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5.潮騒の音色と迷い

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 やっぱり、花穂は何かを思い出しているのだろうか?


「ねぇ、花穂。もしかして、何か思い出したの?」

 だけどそうだとして、またここで意識を失ってしまえば、今の出来事は花穂にとってなかったことにされてしまうのだろうか。

 花穂に語りかけるようにたずねると、それまで苦しげに細められていた目が見開かれて、僕を捉える。

 やっぱり、そうなのか……?

 花穂の瞳は酷く不安げで、まるでこの世の終わりを見ているようだった。


「……わからないの」

 だけど、花穂が僅かに唇を動かすと同時に聞こえたのは、今にも波の音に呑まれてしまいそうな震える声だった。


「……え?」

 わからない……?


「だけどすごく辛いの、この先を聞くのが。聞いちゃダメって……」

「それって……」

「ねぇ、リョウちゃんは居なくならないよね?」


 天文学部の合宿の夜に聞いたのと同じ質問だった。

 花穂のことを安心させたいけれど、中途半端な優しさは花穂をもっと傷つけるのかもしれないと気づいたから、今回は花穂の望むこたえを返すことができない。


「花穂、聞いて! 兄ちゃんは……」

 必死で訴えるように叫ぶ。

 だけど、僕が全てを伝えようとしたとき。


「──……柏木涼太は、もう」


 すでに花穂は僕の腕の中で意識を手放していた。


「何でだよ……。何なんだよ……っ」


 花穂はきっと潜在的には覚えているんだ、兄ちゃんのことを。

 だけど、それを全身で拒んでいる。

 その事実を聞くのを、知るのを、実感するのを。


「僕に、どうしろって言うんだよ……っ」


 それなのに、そんな花穂に真実を突きつけることが本当に正解なのか、僕にはわからない。

 ただでさえ花穂がこんな状態なのに、無理に現実を押しつけることで花穂の心が取り返しがつかないくらいに壊れてしまうんじゃないかって思ったら、僕には、真実を告げる勇気がない。


 好きなのに、救えない。

 大切なのに、傷つけることしかできないのか。

 兄ちゃん、僕、どうしたらいいの……?

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