上 下
70 / 79
第7章

【閑談】梅香る正麟寺で(0p)<エピソード>

しおりを挟む
 終戦から、八十年近くが経った春。正麟しようりん寺にある芳子のお墓の前に年老いた婦人が手を合わせていた。
「あら、ここよ!」
 二人の若い娘が、やってくる。老婦人は、ゆっくりと立ち上がって「どうぞ」といいながら、墓前を退いた。
「あら、すみません…。今日は川島芳子の命日って聞いたけど、ほんとですか?」
 ショートカットの娘が、聞いた。
「ええ。ほら、お花がいっぱい」と、老婦人は、墓前の沢山の花束を指さし、二人に微笑むと
「こちらへは、初めていらしたの?」
「はい。ミュージカル公演の【李香蘭】で、川島芳子を知ったんです。李香蘭より、川島芳子に興味がわいて。それから、マニアになっちゃったんです」
「私は、毎年ここに来ているわ。あなた方が生まれる前から」
「わぁぁ。大先輩マニアですね」
「……私の父が、彼女に満州でお世話になったのよ」
「すごいです。是非そのお話を聞かせて下さい」


 老婦人は、二人を梅のこずえの下に誘うと、父から聞いた話を語り始めた。
「父は、日華事変が終わって日本に帰る途中で、天津に一泊したのです。その晩、美味しいものが食べたいと、仲間と、芳子さんのお店へ行ったんです。でも、高級すぎた。あわてて、出ようとすると、芳子さんが、引き止めたんです。そして、兵隊さんをねぎらいたいと、高級料理を次から次へと出してくれたんですって」
「さすが、川島芳子ね」
「それでね、松本連隊だと、分かると、”故郷が懐かしい。一緒にやりましょう”と遅くまで松本の思い出話に花が咲いたの。父に女の子がいると、聞いて、可愛いお人形をおみやげに下さったの。そのお人形を渡してくれた、父の笑顔を、今も覚えている。そんな、お優しい方なのに……悲しい最後が痛ましくてねぇ……こうして、お参りだけは、と思っているの」

 老婦人、ふうっーとため息をついて、話を続けた。

「父は生前、軍部や政治家が、川島芳子の希望どうりに、満州の人を尊重していたら、太平洋戦争はなかったーーー”と言ってたわ。私も、大人になって、色々調べてみたけれど、大戦の火種となった、盧溝橋事件は、中国人の抗日運動が原因だと思っている。大国が小国に侵攻するのは、今も同じ。芳子さんが、松本で”討つ人も撃たるる人も心せよ 討つも討たるも同じ同胞”と演説なさったけれど、あれは、現在にも響く言葉だわ」

 境内の梅の花は満開で、芳子が松本で演説をした時と変わらぬ香りを漂わせていた。  
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

モダンな財閥令嬢は、立派な軍人です~愛よりも、軍神へと召され.....

逢瀬琴
歴史・時代
※事実を元に作った空想の悲恋、時代小説です。 「わたしは男装軍人ではない。立派な軍人だ」  藤宮伊吹陸軍少尉は鉄の棒を手にして、ゴロツキに牙を剥ける。    没落華族令嬢ではある彼女だが、幼少期、父の兄(軍人嫌い)にまんまと乗せられて軍人となる。その兄は数年後、自分の道楽のために【赤いルージュ劇場】を立ち上げて、看板俳優と女優が誕生するまでになった。   恋を知らず、中性的に無垢で素直に育った伊吹は、そのせいか空気も読まず、たまに失礼な言動をするのをはしばしば見受けられる。看板俳優の裕太郎に出会った事でそれはやんわりと......。  パトロンを抱えている裕太郎、看板女優、緑里との昭和前戦レトロ溢れるふれあいと波乱。同期たちのすれ違い恋愛など。戦前の事件をノンフィクションに織り交ぜつつも、最後まで愛に懸命に生き抜く若者たちの切ない恋物語。   主要参考文献 ・遠い接近=松本清張氏 ・殉死  =司馬遼太郎氏 ・B面昭和史=半藤一利氏 ・戦前の日本=竹田千弘氏  ありがとうございます。 ※表紙は八朔堂様から依頼しました。 無断転載禁止です。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

