上 下
35 / 67
5.潮騒の音色と迷い

5ー2

しおりを挟む
 つまり、あのとき確かに花穂は兄ちゃんのことを微かにでも思い出していて、さらに思い出そうとして倒れた──ということなのだろうか。


「何となくだけど、梶原さんは思い出せないだけで、本当は涼太のことを忘れてねぇような気がする」

「花穂は、本当は兄ちゃんのことを覚えてる?」

「真相心理では、な。一種の自己防衛ってことなんだろうな。本当は忘れてなんかないけど、あまりに想定外の辛い現実が起こって、自分を守るために無意識のうちに思い出せないようにしているんじゃないかと思う」

「そんなことってあるのですか?」

「さぁな。そこまで知らねぇけど、現状梶原さんの場合、そうなんじゃねぇの?」


 辛い現実からの自己防衛。現実逃避。

 花穂がそうしてしまう理由には、心当たりがありすぎる。

 その中でも一番は、恋人だった兄ちゃんの死なのだろう。


「……じゃあ、また兄ちゃんのことを思い出しそうになったら、花穂は自己防衛反応で倒れて記憶が消えてしまうかもしれないってことですよね」

「可能性は否定できないと思う」


 現状からの推測しかできないが、園田先輩の言う通りのような気がする。

 でも、それじゃあどうしろっていうんだろう。

 兄ちゃんや家族との思い出を思い出したいという花穂の思いから記憶探しの旅を始めた。

 もし花穂が本当に兄ちゃんのことを思い出そうとする度に真相心理がそれを拒んで、思い出しかけたことを忘れてしまうのなら、いつまで経ってもゴールにたどり着けないということだ。


「……俺、思うんだけどさ」

 僕が考えあぐねていると、同じように考え込んでいた園田先輩が口を開く。


「記憶探しの旅とか言ってないでさ、本当のことを話したらダメなの?」

「……え、っと」

「梶原さんが涼太の姿に反応したから、将太が涼太に成りすまして記憶を戻す手助けをしてる話は聞いたけどさ、それって、本当に梶原さんのためになってるのかって話」

「それは……」


 僕のやっていることが、花穂のためになっているのかどうか。 

 その問いに、すぐさま“うん”とは言えない。

 だってそれだけのことを、まだ僕は成し得ていないのだから。

 今のままでは、僕は兄ちゃんに成りすまして花穂のそばにいるただの嘘つきでしかない。


「将太はどう思うかわからないけど、もし梶原さんが自己防衛から思い出そうとしても過去に蓋をしてるなら、涼太がいない現実をくらませているのってあまりよくないように思う」

「でも、自己防衛するくらい辛いことなら、無理に思い出させるのは……」

「そう思う気持ちもわからなくはないが、じゃあそれなら一生梶原さんが現実から目を逸らしたまま、将太は涼太に成りすましたまま生きていくのか?」

「……それはっ」

「不可能だろ? 辛いことを隠して目を背けるのは梶原さんにとっては楽かもしれないけど、いつかは必ず向き合わないといけない日が来る。そう思えば、下手に涼太がいると思い込ませるのってどうだろう?」

「……」


 何が正しくて、どうするべきなのか。

 何をすることが花穂のためになるのか。

 園田先輩の言葉に反論できるほどの考えを、僕は持ち合わせていない。

 でももしも、今僕がしていることが何一つ花穂のためになってないのならと考えたら、恐ろしくなった。

 僕がこの夏休みをかけてやって来たことが、全て間違っていたということなのだろうか。

 ドクドクと、今までにないくらいに血流の音が大きく聞こえて、耳に障る。

 寒いくらいに冷房のきいた喫茶店内だというのに、背中に冷や汗が浮かぶ。

 僕は、とんでもないことを花穂にしてしまったのではないだろうか。僕がやってきたことが正しいと胸を張って言えればいいのに、自分に問いかけて不安になる。


 アイスコーヒーの氷がカランと揺れたとき、トンと僕の肩に温かい手が置かれた。

 いつの間にか下に落としてしまっていた視線を上げると、心配そうな面持ちの園田先輩がこちらを見ていた。


「ごめん。将太の気持ちも考えずに言い過ぎた」

「いえ……」


 それだけ助言してくれるということは、園田先輩も真剣に花穂のことを考えてくれているっていうこと。

 むしろ、ありがたいことだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】気味が悪いと見放された令嬢ですので ~殿下、無理に愛さなくていいのでお構いなく~

