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第224話 視察の旅 その28 獣との戦い

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 初老の男の正体は、グルドだった。グルドは、公国への帰属を求めてガムドに橋渡しを頼んでいたところ、僕もグルドに興味が湧いたので連絡を取っていたところだったのだ。グルドの領土はサノケッソの街の西方に位置しており、まさか森で会うことになろうとは想像だにしていなかったところだ。

 「貴方がグルドだったとはな。なぜこんなところにいるんだ? この森は、元子爵領に属する土地だ。グルドとガムドは音信不通の仲だと聞いていたが」

 グルドは、自分の正体を教えたからには全てを話すつもりのようだ。何かを言いかけたところで、別の方角から大声で叫んでいるものがいた。僕達からは遠くにいたため、声が聞き取れなかったが、近付いてくるとハッキリと聞こえてくる。獣が現れたようだ。狩りの対象のではない。グルドが討伐の対象としていた獣だ。グルドは、僕達との会話を一旦止め、すぐに部下をかき集めるように大声をあげた。

 すると、いくらの時間もしないうちに100名ほどの屈強な男たちが整然と集まりだしたのだ。グルドは僕達から一定の距離を取って、作戦会議を始めたのだった。この機会に討ち取ろうというつもりなのか、全員で襲撃する相談をしているようだった。僕が、聞き耳を立てていると、シェラが僕の袖をグイグイと引っ張ってきた。少し煩わしかったが、よく考えてみれば、先程治療前に上の空だったことを注意していなかった。僕はそれを思い出して、シェラに向かって、その時の理由を聞き出した。

 「ちょっと気になることがあったのです」

 なにやら思わせぶりなことを言ってくるな。僕は注意していることを忘れ、シェラの気になることという話を聞くことにした。

 「ここに来てから、変だと思いませんか?」

 いきなり、質問か。僕は考えるまでもなく答える。この森の変なところなんてわかりきっている。冬にも拘わらず、暖かすぎるのだ。しかも、果実の実り方を見る限り、この時期だけ暖かいという感じではないのだ。おそらく年中この気候なのかも知れないな。僕はこの地方特有なものと思っているのだが。

 「そうですね。だけど、この地方にそんな特有な気候は存在しません。この気候って何かに似ていませんか?」

 僕は考えてみた。ふと、思えば似ているところがあるな。しかし、この場所にあるわけがないだろうに。

 「そうです。この地は魔の森に似ているのです。私も感知していなかっただけなのかも知れませんが、魔の森がこの場所に残っているなんて驚いていますよ」

 まさか。と思ってみたが、元女神であるシェラが間違いを言うわけがない。つまり本当なのだ。となると、魔の森が自然的に発生したということなのか? 魔の森について、深く考えたことがなかったが、魔の森とは一体なんなのだ? 

 「私から申し上げられることは多くないのですが、発生したというのは間違いですね。実は、この世界全てがかつては魔の森だったのです。しかし、魔の森は時が経つにつれ、徐々に減っていき、魔の森は村の南方に広がるだけだと思っていたのですが」

 シェラは何気なく言っているが、きっと誰も知らない事実なのだろう。こうなると、もっと聞きたくなってくるな。僕が質問しようとすると、急にシラーが独り言のように呟いた。

 「ここが魔の森ってことは、魔獣がいるのかな?」

 その通りだ。グルドの言っていた巨大な獣の正体は魔獣だ。それならば、話が理解できる。僕も退治したことがあるから分かるが、あれは大の大人でも対処することは困難だろう。たとえ、百人居ても逃げ出す時間稼ぎが出来れば良い方で、討伐など考えないほうが良い類だ。そうと分かれば、早くグルドに相談しなければ、大きな被害が出てしまうだろう。