夢の雫~保元・平治異聞~

橘 ゆず
歴史・時代
平安時代末期。 源氏の御曹司、源義朝の乳母子、鎌田正清のもとに13才で嫁ぐことになった佳穂(かほ)。 一回りも年上の夫の、結婚後次々とあらわになった女性関係にヤキモチをやいたり、源氏の家の絶えることのない親子、兄弟の争いに巻き込まれたり……。 悩みは尽きないものの大好きな夫の側で暮らす幸せな日々。 しかし、時代は動乱の時代。 「保元」「平治」──時代を大きく動かす二つの乱に佳穂の日常も否応なく巻き込まれていく。

愛洲の愛

滝沼昇
歴史・時代
柳沢保明は脇差を放り出して仁介の裸体を抱き締め、乱れた濡れ髪に顔を埋めた。「ああ、私を狂わせる、美しい宝玉め」「思う様抱いて、そして寝首を下され。いえ、今宵だけは全てを捨てて……」「言うな仁介。何も言うてはならぬ」……時の幕府側用人、柳沢保明(吉保)の策謀にて、水目藩加山家は存続の危機に陥る。 異形の敵・御伽衆に立ち向かうは、加山家目付にして愛洲陰流継承者・愛洲壱蔵と甲賀望月流の忍術を継承する3人の弟達! 一方で、藩断絶を目論む保明と、道ならぬ恋に身を焦がす次男・仁介。兄への思慕と保明への愛の狭間で苦しみながらも、兄弟を守るべく保明が放つ敵と刃を合わせる……。  仁介と保明の切ない恋の行方を軸に、破邪の剣がキラリと光る、兄弟の絆と活躍を描く元禄時代活劇!!

お江戸のボクっ娘に、若旦那は内心ベタ惚れです!

きぬがやあきら
歴史・時代
酒井悠耶は坊さんに惚れて生涯独身を決め込み、男姿でうろつく所謂ボクっ子。 食いしん坊で天真爛漫、おまけに妖怪まで見える変わりっぷりを見せる悠耶に興味津々なのが、本所一のイケメン若旦那、三河惣一郎だった。 惣一郎は男色一筋十六年、筋金入りの男好き。 なのに、キュートながら男の子らしい魅力満載の悠耶のことが気になって仕方がない! 今日も口実を作って悠耶の住む長屋へ足を運ぶが、悠耶は身代金目当てで誘拐され…… 若旦那が恋を自覚するときは来るのか? 天然少女×妖怪×残念なイケメンのラブコメディ。 ※当時の時代考証で登場人物の年齢を設定しております。 ちょっと現代の常識とはずれていますが、当時としてはアリなはずなので、ヒロインの年齢を14歳くらい とイメージして頂けたら有難いです。

椿散る時

和之
歴史・時代
長州の女と新撰組隊士の恋に沖田の剣が決着をつける。

七絃灌頂血脉──琴の琴ものがたり

国香
歴史・時代
平安時代。 雅びで勇ましく、美しくおぞましい物語。 宿命の恋。 陰謀、呪い、戦、愛憎。 幻の楽器・七絃琴(古琴)。 秘曲『広陵散』に誓う復讐。 運命によって、何があっても生きなければならない、それが宿命でもある人々。決して死ぬことが許されない男…… 平安時代の雅と呪、貴族と武士の、楽器をめぐる物語。 ───────────── 七絃琴は現代の日本人には馴染みのない楽器かもしれません。 平安時代、貴族達に演奏され、『源氏物語』にも登場します。しかし、平安時代後期、何故か滅んでしまいました。 いったい何があったのでしょうか? タイトルは「しちげんかんじょうけちみゃく」と読みます。

魔風恋風〜大正乙女人生譚

花野未季
歴史・時代
大正7年から大流行したスペイン風邪で、父を喪うという悲劇に見舞われた文子一家。さらなる不幸が遺された家族を襲う。 実家を助けるために、名家の息子に嫁ぐことになった文子。婚約者は男振りも良く、優しく男らしい人であった。 しかし婚礼当日、彼が隠していた衝撃的な事実を知らされた彼女は……。 『エブリスタ』執筆応援キャンペーン「大正浪漫」入賞作品(2023.6)

処理中です...