大江戸怪物合戦 ~禽獣人譜~

七倉イルカ

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水妖

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 揺らめく水面のすぐ下に見えたのは、中年の男の顔であった。
 三十代後半に見える男が、仰向けになって水中を流れてきたのだ。
 水面に反射する光のせいなのか、男の顔は、くすんだ緑色のように見えた。

 ふやけたような輪郭をしている。
 太っているのだ。
 頭髪は無い。
 目は、丸く見開いたままになっている。

 たるんだ顎の下に短く太い首があり、肥満した胴体に繋がっていた。
 衣類は身にまとっていない。
 裸であった。
 丸みのある大きな体の両脇に、やや寸詰まりの腕がある。
 胸も腕も、やはり、くすんだ緑色をしていた。
 ただ、丸く膨張し、水面から出そうになっている腹部は、ぬっぺりと白かった。

 その白い太鼓腹に、シミのような斑点が幾つも浮いている。
 どこか、カエルの腹に似ていた。

 老人は最初、巨大な魚が、溺れ死んだ男の下半身を飲み込み、そのまま泳いできたのかと思った。
 しかし、そうでは無かった。
 男の下半身は、巨大な魚の胴と繋がっていたのだ。
 
 見直しても、間違いではなかった。
 巨大魚が男をくわえているのではない。
 男の下半身は、そのまま魚の胴となっていたのだ。

 遠目で見たときと同じく、やはり、ぬめぬめとした巨大なナマズのような胴である。
 この胴もまた、白い腹を上に向けていた。

 老人は、信じられぬ思いで、視線を男の顔に戻した。
 と、そこで、さらに信じられぬことが起こった。
 男が瞬きをしたのである。

 水面の揺らぎによる錯覚ではない。
 男は水中から老人を見て、瞬きをしたのだ。
 さらに瞬きをした後で、老人と目を合わせたまま、にやりと笑った。

 生きている……。

 老人は、悲鳴をあげた。
 短い悲鳴ではない。
 大きく長い悲鳴である。
 後退り、悲鳴の後で「化け物だ!」と叫んだ。

 半身がナマズの男は、大きな尾びれを振ると、仰向けのまま、移動する速度をわずかにあげた。

 老人の悲鳴に、周囲の人々が、何事かと集まってきた。
 集まった人々は、老人の視線を追って濠に目を向ける。

 ほんの数瞬、その姿をさらした異形の男は、くるりと反転してうつ伏せとなり、濁った濠の水の底へと潜っていった。
 
 これを見たのは数人である。
 その人々は、流れてきた土座衛門が、水底へと沈んでいったのだと思った。

 が、しばらくすると、岸から離れた場所で長い引き波が走った。
 遅れて集まった人々の多くが、この波を見た。

 「鯉か!?」
 「いやいや、でか過ぎるだろ!」
 「おい、ほら!
 今度はあっちに現れたぞ!」
 「ハンザキ(オオサンショウウオ)ではないのか?」
 
 騒ぐ人々をからかう様に、時折、長い引き波が走り、尾びれが水面を叩く。
 黒い背が見えるときもある。
 「見たか!」
 「大ナマズじゃ!」
 「いや、あれは鯉であろう」
 「……人の頭のようなものが、見えはせなんだか?」

 そして、いつの間にか、水面を走る波も、水中を移動する影も現れなくなってしまった。
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