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*第3章*

おまえが悪いんだからな(2)

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「ん……、んぅ……」

 熱い吐息とともに、苦しそうに漏れた優芽の声に、ハッと我に返る。


 俺……。

 俺、今、こいつに何した……?


 心拍数が一気に跳ね上がる。

 自分が優芽にキスをしてしまったという事実に気づくのに、そう時間はかからなかった。


「ん……っ」

 至近距離で優芽を見つめたままいると、微かに声を漏らして動く優芽の目元。

 そして、ゆっくりと優芽のまぶたが押し上げられる。


「え……、か、神崎せんぱ……」

 間近にある俺の顔をしっかり捉えるなり、大きく目を見開く優芽。


「あ、あれ? あ、あたし……」

 まさか、さっきのキスには、気づいてねえのか……?

 まあ、いい。

 下手に知るより、何も知らない方がお互いのためだ。


「気がついたか? おまえ、熱中症で倒れて、ここは保健室だ」

「あ、そうなんですか……。あたし、どうやってここに……」

「俺が、連れてきた」

 すると、何故かこのタイミングで恥ずかしそうに目を逸らす優芽。


「え、そんな。す、すみません……」

「そんなこと気にするな。まだ熱高いみたいだし、大人しく寝とけ」

 俺は優芽の肩まで、そっと掛け布団をかけ直してやる。


「あ、あの……っ」

 俺が今度こそスポーツドリンクを買ってきてやろうとしたとき、掛け布団から顔を半分出した優芽に呼び止められる。


「あ、ありがとうございました……」

「ん」

 俺は、その真っ直ぐな優芽の瞳を見つめ返すことができなくて、短く返事をして保健室をあとにした。

 保健室を出て、思わず大きくため息を漏らし、自分の唇に手を当てる。


 あいつの……。

 優芽の熱い唇の感触が……。

 優芽の熱い吐息が……。

 こびりついて、頭から離れない。


 っていうか、あいつは、本当に何も気づいてねえのか?

 わかんねえ……。


「ったく、何なんだよ」

 優芽と出会ったのは、あいつの入学式の日だった。

 中庭で、入学式の生徒会挨拶の言葉を、頭の中で予行練習していた俺。

 やたらとギャーギャーうるさく騒ぐ声が聞こえて、文句を言ったとき。

 思いっきり俺の上に飛び込んできたのが、優芽だった。


 かと思えば、そのあともカレーを制服にぶっかけてくるし……。

 正直、どうしようもない女だと思った。


 だけど、不思議とあいつの前では自然体で居られる俺がいて、それを心地よく感じているのもまた事実だ。

 こちらの意思に関係なく無条件で俺の中に入り込んでくる優芽に、俺自身コントロールできない感情がわき上がって、日に日に大きく膨れ上がっていった。


 こんな気持ち、初めてで……。

 俺は一体、どうすればいいんだよ。

 胸に潜む想いの正体に気づいたところで、その対処法を、俺は知らない。


 静寂な空間。

 身体中が心臓になったんじゃないかと思うくらいに、やけに大きく鳴り響く鼓動。

 自分でもびっくりするくらいに、俺は動揺していた。


 っていうか、何で俺がこんなに悩まされなきゃなんねえんだよ……!

 カレー女のくせに……。

 あいつが、あんな目で俺を見るから……。

 あんな風に俺を引き止めるからいけねえんだ……。


 キスしたからなんだよ!

 んなもん、知るかよ!


「おまえが悪いんだからな……」

 優芽に聞こえるわけがないけれど、小さな声でそう呟いて、俺は自販機までの道を急いだ。
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