上 下
37 / 79
第5章

暗殺命令(36p)

しおりを挟む
 芳子は、食い入るように手紙を見た。懐かしい字体は、変っていない。おじさまが、松本連隊で旗手をしていた頃と同じ四角い字。あの手紙は、全部破いて捨てしまった。

 二人だけで話したいなんてまるで、恋文ではないか!
 おじ様は、私に会う為にこの店に来たの?
 
 いや、違う。冷静に考えよう。
 私達は、昔別れた恋人だ。噂では、彼に妻も愛人もいる。

 おじ様は、もう四十歳。うぶな恋文など、書くわけがない。冷静になれ、と自分に言い聞かせる。芳子は、迎いのボーイを差し向け、奥の自室で山家を待った。現れた山家は、少し太っているが、昔と同じ眼差まなざ眼しは、とろけるように優しかった。

 芳子は、高飛車な口調で聞いた。
「話って何?」
「ヨコちゃん。日本に帰って、おとなしくしていろ!俺の話しはそれだけだ」
「久しぶりに会って、いきなりボクに、指図さしず をするのか?
 だいたい…き、君は…何をしている?美人女優と遊び回っているそうじゃないか?」

 今更……おじ様…なんて言えない。無理矢理、”君”と呼び捨てた。
 山家は、神妙に「北京で、宣伝工作の仕事をしております」と頭を下げた。
「ああ。知っている。ボクも、ここ天津でいつも料理をしているわけじゃぁない。時々北京にある自宅で静養しているのだ。するとね、北京の繁華街の裏通りにある、君の豪邸の噂が耳に入ってくるんだよ。山家機関の『王公館』と呼ばれているそうじゃないか。そこでは、昼となく夜となく、芸能関係の美女が出入りして、花園のようだと、皆が言っている」
「私は任務を果たしているだけです。
 総司令も、熱河でご活躍されたと、上官の多田中将から聞いております」
「ああ、君は、多田のおじ様の部下だったね。」
 
 芳子は、自嘲した。まったく、皮肉な人事だ。多田中将は私を愛人だと吹聴し、山家を部下にしている。芳子と山家の関係は、知れ渡っているから、冗談で人事を決めたのではないかと、疑りたくもなる。

「多田中将は、満州の影の皇帝と呼ばれている。彼と、ヨコちゃんの噂は聞いているよ。彼は、陸軍数百万人の頂点を目指している生え抜きの中将だ。少佐の俺とは比べものにならん。
 だが、アイツに、気をゆるすな。……たとえ身体は、許しても」
「いきなり、な、なんて事を言うのだ!」
「いや、失礼―」
「僕が多田と組んでいるのは、目的があるからだ。それに、変な噂が立っているが、それは、全部嘘だ」
「とにかく、ヨコちゃん。俺の忠告を聞いて欲しい。君は軍部から、危険人物として、マークされている。軍の方針を公然と批判する事は止めたほうがいい。
軍がこの店を君に提供したのは、おとなしく、してろ、そういう意味だよ。
日本軍は、君が邪魔になってきたのだ。
だから、しきりと、スキャンダラスな噂を流して君を悪女にしたがっている。
わかっているだろう?」
「ははは。まったく僕の評判は地に落ちたな。溥儀様を連れ出した頃は、清朝の末裔である僕の利用価値は充分にあったから、『男装の麗人』なんて持ち上げていたくせに。
今は『東洋のマタハリ』だ。オランダ人のスパイ“マタハリ”と“股を張る”――つまり売春婦って意味もあるらしい」
「笑っている場合じゃない。多田は、君を暗殺しろと命令した。俺が、君を殺せない事は百も承知でな。つまり、君の命が危ないから、なんとかしてやれ、って事だ」
「忠告、ありがとう。でも、僕は言いたい事は言う。
満州の民衆のためなら、命など、惜しくもなんともない。
百姓は、日本に土地を取り上げられて、泣いているのだ。
人民に平和で幸せな生活を保障したい。
そう、願って戦ってきたのに。こんなはずじゃなかった……」
 私は、何を間違えたのだろうか…情けない。芳子は、急に心の芯がポキリと折れ、ぽとぽとと涙がこぼれ落ちた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

戦国の華と徒花

三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。 付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。 そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。 二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。 しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。 悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。 ※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません 【他サイト掲載:NOVEL DAYS】

蒼海の碧血録

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年六月、ミッドウェー海戦において日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失うという大敗を喫した。  そして、その二ヶ月後の八月、アメリカ軍海兵隊が南太平洋ガダルカナル島へと上陸し、日米の新たな死闘の幕が切って落とされた。  熾烈なるガダルカナル攻防戦に、ついに日本海軍はある決断を下す。  戦艦大和。  日本海軍最強の戦艦が今、ガダルカナルへと向けて出撃する。  だが、対するアメリカ海軍もまたガダルカナルの日本軍飛行場を破壊すべく、最新鋭戦艦を出撃させていた。  ここに、ついに日米最強戦艦同士による砲撃戦の火蓋が切られることとなる。 (本作は「小説家になろう」様にて連載中の「蒼海決戦」シリーズを加筆修正したものです。予め、ご承知おき下さい。) ※表紙画像は、筆者が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて撮影したものです。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~

花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。 この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。 長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。 ~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。 船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。 輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。 その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。 それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。 ~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。 この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。 桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。

処理中です...