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命の重さ

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 しかし、「どうすれば良いのか」と問われても、研水には、戦いのことなど何も分からない。
 分からないままに、研水は正直に答えた。

 「ただの町医である私に、戦略戦術のことなどは分かりませぬ。
 ただ、犠牲ありきではなく、犠牲の出ぬような戦い方を考えていただきたい。
 ならば、私も……」
 そこまで言って、研水は言葉を詰まらせた。
 ……囮になると言うのか?
 ……自分から囮になると言うのか?
 言葉を詰まらせたまま、視線を巡らせた。

 景山が、こちらを見ている。
 後藤が、こちらを見ている。
 そして、佐竹もこちらを見ている。
 先ほど、言葉を遮ったことに腹を立てているのであろうか、佐竹の視線には、怖いものがにじみ出ていた。
 黙ってやり過ごせるような空気では無かった。
 「私も、囮に、なりましょう……」
 研水は顔を伏せ、消え入りそうな声で言った。
 まるで、自分で自分を追い込んでしまったようなものであった。
 
 「よいのだな」
 景山が念を押し、研水は唾を飲み込むと、小さく頷いた。
 すでに後悔に襲われていたが、もはやどうにもならない。

 「……はい」
 研水が頷くと、後藤が「佐竹様」と、佐竹に言葉をうながした。

 「……命を捨てる覚悟を持つ。
 市井の者には分からぬであろうが、これが武士の本分である」
 佐竹が目を閉じ、眉の間に深いしわを寄せると、難しい顔で言った。
 ……通じぬか。
 研水が落胆したとき、佐竹が目を開いて続けた。
 「だが、おぬしの言うことにも一理ある。
 命を軽々に捨てず、麒麟を討つ方法を模索する。
 これは、与力たるわしの役目であろう」
 そう言った後、佐竹は改めて研水を見据えた。
 「戸田研水と申したな」
 「はッ」
 「安心せよ。
 おぬしの命は、我ら奉行所が守る」

 「……ははッ。
 ありがたき御言葉でございます」
 研水は深く頭を下げた。
 ようやく望む言葉を得たが、それ以上に、引き受けた役目は危険であった。

 「旦那様」
 そのとき、襖の向こうから声がした。
 景山に仕える小者の声のようである。
 景山が佐竹に視線を向けると、佐竹は小さく頷いた。
 佐竹の許可を得た景山は、体の向きを変えると移動し、襖を開けた。
 小者が平伏している。
 そして、その懐には、浅く手紙を差していた。
 
 もしや!
 手紙を見た研水は、ある予感に胸をざわつかせた。
 今日、屋敷を出るまで待っていた連絡が、ようやく届いた気がした。

 小者は、懐から抜いた手紙を景山に差し出した。
 「杉田玄白様より届いた手紙でございます」
 研水の予感は的中した。

 景山は、下男から届いた手紙を受け取ると、ぱらりと開いて目を走らせた。
 「蘭学者の杉田玄白か?」
 ほどよい間を置いて、佐竹が景山に問うた。
 「はい」
 書状には、景山宛に、本日、都合がつくのであれば、訪問している戸田研水と共に、麻布の屋敷まで参られたし。
 このようなことが丁寧に書かれていたと、景山は説明をした。
 「後ほど、研水殿と共に、伺おうと思います」
 景山の言葉に、後藤が乗った。
 「おれも同行しよう。
 高名な杉田玄白殿に会える機会など、そうあるものではないからな」
 佐竹が許可を出し、研水は、景山、後藤と共に、玄白の屋敷へ訪れることとなった。
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