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敵対・Ⅱ

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 ……まずい。
 ……これは、まずい。
 研水は焦った。
 「ち、違うのです、景山様。
 この御仁は、そ、その、雷電関ではありませぬ!
 ……そ、そう、しばてん坊。
 しばてんでございます!」
 研水は、思わずそう言った。

 「しばてん……?
 しばてんとは、どういう意味か?」
 景山が、怪訝な顔になって問う。

 「し、しばてんは、天狗でございます」
 研水は焦りながら答えた。

 「天狗?」
 景山が胡散臭そうな顔になる。

 「あ、いえ、河童です。
 河童でございます」
 訂正する研水だが、自分でも支離滅裂なことを口走っていることが分かる。

 「……研水殿。
 私を愚弄しておるのか」
 景山の冷たい目に、怖いものが浮かぶ。

 「先生。一体、どうしたんでやすか?」
 チヨを抱きかかえる辰五郎も、不思議そうに眉を寄せて研水を見る。

 研水は、追い詰められたように目を泳がせた。
 同心である景山、後藤の前で、雷電の名前を口にすることは出来ない。
 なぜなら、雷電は江戸払いの刑罰を受けているのだ。
 江戸からの追放刑である。

 三年前、赤坂の報土寺に鐘を寄進したことがきっかけで、岡崎藩藩主本多忠顕の不評を買い、江戸払いの刑に処せられたのだ。
 つまり雷電は、今、江戸にいてはいけない人物なのである。
 本人もそれは理解している。
 そのため、研水の留守中に訪れたとき、六郎に対して、本名も四股名も名乗らず、しばてん坊と謎かけのような名を残して言ったのだ。

 江戸払いは、それほど厳しい刑罰ではないとも言える。
 上方へ移るか、郷里へ戻るかすればよいのだ。
 しかし、従わなかった場合は厳罰に処される。

 後年、辰五郎も江戸払いの刑に処されることになった。
 が、辰五郎は刑を軽んじ、度々江戸にもどっていたところを町奉行に捕まり、厳しい拷問の末、佃島の獄へと送られることになったのである。

 雷電は腰を落とすと、托鉢笠を拾い上げた。
 無言のまま、立ち去ろうとしたのだ。
 名乗れば、同心である二人は、雷電を捕らえねばならない。
 名乗らなければ、もしかして見逃してくれるかも知れない。
 雷電は後者に賭けたようであった。
 
 「……待て」
 景山が低く言った。
 見逃す気など、毛ほども感じられぬ声であった。

 
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