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「それでも俺は直子との婚約は断っていたよ」

「……え?」

「さっきも言っただろ? 俺と直子の結婚の話で盛り上がっていたのは、俺と直子の父親だって。表向きは会社の考えの違いを理由に断ったけど、本当のことを言うと俺は結婚に関しては会社の利益じゃなくて、俺自身の気持ちに忠実に動きたいと思っているから」


 そして、俊彦さんは子どものように無邪気に笑って、私と額同士を触れ合わせた。


「だって、俺、その話を聞かされた時点で、ずっと好きだった人がいたからさ」


 “ずっと好きだった人”というフレーズに胸がざわつく。


 すると、俊彦さんは急に懐かしむように、何年も前のことを話し始めたのだ。


「俺が社長に就任する前のことなんだけどな、秘書課内である問題が起こっていたんだ。それは秘書課のある女性を取り巻く事柄だったんだけど、彼女は仕事もできて早くから上からも評価されて、その上可愛かったからきっと周りから反感を買ったんだろう」

「……え?」

「明らかに嫌がらせなのに、面倒事を押し付けられても嫌な顔ひとつせず引き受けて、ミスを誘発されても弱音をひとつ吐かなくて。だけどそんな強さがある反面、陰で泣いてることも知ってた。何とか力になろうと思った。だけど、突然正面から俺が出ていったところで事態を悪化させるだけなのもわかってたから、あのときは本当に悩んだ」


 だけど俊彦さんの話を聞いて、すぐに「あ」と思った。


「あの、その秘書課の人って……」


 俊彦さんの話は、どこか身に覚えのある話で、気づけば私はつい先へと言葉を急ぐように、食い入るように俊彦さんに尋ねていた。


 これが俊彦さんの当時の好きな人とどう関係があるのかもわからないし、もしこれが私のことを話しているのだとしたら、かなり私のことを過大評価してるところはあるけれど……。



「そうだよ。お前のことだよ、琴子」


 俊彦さんがくれたのは、私が薄々感じていた通りのこたえだった。


「あの頃琴子に伝えたように、俺はあの頃からずっとお前の味方でいたつもりだし、あの頃からずっとお前は俺のなかにいた」

「……え、っと」


 それはつまり……。


「俺はその当時から琴子に惹かれてたってことだよ」


 甘い声色で俊彦さんにそう言われて、ボッと顔中が一気に熱くなる。


「俺はお前が俺の秘書になるもっと前から、お前のことが好きだったんだ。だから、もっと俺に愛されてるって自信を持ってほしい」


 まさか俊彦さんからそんなことを言われるなんて、誰が想像ついただろうか。

 私だけじゃなく、俊彦さんもずっと前から私のことを思っていてくれてただなんて、夢にも思わなかった。


「あのときは助けていただいてありがとうございました。私もあの頃から俊彦さんのことが、ずっと大好きでした」


 私からの告白に、俊彦さんは甘いキスで返してくれる。

 二人の気持ちを再確認した直後ということもあり、キスはすぐに深いものにかわり、お互いに夢中になってキスをした。


 だけど、廊下から賑やかな声が通り過ぎていく音が耳に届いた瞬間、私と俊彦さんはハッと我に返ったようにお互いを見つめ合う。


「……危うく会社だということを忘れて、止まらなくなるところだったよ」

「私もです」


 何となく恥ずかしくなりながらそう告げると、今度は触れるだけの優しいキスが降ってくる。


「……今日の夜、空いてる?」

「はい、空いてますけど……」

「じゃあ、続きは今夜のデートでな」


 俊彦さんの言葉に思わず赤くなる私を見て、俊彦さんは嬉しそうに笑ったのだった。
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