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【ゾンビの章】第11幕「驚愕の真相」

【ゾンビの章】第11幕「驚愕の真相」

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 【再び2月1日 町田】


 頭がひどく混乱していた。
 幾つもの事実が一本の線でつながりそうなのだが、うまく整理できない。
 樹海に首と腕を埋めに行ったあの日以来、酒は断っていたが、飲まずにはいられない気分になった。ふみえが冷蔵庫に入れたままのビールでもよかったが、今はもっと強い酒が欲しい・・・。

 そうだ。
 達仁の部屋にウィスキーのボトルが残っていたはずだ。
 亡くなった義父にはすまないが、あれを飲ませてもらおう。
 家にある強い酒は、あのウィスキーだけだ。
 夕刊を抱えたまま二階へと上がった。部屋の棚に置かれた未開封のマッカランの瓶とグラスを手に取る。義父の和机に座り、もどかしく封を引きちぎって、コルクのキャップをあけた。バカラのグラスに琥珀色の液体を注ぐ。マッカラン独特のシェリーの香りが鼻腔を甘くくすぐった。
 一気に喉に流し込んだ。久しぶりの強いアルコールが食道を焼き、胃を焦がす。立て続けに2杯あおり、叩きつけるようにグラスを机の上に置いた。その衝撃で、机に飾ってあった写真立てのひとつが、パタンと音をたてて倒れた。
 裏返しになった写真立てを元の位置に直すと、ふみえが高校に入学した時の写真だった。初々しいセーラー服姿のふみえが、満開の桜の下で笑っていた。
 その時、ふと思った。

 なぜ達仁は、この写真をいつも机の上に飾っておいたのだろう。

 飾ってあったのは、この写真と、ふみえが生まれた時の写真だけだ。
 つきあい始めた頃、確か、ふみえはこう言っていた。
 自分が生まれてから毎年、桜が満開の季節になると父親が記念写真を撮ってくれた、と。
 その習慣は二十歳(はたち)になるまで続いた、と。

 なのに、なぜ、この2枚だけなのだ?

 0歳から二十歳までは「21枚」の写真があるはずだ。なのに、達仁は何故この2枚だけを選んで飾っていたのだろう・・・・。

 不意に、ある考えがひらめき、脳が震えた。
 私は義父の部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
 確かめたいことがあった。向かったのは、一階の和室だ。
 和箪笥の一番下の開き戸を開ける。家族のアルバムがしまってある場所だ。
 全部を外に引っ張り出し、目的のものを捜した。見るのは初めてだったが、それだとすぐにわかった。ひときわ立派なアルバムだったし、表紙に桜の花の刺繍がほどこされていたからだ。
 最初のページに貼られていたのは、達仁の机にあったのと同じ1枚だった。
 生まれたばかりのふみえが、母親に抱かれて写っている。
 ページをめくる。1歳になった時は白いおくるみに包まれて、やはり母親に抱かれていた。2歳の時には花柄のワンピースを着て、3歳になると七五三の晴れ着姿で桜の下にひとりで立っていた。母親はふみえが1歳の時に亡くなっているからだ。
 赤いランドセルを背負っているのは、小学校入学の年だ。それが中学のセーラー服に変わり、中2ではテニスウエア、卒業の年には桜の花びらが舞い散る中で卒業証書を広げて笑っていた。
 そして、あの写真だ。
 16歳。高校入学。真新しいセーラー服に身を包んだふみえは、満開の桜に負けないほど生気に満ち、弾けるような美しさだった。私は次のページをめくった。
 そして、我が目を疑った。

 そんなことが・・・。

 次のページに、写真はなかった。
 さらに次のページにも。
 その次のページにも。
 あとは白紙のページが続くだけだった。

 どういうことだ・・・・。

 ふみえの話では、達仁が1年に1枚ずつ撮影してくれたという「満開の桜の下の成長記録」は、二十歳になるまで続いたはずだ。写真は全部で21枚あるはずだった。
 それなのに、記念写真は17枚しかない。
 16歳で終わっているのだ。
 なぜ、ふみえは21枚あるなどと嘘をついたのだ?
 それよりも、桜の下での記念写真を「カメラマンとして自分ができる唯一のプレゼント」と言っていたという達仁が撮影を止めてしまったのは何故だ?
 生まれた時の写真と16歳の時の写真だけを机の上に飾っていたのも妙だ。
 誕生の年の写真はわかる。だが、もう一枚が高校に入学した時のものというのはわからない。
 おそらく、ふみえが16歳の時、「よほどの何か」があったのだ。
 達仁があれほど大切に思っていた記念写真を撮るのをやめてしまうほどの何かが・・。