 僕はすぐにグルドのもとに駆け寄った。作戦会議中だったため、グルドは明らかに不満げな表情を浮かべていたが、僕の身分を知っているからか、僕の意見に耳を傾けてくれるようだ。僕は、この地のことを告げ、魔獣の可能性があることを指摘した。しかし、グルドの表情は変わることなく、ご意見ありがとうございます、と言っただけですぐに会議を再開させた。一体、どういうことだ? 信じてもらえなかったのだろうか。それとも、魔獣への認識が甘いだけなのか。なんにしても、止めさせなければ。僕が再び、グルドに向かって話しかけると、グルドは皆を作戦開始の合図を出した。そして、僕の方を振り向いた。

 「話は分かったが、仮に魔獣だとしても我らは戦うのを止めたりする気はない。それ以上話をする気はない」

 そういって、僕の前からグルドは去っていった。一体、グルドを突き動かすものは何なのだ。わからないことだらけだ。だが、放っておくわけにも行くまい。グルドが言うには確認された魔獣は一匹だけという話だ。だとすれば、僕とシラーがいれば対処することは容易だろう。ハヤブサがいないのは心許ないが。

 僕達は、グルドの向かった方角に進むことにした。おそらく、その方角に魔獣が出没したのだろう。しかし、なかなかグルドに出くわすことがなかった。もしかして、見失ってしまったのか? 僕が不安に駆られていると、別の方角から戦闘しているのか、叫び声が木霊してくる。どうやら、途中から間違った方角に進んでいたようだった。僕達は急ぎその場所に急行すると、すでに数名が大怪我を負って意識を失っている状態だった。

 魔獣は、サイを更に巨大にしたような形をしていて、襲いかかるグルド達を難なく吹き飛ばしていく。やはり、魔獣に対して有効な攻撃が出来ていないようだ。かろうじて、剣がサイ魔獣に当たったとしても、魔獣の皮膚のほうが堅いようで弾き返されている。これは絶望的だ。しかし、グルド達は、何度も態勢を整えて、攻撃の手を休めることはしなかった。その甲斐もあってか徐々に魔獣の体力がなくなり始めてきたみたいで、動きが鈍くなり始めていた。

 僕はそれを見ながら、怪我をした者たちの治療をしていた。怪我から立ち直った者たちは、僕に礼を言った後に戦闘に参加していく。僕はただ、それを見ているだけだった。なぜなら、グルドたちの戦い方があまりにも技巧的で美しさすら感じるものだったのだ。戦闘が一つの芸術品のように完成されたもので、僕達が戦いに参加することに躊躇を覚えるほどだった。

 しばらく、攻防が続いた後、ついにサイ魔獣は勝てないとみて逃げ出したのだった。さすがに追いかけるほどの余力はなかったみたいでグルド達は一斉に腰を下ろし休憩を始めていた。ようやく勝った実感が湧いてきたのか、グルドが掛け声を上げると一斉に勝鬨をあげた。僕も死者が一人も出なかったことに安堵していると、グルドが治療のお礼を言ってきた。この戦いで、僕とグルドは随分と打ち解けることが出来、グルドが冗談を言っていた時だ。

 周囲に異様な雰囲気が漂いだした。この雰囲気は魔の森で度々経験したことがあるものだ。魔獣の群れがやってくる時のものだ。僕が気づいたときには、かなりの数の魔獣が辺りを埋め尽くしていた。シラーが僕に駆け寄り、身を挺して守ろうとしていた。

 「シラー、なんとか全員をここから脱出することは出来ないか?」

 「ロッシュ様。それは無茶です。ロッシュ様だけなら私が時間稼ぎをしている間に脱出できると思いますが。ここにいる者たちはすでに体力がほとんどなく、歩くのもやっとの様子。とても私だけでは。あのフェンリルさえいれば、もう少しやり様があったかも知れませんが」

 やはり、難しいか。僕は体力がなく歩けなくなっている者たちがお互いに身を助け合い、なんとかこの場を脱出するために動こうとしている姿をみて、僕だけが脱出することを躊躇してしまい、余計なことを口走ってしまった。

