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5.お前が無事ならそれでいい。

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「今日はうちの社長がこの地区の視察に来られる予定になっています。わかっているとは思いますが、見かけた場合は、しっかりと挨拶するようにお願いします」

 開店前の朝礼で、本郷店長によって本日の連絡事項が淡々と伝えられる。


 うちの会社では、年に一度、現場の状況を確認するために、社長が一店舗ずつ視察に訪れることになっている。

 社長の愛称は“しげたん社長”。

 社長っていうと、何となくキリリとして厳しいイメージがあるけれど、しげたん社長はおっとりとしていて、少し天然なことで有名な年配の男性だ。

 そんな社長だから、本名のしげる社長からつけられたニックネーム、“しげたん社長”で社員に親しまれているんだと思う。


 それにしても、この前、足にキスされたときの余韻が脳裏に蘇って、変に本郷店長を意識しちゃってる私がいる。

 あれからもう一週間も経つというのに、気づいたら彼の魅惑的な唇に視線がいってしまうんだ。


「高倉さん、さっきからボーッとしてるように見えるけど、俺の話、ちゃんと聞いてたか?」

「え!?」

「社長が来られるまでに、店内の清掃を頼む」 

 本郷店長は小さく息を吐き出すと、私にそう告げた。

「は、はい。す、すみません……」

 本郷店長の言い方から、また私は呆れられてしまったようだ。


「それでは、本日もよろしくお願いします」

 本郷店長の言葉とともに、私は気持ちを入れ替えて倉庫内にある掃除用具入れに向かった。


 いくら社長がおっとりとした感じの人とはいえ、気を抜いていられない。何より、社長と一緒に視察にやってくる営業部長や地区長の方が厳しいと言われているのだから。

 私は、いつしげたん社長たちが入ってきても対応できるように、いつも以上に仕事に集中した。



 ちょうど午前中のお客様のピークを過ぎた頃、私は商品が売れたあとに陳列棚の奥側にある商品を手前側に出す、前出しという作業をしていた。

 これは、常にお客様が商品を手に取りやすい配置にしておくことを目的に行う業務だ。

 私の担当の衛生用品のコーナーの前出しをしていると、スーツにサングラスをかけた、シルクハットを被った年配の男性に声をかけられた。


「すみません」

「はい、いらっしゃいませ」

「目薬がほしいんだけど、どこにあるかな?」

「あちらでございます」

 目薬は、私が作業していたちょうど向かい側の、入り口に対して奥側の棚に陳列されている。

 そちらにお客様をご案内して、棚を示す。


「目薬のコーナーは、こちらになりますね」

「ありがとう。どれがおすすめだい?」

「どのような症状がございますか?」

「疲れ目だよ。だけど、たくさん種類があってわからない」

「かしこまりました。ご自身でお使いになられますか?」

「ああ、そうだね」


 疲れ目の目薬と一言で言っても、たくさん種類がある。

 私は目薬の陳列棚を見回して口を開く。


「商品によって少しずつ違いはありますが、わりとどれもよく似た感じのお薬にはなりますね。スッとするタイプがお好みですか?」

 目薬によってスッとする清涼感の強いタイプと清涼感の弱いタイプがある。

 これは、本当にお客様の好みによるもので、眠気が覚めるからという理由で清涼感の強いタイプを選ばれる方と、清涼感が強すぎるものだと目がしみるといって、マイルドなタイプを選ばれる方と別れる。
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