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第5章
暗殺命令(36p)
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芳子は、食い入るように手紙を見た。懐かしい字体は、変っていない。おじさまが、松本連隊で旗手をしていた頃と同じ四角い字。あの手紙は、全部破いて捨てしまった。
二人だけで話したいなんてまるで、恋文ではないか!
おじ様は、私に会う為にこの店に来たの?
いや、違う。冷静に考えよう。
私達は、昔別れた恋人だ。噂では、彼に妻も愛人もいる。
おじ様は、もう四十歳。うぶな恋文など、書くわけがない。冷静になれ、と自分に言い聞かせる。芳子は、迎いのボーイを差し向け、奥の自室で山家を待った。現れた山家は、少し太っているが、昔と同じ眼差眼しは、とろけるように優しかった。
芳子は、高飛車な口調で聞いた。
「話って何?」
「ヨコちゃん。日本に帰って、おとなしくしていろ!俺の話しはそれだけだ」
「久しぶりに会って、いきなりボクに、指図 をするのか?
だいたい…き、君は…何をしている?美人女優と遊び回っているそうじゃないか?」
今更……おじ様…なんて言えない。無理矢理、”君”と呼び捨てた。
山家は、神妙に「北京で、宣伝工作の仕事をしております」と頭を下げた。
「ああ。知っている。ボクも、ここ天津でいつも料理をしているわけじゃぁない。時々北京にある自宅で静養しているのだ。するとね、北京の繁華街の裏通りにある、君の豪邸の噂が耳に入ってくるんだよ。山家機関の『王公館』と呼ばれているそうじゃないか。そこでは、昼となく夜となく、芸能関係の美女が出入りして、花園のようだと、皆が言っている」
「私は任務を果たしているだけです。
総司令も、熱河でご活躍されたと、上官の多田中将から聞いております」
「ああ、君は、多田のおじ様の部下だったね。」
芳子は、自嘲した。まったく、皮肉な人事だ。多田中将は私を愛人だと吹聴し、山家を部下にしている。芳子と山家の関係は、知れ渡っているから、冗談で人事を決めたのではないかと、疑りたくもなる。
「多田中将は、満州の影の皇帝と呼ばれている。彼と、ヨコちゃんの噂は聞いているよ。彼は、陸軍数百万人の頂点を目指している生え抜きの中将だ。少佐の俺とは比べものにならん。
だが、アイツに、気をゆるすな。……たとえ身体は、許しても」
「いきなり、な、なんて事を言うのだ!」
「いや、失礼―」
「僕が多田と組んでいるのは、目的があるからだ。それに、変な噂が立っているが、それは、全部嘘だ」
「とにかく、ヨコちゃん。俺の忠告を聞いて欲しい。君は軍部から、危険人物として、マークされている。軍の方針を公然と批判する事は止めたほうがいい。
軍がこの店を君に提供したのは、おとなしく、してろ、そういう意味だよ。
日本軍は、君が邪魔になってきたのだ。
だから、しきりと、スキャンダラスな噂を流して君を悪女にしたがっている。
わかっているだろう?」
「ははは。まったく僕の評判は地に落ちたな。溥儀様を連れ出した頃は、清朝の末裔である僕の利用価値は充分にあったから、『男装の麗人』なんて持ち上げていたくせに。
今は『東洋のマタハリ』だ。オランダ人のスパイ“マタハリ”と“股を張る”――つまり売春婦って意味もあるらしい」
「笑っている場合じゃない。多田は、君を暗殺しろと命令した。俺が、君を殺せない事は百も承知でな。つまり、君の命が危ないから、なんとかしてやれ、って事だ」
「忠告、ありがとう。でも、僕は言いたい事は言う。
満州の民衆のためなら、命など、惜しくもなんともない。
百姓は、日本に土地を取り上げられて、泣いているのだ。
人民に平和で幸せな生活を保障したい。
そう、願って戦ってきたのに。こんなはずじゃなかった……」
私は、何を間違えたのだろうか…情けない。芳子は、急に心の芯がポキリと折れ、ぽとぽとと涙がこぼれ落ちた。
二人だけで話したいなんてまるで、恋文ではないか!