Rohdea
恋愛
───私に嘘は通じない。 だから私は知っている。あなたは私のことなんて本当は愛していないのだと── 公爵家の令嬢という身分と魔力の強さによって、 幼い頃に自国の王子、イライアスの婚約者に選ばれていた公爵令嬢リリーベル。 二人は幼馴染としても仲良く過ごしていた。 しかし、リリーベル十歳の誕生日。 嘘を見抜ける力 “真実の瞳”という能力に目覚めたことで、 リリーベルを取り巻く環境は一変する。 リリーベルの目覚めた真実の瞳の能力は、巷で言われている能力と違っていて少々特殊だった。 そのことから更に気味が悪いと親に見放されたリリーベル。 唯一、味方となってくれたのは八歳年上の兄、トラヴィスだけだった。 そして、婚約者のイライアスとも段々と距離が出来てしまう…… そんな“真実の瞳”で視てしまった彼の心の中は─── ※『可愛い妹に全てを奪われましたので ~あなた達への未練は捨てたのでお構いなく~』 こちらの作品のヒーローの妹が主人公となる話です。 めちゃくちゃチートを発揮しています……

訳ありヒロインは、前世が悪役令嬢だった。王妃教育を終了していた私は皆に認められる存在に。でも復讐はするわよ?

naturalsoft
恋愛
私の前世は公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者だった。しかし、光魔法の使える男爵令嬢に汚名を着せられて、婚約破棄された挙げ句、処刑された。 私は最後の瞬間に一族の秘術を使い過去に戻る事に成功した。 しかし、イレギュラーが起きた。 何故か宿敵である男爵令嬢として過去に戻ってしまっていたのだ。

猫神様のお気に召すまま

結香こっこ
ライト文芸
職場の後輩に彼氏をとられ、また別の後輩には出世を先越され…。 ツイてない続きの主人公、相原池鶴の部屋に突然“猫神様”が現れた! なんでも願いが叶うように導いてくれるとか?叶えてくれるんじゃなくて? よくわからない上に、願いが叶うまで同居すると言い出して?! なんとも強引に猫神様との同居生活が始まった…。

せやさかい

武者走走九郎or大橋むつお
ライト文芸
父の失踪から七年、失踪宣告がなされて、田中さくらは母とともに母の旧姓になって母の実家のある堺の街にやってきた。母は戻ってきただが、さくらは「やってきた」だ。年に一度来るか来ないかのお祖父ちゃんの家は、今日から自分の家だ。 そして、まもなく中学一年生。 自慢のポニーテールを地味なヒッツメにし、口癖の「せやさかい」も封印して新しい生活が始まてしまった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

裏切りの扉  非公開にしていましたが再upしました。11/4

設樂理沙
ライト文芸
非の打ち所の無い素敵な夫を持つ、魅力的な女性(おんな)萌枝 が夫の不始末に遭遇した時、彼女を襲ったものは? 心のままに……潔く、クールに歩んでゆく彼女の心と身体は どこに行き着くのだろう。 2018年頃書いた作品になります。 ❦イラストはPIXTA様内、ILLUSTRATION STORE様 有償素材 2024.9.20~11.3……一度非公開  11/4公開

召喚されたけど要らないと言われたので旅に出ます。探さないでください。

udonlevel2
ファンタジー
修学旅行中に異世界召喚された教師、中園アツシと中園の生徒の姫島カナエと他3名の生徒達。 他の三人には国が欲しがる力があったようだが、中園と姫島のスキルは文字化けして読めなかった。 その為、城を追い出されるように金貨一人50枚を渡され外の世界に放り出されてしまう。 教え子であるカナエを守りながら異世界を生き抜かねばならないが、まずは見た目をこの世界の物に替えて二人は慎重に話し合いをし、冒険者を雇うか、奴隷を買うか悩む。 まずはこの世界を知らねばならないとして、奴隷市場に行き、明日殺処分だった虎獣人のシュウと、妹のナノを購入。 シュウとナノを購入した二人は、国を出て別の国へと移動する事となる。 ★他サイトにも連載中です(カクヨム・なろう・ピクシブ) 中国でコピーされていたので自衛です。 「天安門事件」

浮気をした婚約者をスパッと諦めた結果

下菊みこと
恋愛
微ざまぁ有り。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...