 ふみえが16歳の時のことを知る人物を捜すことだ。

 まず、浮かんだのは達仁の妹、咲恵だ。部屋の子機を使って、自宅に電話をかけた。
 しかし、留守番電話だった。保険会社の慰安旅行で、二泊三日の箱根旅行に出かけているという応答メッセージが流れた。出しゃばりなくせに肝心の時に役に立たない女だ。
 電話を切って、考え込んでしまった。
 達仁の両親はすでに亡くなっていたので、ふみえの親戚はもう咲恵しかいなかった。他にふみえの16歳の頃を知る人間に心当たりがない。
 しばらく思い悩んでいると、ある事を思い出した。
 達仁の部屋で「黒い手」を見つけた時に、ふみえが言っていた一言だ。
 高校1年の時に足を骨折して入院した、とふみえは言っていた。たしか入院先は・・・、そう、北沢大学付属病院だ。
 手術を担当した医者がグレゴリー・ペックそっくりの二枚目だった、とも言っていた。
 だが、名前が思い出せなかった。
 必死で、あの時の会話を思い出そうとした。

 あの時、私はこう言ったはずだ。「歌舞伎の女形みたいにナヨナヨした奴だったんじゃないのか」。
 そして、秀明がちゃちゃを入れたのだ。アンパンマン顔のタレントの名をあげて。
 坂東玉三郎に、板東英二・・・。

 そうだ。
 主治医の名字を、はっきり思い出した。
 「バンドウ」だ。
 間違いない。


 北沢大付属病院の代表番号は電話帳で調べて、すぐにわかった。私はわらをもすがる思いで、プッシュホンを押した。
 電話口に出たのは病院の総合案内の女性だった。
「あの・・、そちらに、バンドウ先生というお医者様はいらっしゃいますか。字はわからないんですが」
 相手は事務的な口調で言った。
「ちょっとお待ちください」
 1分ほど待たされて、再び相手が出た。
「阪東敏昭先生のことですか。この病院には、阪東という名前の医師は一人しかいませんから」
「かなり昔からいらっしゃるんですか?」
「今は副医院長ですが、ここに病院ができた当時からいらっしゃると伺っているので、古くからいるのは間違いありませんけど」
 相手の口調に、こちらを不審に思い始めている様子が感じられた。
「実は、以前にうちの家内がお世話になりまして、近くまで出てきたものですから、先生の時間が許せば、ひと目お会いしてお礼をと思いまして」
 咄嗟にそう言うと受付の女性の声から懐疑的な響きが消えた。
「ああ、そうなんですか。それでは、脳外科におつなぎします」

 脳外科だって・・・?

 ふみえは足の骨折で入院した時の主治医だった、と言っていた。てっきり、整形外科の医者だと思っていたのに・・・・。
 考え込んでいると、電話口から男の声が響いた。
「もしもし、阪東ですが」
 人当たりの良い感じの柔らかい声だった。
「かなり昔の事なので、もう覚えてないかもしれませんが」と前置きして、宮守ふみえと達仁という親子の事を覚えていないか、と尋ねた。
 少しの沈黙の後、受話器の向こうで阪東医師が言った。
「ああ、あの・・・」
「思い出しましたか?」
「思い出すも何も、私も四十年近く、医者をやっていますが、あんな経験をしたのは、最初で最後でしたからね」
「あんな経験?」
 受話器を握る手が急に汗ばむのを感じた。
「妻は先生が主治医だったと言っていましたが」
「ええ、たしかに私が執刀しました」
「執刀?手術をうけたんですか?脳外科の?」
 驚きだった。ふみえから、そんな話は一度も聞いたことがない。
「病名はなんだったんです?」
「急性の硬膜下血腫ですよ」
「こうまくか・・、けっしゅ?」
「頭部にひどい外傷を受けたせいで、脳と表皮の間の血管が切れて大量出血したんです。病院に運ばれてきた時には、もう意識がなく、昏睡状態でした」
「救急車で来たんですか?」
「たしか、そう記憶していますよ。高校生の娘さんが階段から落ちたという話でした。お父さんが付き添ってね。最初に診た時に、もう駄目かな、とは思いました。経験でね、これは助からないなと。でも一応、開頭手術は行いました。手術しても回復は難しいと説明したんですが、お父さんがどうしてもと言うのでね。頭を開いてみて、やっぱり駄目だと思いました。出血は多いし、脳の腫れもひどくて」
 そんなに、ひどい状態だったのか。
 しかし、今のふみえには後遺症も何も残っていない。なぜだろう?
「それで、先生は?」
「やるだけのことはやって、頭を閉じました。そのまま昏睡状態が続いて、三日後に」
 一拍間をおいてから、阪東医師は受話器の向こうで、言った。
「亡くなりました」
 頭の中でぐわんと大きな音が鳴った。
 天井がぐるぐると回り出した。
「死んだ?そんなはずはない!ふみえは、私の妻として現に今も生きている!」
 受話器の向こうで、相手がため息をついたのがわかった。
「ですから、そのあとなんですよ。あんな経験は初めてだと私が言ったのは」
「何が起きたというんですか?」
「集中治療室で、彼女の心臓が止まって、私が臨終を宣告すると、父親が叫び声をあげながら外に飛び出していったんです。死なせないぞ、自分が必ず生き返らせてやる、というような事を口走ってね」
 まるで目の前で見ているように情景が浮かんだ。
「それで・・・?」
 自分の声が震えているのがわかった。
「死亡宣告してから二十四時間以上たっていたのに、突然、心臓が動き出したんですよ。つまり、生き返ったんです」
 阪東は続けた。
「もう心臓マッサージも人工呼吸もやめていたのにですよ。私を含めたスタッフ全員が、何をしても無駄だとわかっていたからです。それほど、ひどい状態だった。なのに、彼女は蘇生したんです」