おじ様は、私に会う為にこの店に来たの?
いや、違う。冷静に考えよう。
私達は、昔別れた恋人だ。噂では、彼に妻も愛人もいる。
おじ様は、もう四十歳。うぶな恋文など、書くわけがない。冷静になれ、と自分に言い聞かせる。芳子は、迎いのボーイを差し向け、奥の自室で山家を待った。現れた山家は、少し太っているが、昔と同じ眼差眼しは、とろけるように優しかった。
芳子は、高飛車な口調で聞いた。
「話って何?」
「ヨコちゃん。日本に帰って、おとなしくしていろ!俺の話しはそれだけだ」
「久しぶりに会って、いきなりボクに、指図 をするのか?
だいたい…き、君は…何をしている?美人女優と遊び回っているそうじゃないか?」
今更……おじ様…なんて言えない。無理矢理、”君”と呼び捨てた。
山家は、神妙に「北京で、宣伝工作の仕事をしております」と頭を下げた。
「ああ。知っている。ボクも、ここ天津でいつも料理をしているわけじゃぁない。時々北京にある自宅で静養しているのだ。するとね、北京の繁華街の裏通りにある、君の豪邸の噂が耳に入ってくるんだよ。山家機関の『王公館』と呼ばれているそうじゃないか。そこでは、昼となく夜となく、芸能関係の美女が出入りして、花園のようだと、皆が言っている」
「私は任務を果たしているだけです。
総司令も、熱河でご活躍されたと、上官の多田中将から聞いております」
「ああ、君は、多田のおじ様の部下だったね。」
芳子は、自嘲した。まったく、皮肉な人事だ。多田中将は私を愛人だと吹聴し、山家を部下にしている。芳子と山家の関係は、知れ渡っているから、冗談で人事を決めたのではないかと、疑りたくもなる。
「多田中将は、満州の影の皇帝と呼ばれている。彼と、ヨコちゃんの噂は聞いているよ。彼は、陸軍数百万人の頂点を目指している生え抜きの中将だ。少佐の俺とは比べものにならん。
だが、アイツに、気をゆるすな。……たとえ身体は、許しても」
「いきなり、な、なんて事を言うのだ!」
「いや、失礼―」
「僕が多田と組んでいるのは、目的があるからだ。それに、変な噂が立っているが、それは、全部嘘だ」
「とにかく、ヨコちゃん。俺の忠告を聞いて欲しい。君は軍部から、危険人物として、マークされている。軍の方針を公然と批判する事は止めたほうがいい。
軍がこの店を君に提供したのは、おとなしく、してろ、そういう意味だよ。
日本軍は、君が邪魔になってきたのだ。
だから、しきりと、スキャンダラスな噂を流して君を悪女にしたがっている。
わかっているだろう?」
「ははは。まったく僕の評判は地に落ちたな。溥儀様を連れ出した頃は、清朝の末裔である僕の利用価値は充分にあったから、『男装の麗人』なんて持ち上げていたくせに。
今は『東洋のマタハリ』だ。オランダ人のスパイ“マタハリ”と“股を張る”――つまり売春婦って意味もあるらしい」
「笑っている場合じゃない。多田は、君を暗殺しろと命令した。俺が、君を殺せない事は百も承知でな。つまり、君の命が危ないから、なんとかしてやれ、って事だ」
「忠告、ありがとう。でも、僕は言いたい事は言う。
満州の民衆のためなら、命など、惜しくもなんともない。
百姓は、日本に土地を取り上げられて、泣いているのだ。
人民に平和で幸せな生活を保障したい。
そう、願って戦ってきたのに。こんなはずじゃなかった……」
私は、何を間違えたのだろうか…情けない。芳子は、急に心の芯がポキリと折れ、ぽとぽとと涙がこぼれ落ちた。
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