 「ここにいる者たちは僕達が脱出させてやる。まだ歩ける者は、歩けない者を担ぎ、全力でここから脱出を図ってくれ。僕達が活路を開く。だから、僕を信頼してくれ。とにかく、ここから生き延びることだけを考えろ!! グルド。今だけ僕の指示に従ってくれ」

 グルドは、特に反対を言うことはなく頷くだけだった。僕は指揮をグルドに任せ、僕とシラーで逃げる方向に穴を開けるように魔獣の群れに突っ込んでいった。走りながら、シラーに謝ると、僕らしいとニコリと笑っていた。僕はありったけの魔法を魔獣たちに向けて放ち、怯んだ魔獣をシラーが尽く打ち倒していく。その間に、グルド達が僕達が開いた穴から脱出していく。

 最後の一人が脱出が終わる頃に、魔獣達が違った動きを見せ、僕達を包囲しようと囲いを狭め始めたのだ。なんとか、この囲いから脱出しようとしたのだが、囲いの厚みが想像以上で倒してもすぐに穴が塞がってしまう。魔力回復薬を飲みながら魔法を放っているのだが、僕の魔法では精々魔獣の足止めに過ぎない。シラーがとどめを刺さなければ、魔獣が減ることがないのだ。

 何十頭と魔獣を倒したのだが、数は減ることはなく、シラーの体力だけが無くなっていった。シラーは肩で息をしながら、何度も魔獣の壁を破ろうとしていたが、ついに力尽きてしまったのか、その場にしゃがみこんでしまった。

 「ロッシュ様。どうやら、次が最後になりそうです。私が突っ込みましたら、ロッシュ様は逃げることだけを考えて行動してください。これが最後のチャンスなのです。私のことはどうか置き去りにすることを気になさらないでくださいね。ミヤ様に怒られてしまいますから」

 僕はシラーの言葉に胸が苦しくなったが、僕がここで駄々をこねればシラーを困らせるだけだ。僕は頷き、シラーと息を合わせて、魔獣の群れに突っ込んでいった。僕が魔法を使い、シラーが全力の一撃を放つとシラーは力尽きたように気絶してしまった。僕は、目の前でシラーが気絶しているのを見て、つい手を伸ばしてしまった。そのとき、サイ魔獣の角で二人共上空に放り投げられてしまった。このまま落ちれば、二人は魔獣の真ん中に落ちてしまうだろう。そうなれば……

 僕は、なんとか上空で態勢を変え、シラーの手を何とか掴み、そのまま体に寄せ、地面に落下するまでの間、抱きしめていた。僕は地面に衝突する瞬間目を閉じてしまった。

 しかし、僕には地面にぶつかった衝撃がなく、ふわふわとした感触に包まれていた。僕が目を開けると、疾走しているハヤブサの上にいたのだった。僕の腕の中にはシラーが静かに眠っていた。それでも安心できなかった。ハヤブサの戦闘能力は凄まじいものがあるが、僕とシラーを庇いながらでは抜け出せないだろう。

 そう思っていたが、僕の杞憂だったようだ。なんと、十数頭のフェンリルが僕達を囲むように並走していて、寄ってくる魔獣を尽く食い破っていくのだ。ハヤブサはその中でただただ走っているだけであった。フェンリルと共に何とか魔獣の壁を脱すると、それ以上魔獣は追ってくることはなく、そのまま霧の中に消えていった。

 僕達はすぐにグルド達に追いつくことが出来た。フェンリルたちの姿を見て、かなり驚いた表情をしていたが、僕がハヤブサの顔を撫でているのを見て、安心してくれたようだ。というか、対抗しようにも十数頭に勝てるわけはないので、信じるしかないというのが正直なところだろう。

 グルド達と一緒に逃げていたシェラがすぐに駆け寄ってきて、僕に抱きついてきた。かなり心配していたようで、涙をポロポロと流していた。しばらく、そっとしておこう。

 僕達は体力を使い切った状態だったため、難民たちの集落になかなか到着することが出来なかったのだった。その間に変化があった。グルドが僕のことをロッシュ公と呼んでいたことだ。
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