謝の誠を捧げている。一日も早くこの獄中から離れてくれ。そうでないと、ぼく自身の苦痛が増すばかりだ。二重の苦しみなんだ。
 
 ぼくは、もうなにもかにも諦めている。一切の執着を絶った。そして、天命を待っている。

 いまでは、至極軽い気持ちだ。心配になるのは、君の身の上ばかりだ。故国の日本には、君が無事に帰るのを朝晩神掛けて念じている老いの身の母がある。ぼくのことなど、少しも意に介さないで、早く帰って母に親孝行を尽くすんだ。

 過去何年かぼくと行動を共にした経緯を事大的に回顧のよりどころとして妄想にふけるようなことがあってはならないのだ。

 君は、日本人として、いまこそ民族の強さを発揮しなければならないのだ。分かってくれるか?」

「司令、ありがとうございます」

 小方は、自分を助けようとする芳子の気持ちが痛いほど分かった。一緒に過ごした日々が愛おしい。
 もう、会えないかもしれない。
 芳子様、どうぞ、ご無事で。

 小方は、うなだれて声を殺して泣いていた。


 この芳子の証言で、小方は、単なる秘書で、私的な事をしていただけと判断され、釈放され、帰国した。
帰国後は、獄中の芳子に頻繁に手紙を書いたり、差し入れをしたり、芳子の為に奔走したのである。
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