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松次郎・Ⅲ

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 チヨを胸に抱えたまま、地面をするように蹴り、右肘を使い、いざるようにして後ろに下がる。
 「父ちゃんの言葉を聞いただろ。
 松次郎さんは、チヨちゃんが無事なら嬉しいと言ったんだよ。
 だから、逃げよう。
 父ちゃんのために逃げるんだ。
 チヨちゃんは、無事でいなくちゃならないんだ」
 研水は、抱え込んだチヨの頭に、囁くように言い続ける。

 二匹目人魚が、松次郎に飛びかかった。
 右肩に、深く牙を打ち込む。
 三匹目の人魚が、松次郎に飛びかかった。
 左わき腹に、深く牙を打ち込む。

 松次郎は、右手を一匹目の人魚の口にねじ込んだまま、右肩に牙を立てる人魚の顔を左でつかんだ。
 指を眼窩に突き入れ、人魚の頭を右肩から引きはがそうとする。

 その松次郎の背に、四匹目、五匹目の人魚が飛びかかり、牙を立て、肉を毟り取っていく。

 松次郎は、喰われながら戦っていた。
 喰われながら、チヨを逃がすための時間を作っているのだ。

 逃げる。
 逃げるぞ。
 どんなに無様でもいい。
 チヨちゃんを逃がすんだ。
 松次郎さんのために、チヨちゃんだけでも逃がす。
 研水はチヨを抱きしめたまま、這いつくばって進み、人魚たちから距離を取ろうとする。

 「くそがッ!
 近寄るんじゃねえ!」
 すぐ後で辰五郎の声がする。
 辰五郎もまた、チヨを逃がすために、素手で人魚に立ち向かっている。

 逃げるぞ。
 逃げなくては……。
 ……!?
 と、何かが、這い進む研水の前を塞いだ。

 太く硬い木の幹のような脛である。
 ぼろぼろの草鞋を履いた大きな足が、そこにあった。
 
 研水が見上げると、着古した僧衣の裾がはためいていた。
 僧衣を身にまとう体は、太い脚に見合うほどに巨大であった。
 見上げても、突き出した腹が邪魔になり、顔が見えない。
 ただ、托鉢笠を被っていることだけは分かった。

 研水は、六郎の話を思い出した。
 乞食坊主のなりをした、八尺(242㎝)はある大入道が、自分を訪ねに来たという話である。

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