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後藤の不安・Ⅱ

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 濠端に集まった野次馬たちは、全員が濠の中ほどに目を奪われていた。
 その辺り一帯で、まともに浮かんでいる小舟は、もはや一艘も無かった。
 水の中に放り出された藩士や漁師が、泳いで逃げ出そうとするも、魚の下半身を操る人魚から逃げ切れるわけもなく、絶望の声をあげ、次々と水中へと引きずり込まれていく。
 今の状況では、誰一人助けようが無かった。
 
 後藤は、その地獄図には一瞬目を向けただけで、すぐに足元を見た。
 内濠の水位は堰によって調節されてはいるが、降雨や満潮干潮によって多少の影響を受ける。
 現在、石垣が組まれた濠端から、濠の水面までは2尺ほど(約60cm)であった。

 すぐ近くの水面から、ゆっくりと離れた場所の水面を見る。
 目を凝らすが、水の濁りと波影で、水中の様子は分からない。
 ……!
 と、後藤の目は、水面下を移動する大きな影を捕らえた。
 一つではない。
 複数の影が、濠端に近づいてくる。

 後藤は自分の予感が的中したことを確信した。
 人魚たちは、陸地にあがってくるつもりなのだ。
 おそらく、深い位置まであがってくるつもりはあるまい。
 それでも今なら、1間(約1,81m)、2間も這い上がれば、多くの野次馬を蹂躙できるはずであった。

 「下がれッ!
 化け物が、人魚がそこまで来ておる!
 陸へ上がるぞッ!
 濠から離れるのだッ!」
 後藤が叫んだ。

 人々の動きは鈍かった。
 奉行所の人間が、現場を整理するため、適当なことを言っていると思った人間も少なからずいた。
 さらに、嘘か真かを確かめるため、逆に濠へと近づく人間もいた。
 そして、その中の何人かが、水面下の黒い影を視認したのだ。

 「うわああああ!」
 「いる! そこだ!」
 「こっちに向かって来てるぞ!」
 人魚の影を見た者は、悲鳴をあげると人混みの後ろに逃げ込んだ。
 これで、本当だと分かった野次馬たちは、雪崩を打って後退を始めた。

 濠端から人がひく。
 視界が開け、後藤は、少し離れた場所にいる景山を見つけた。
 景山は濠端で片膝をつき、逃げて来た漁師を何とか引き上げようとしていた。
 「手は離さぬッ!
 落ち着いて、あがってくるのだ!」
 景山がそう叫んだとき、近くの水面から人魚が跳ねあがるのが見えた。
 まだ水中に半身が沈んでいる漁師を無視し、人魚は景山の右側から襲い掛かる。

 「景山ッ!」
 後藤は景山の名を呼びながらすでに駆けだしていた。
 濠端を走る。
 二歩目で抜刀するが、景山に向かって跳躍した人魚は、まだ間合いの向こう側にいる。
 ……ちッ! 間に合わんッ!
 後藤は歯を軋らせた。
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