 一度死んで、生き返った・・・。
 
 まるで、秀明と同じではないか。私の頭に、恐ろしい推測が浮かんだ。
「その時父親は、なにかを持ってはいませんでしたか」
「そういえば・・・、ボストンバックのようなカバンを持ってましたね。治療の間中、肌身離さず抱えてるから、何だろうと思っていました」
「どのくらいの大きさのカバンですか」
「うーん・・・、四十センチくらいだったかなあ」
 『黒い手』を入れるには充分な大きさだ。
 
 間違いない。
 達仁は、あの三本指の手を持って病院に行ったのだ。
 万が一の場合に、「最後の手段」として使うために!

「驚いた事に、次の日に精密検査をしてみると、脳の血腫がきれいさっぱり消えていたんです。あんなことは普通、ありえませんよ」
 茫然として、私は受話器を耳から離した。受話器からは阪東の声がまだ聞こえていた。だが、もうこれ以上、聞く必要はなかった。そのまま、受話器を置き、電話を切った。

 義父が2度、『黒い手』に願をかけていたのはわかっていた。一度目も、二度目も、スクープ写真を願い、その度に前代未聞のスクープをものにした。新聞社の後輩だった平は、こう言っていた。
「先輩はきっと、3つ目の願いを取っておいたんじゃないかと思います。もう一度、決定的なスクープ写真をものにするためにね」
 私も、あの時はそう思った。しかし、間違っていた。

 達仁は『願わなかった』のではなく、『願えなかった』のだ。

 なぜなら、もう三つ目の願いを使ってしまっていたから。
 16歳で死んだ愛娘の蘇りを、あの手に願っていた。
 
 突然、頭の中に2枚の絵がフラッシュバックした。

 「アルノルフィーニ夫妻の肖像」とヤン・ファン・エイクの「自画像」だ。
 頭の中でこんがらかっていた謎の断片が、不意に一本の糸でつながった気がした。
 「アルノルフィーニ夫妻の肖像」にヤン・ファン・エイクが込めた意味は「婚約の証」だ。だが、秀明はこの絵の中に置かれた品々が表すという「隠された意味」を自分なりに解釈したに違いない。それ故に「アルノルフィーニ夫妻の肖像」に魅了された。その呪縛から逃れられなくなった。しかし、だからこそ、絵の中に自分を呪縛から解放する術(すべ)を仕込んだのではないだろうか。

 秀明が2つの絵を通して、私に伝えたかったのはこういうことではないのか。

 消えてしまう直前に秀明が指さしたのはヤン・ファン・エイクの「自画像」だった。
 アルノルフィーニ夫妻が立つ背後の壁には「ヤン・ファン・エイクここにありき」という文字が書かれている。では、絵の中でエイクはどこにいた?
 そう、鏡の中だ。
 壁に掛けられた鏡に映っている人物の1人がエイク本人だと言われているのだ。
 必死で思い出してみる。
 達仁の部屋の壁に飾られた鏡。太陽のような、ひまわりのような形をしているあの鏡は「アルノルフィーニ夫妻の肖像」に描かれた鏡によく似ている。しかも、あれは秀明がプレゼントしたものだ。
 だとすれば、あの鏡の中に映っているものにこそ、意味があるのだ。

 達仁の部屋で鏡の正面に立ってみた時、あの鏡に映っていたのは・・・・。

 「とうさん、たのんだよ」と秀明が私に託したかったのは、もしかしたら・・・。

 だとすれば、秀明がP国に何度も渡って探していたのは・・・。

 そして、それを隠してあるのは、おそらく・・・・・。


 そこまで宮守幸彦が話した時だった。
 ビデオカメラの液晶モニターの中で、椅子の背にもたれながら、床を見つめて語り続けていた幸彦が、少し驚いた表情を浮かべて、顔をあげた。
 そこには、「誰か」がいた。


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