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第5章
山家脱獄(49p)
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昭和十八年の秋――山家は、突然内地へ召喚された。そして軍法会議で禁固刑十年の判決を受け、名古屋の陸軍刑務所に収容された。罪状は、国家反逆罪、機密漏えい、麻薬吸引など、信じられないものだった。
芳子が、日本の新聞を取り寄せて、情報を探していると、恋人バイ・クァンが、山家亨を追って来日したと報じられていた。あんな小娘が行っても何も出来はしない。芳子も日本に行って、山家を助ける為に奔走したかった。けれど、“川島芳子が、恋の恨みで、山家の罪状を密告した”と、デマを書き立てられては、何も出来なかった。
寒い日の午後――突然、邵文凱と名乗る男が芳子を尋ねて来た。王家亨から私を守るように頼まれたと言う。王家亨は山家亨の中国名。彼は、日本に帰る直前まで、芳子を案じて手を打っていた。
邵文凱は山家より、少し年上に見えた。汪兆銘の側近で、日本寄りの新政権を樹立しようと動き初めていた。蒋介石を敵にまわし、日本軍にも必要とされなくなった芳子は、和平工作を模索している汪兆銘と組むのが妥当かもしれない。満州の裏側を知り尽くした山家の策略だった。
山家を信じよう――芳子は、邵文凱の赴任先、開封に行く事にした。開封は、北京と南京の中間にあって宋の時代に栄えた古都である。スパイが横行する北京や上海より安全に違いない。
昭和十九年の夏の終わり――芳子はとうとう北京を離れ、小保方を連れて開封に転居した。邵文凱の屋敷は、かつての宮殿で広い庭がある。家も庭も荒れ果てていたが、庭木は青々と生い茂り、花があちこちに咲いていた。芳子は、藤の椅子に座り庭を眺め、昼寝をするのが日課になっていた。
いつものように、昼寝をしていた芳子は、小鳥の声で、目が覚めた。秋風が金木犀の香りを運んでくる。山家と初めて会った日もこんな気持ちのいい風が吹いていた。あれから、二十年。なにもかも変わってしまった。
「ヨコちゃん……元気か?」
眠気まなこの芳子の前に山家が、立っていた。
「どうして…?ここに?」
芳子は、名古屋刑務所にいるはずの山家が突然現れておどろいた。
「名古屋刑務所が空襲で爆撃された。どさくさに紛れて脱獄したのだ。日本じゃ、お尋者だし人目がうるさい。広い大陸に逃げてきたよ。とにかく、生きている間に、ヨコちゃんにご挨拶したくてね」
「やるじゃないか。脱獄とは、勇敢だ。しかも、まっ先に僕を訪ねてくれたとは、うれしいね」
「俺の一番大切な人はヨコちゃんだ」
「ふっ。今さら、何を言い出すの」
「たしかに遅かったな。俺達の命は風前の灯だ」
「おじ様も、私も、スパイ容疑で、捕まって―――仲良く死刑よ」
「もう、日本の軍部には愛想がつきた。いまさら、何をやっても、日本は負ける。それなら、大勢の人を助けてやろう。そう決めて……国民党に情報を漏らしたのだ。つまり、国家反逆罪ってことさ。
俺は、国という概念が嫌になった―――人は、国を愛し守ろうとして、戦争を初めてしまう―――君をここまで苦しめたのも、“国“だろう…俺は、国ではなく人を愛していたい」
「そうか……おじ様らしいな」
芳子が、日本の新聞を取り寄せて、情報を探していると、恋人バイ・クァンが、山家亨を追って来日したと報じられていた。あんな小娘が行っても何も出来はしない。芳子も日本に行って、山家を助ける為に奔走したかった。けれど、“川島芳子が、恋の恨みで、山家の罪状を密告した”と、デマを書き立てられては、何も出来なかった。
寒い日の午後――突然、邵文凱と名乗る男が芳子を尋ねて来た。王家亨から私を守るように頼まれたと言う。王家亨は山家亨の中国名。彼は、日本に帰る直前まで、芳子を案じて手を打っていた。
邵文凱は山家より、少し年上に見えた。汪兆銘の側近で、日本寄りの新政権を樹立しようと動き初めていた。蒋介石を敵にまわし、日本軍にも必要とされなくなった芳子は、和平工作を模索している汪兆銘と組むのが妥当かもしれない。満州の裏側を知り尽くした山家の策略だった。
山家を信じよう――芳子は、邵文凱の赴任先、開封に行く事にした。開封は、北京と南京の中間にあって宋の時代に栄えた古都である。スパイが横行する北京や上海より安全に違いない。
昭和十九年の夏の終わり――芳子はとうとう北京を離れ、小保方を連れて開封に転居した。邵文凱の屋敷は、かつての宮殿で広い庭がある。家も庭も荒れ果てていたが、庭木は青々と生い茂り、花があちこちに咲いていた。芳子は、藤の椅子に座り庭を眺め、昼寝をするのが日課になっていた。
いつものように、昼寝をしていた芳子は、小鳥の声で、目が覚めた。秋風が金木犀の香りを運んでくる。山家と初めて会った日もこんな気持ちのいい風が吹いていた。あれから、二十年。なにもかも変わってしまった。
「ヨコちゃん……元気か?」
眠気まなこの芳子の前に山家が、立っていた。
「どうして…?ここに?」
芳子は、名古屋刑務所にいるはずの山家が突然現れておどろいた。
「名古屋刑務所が空襲で爆撃された。どさくさに紛れて脱獄したのだ。日本じゃ、お尋者だし人目がうるさい。広い大陸に逃げてきたよ。とにかく、生きている間に、ヨコちゃんにご挨拶したくてね」
「やるじゃないか。脱獄とは、勇敢だ。しかも、まっ先に僕を訪ねてくれたとは、うれしいね」
「俺の一番大切な人はヨコちゃんだ」
「ふっ。今さら、何を言い出すの」
「たしかに遅かったな。俺達の命は風前の灯だ」
「おじ様も、私も、スパイ容疑で、捕まって―――仲良く死刑よ」
「もう、日本の軍部には愛想がつきた。いまさら、何をやっても、日本は負ける。それなら、大勢の人を助けてやろう。そう決めて……国民党に情報を漏らしたのだ。つまり、国家反逆罪ってことさ。
俺は、国という概念が嫌になった―――人は、国を愛し守ろうとして、戦争を初めてしまう―――君をここまで苦しめたのも、“国“だろう…俺は、国ではなく人を愛していたい」
「そうか……おじ様らしいな」
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