上 下
43 / 59
6.大切な人

(5)

しおりを挟む
「そうだったんですね……。わざわざありがとうございます」

「あいつと二人になるなと言う資格がないのはわかっているが、あまり二人きりにならないで。心配するから」


 副社長の大きな手が、優しくぽんぽんと私の頭を撫でる。

 何だろう。自分には全く可能性なんてないのはわかりきっているのに、副社長の言動や行動のひとつひとつに期待させられてしまいそうになって苦しい。


「はい、気をつけます。でも、さっきのはさすがにびっくりしちゃいました。いきなり紗和は俺のものだから、だなんて言われて。私を助けるために言ったって頭ではわかってても、あんなこと言われたら勘違いしてしまいます」


 突然紗和って呼んだり、嘘でもこいつは俺のものだからとか言ったり、今の言葉や行動だってそうだ。

 嬉しくないと言えば嘘になるけれど、副社長に大切な人がいるのなら、思わせ振りな態度を取られるのは辛いものがある。



「……勘違いじゃない」


 だけど、私の気持ちを知らない副社長は、そんなことを言ってくるのだ。


「何言ってるんですか。もう、からかわないでくださいよね」

「だから、からかってない」

「やめてください! そんな風に言われたら期待しちゃうじゃないですか! 副社長には大切な人がいるのに……。ネックレスの……」


 今も“大切な人”との思い出のネックレスをつけていて、あんなにいとおしそうな表情でネックレスを握りしめていた。


 それなのに、どうしてこうも思わせ振りな態度を取ってくるのだろう。

 どう考えたって私のことをからかっているとしか思えないし、もし副社長が本気でそんなつもりはないなんて言うのなら、かなりタチが悪い。


「……園美から聞いたのか? あいつ、余計なことを……」


 しまった、と思った。

 課長には内緒と言われていたのに、私が副社長の大切な人のことに触れてしまった瞬間に、副社長は真っ先に課長のことを疑ったのだから。


 それと同時に、大切な人の話を持ち出されるなり、副社長は戸惑うような表情を浮かべた。

 さっきの言動からも副社長に“大切な人”がいる話は、本当だということを意味しているのだろう。


 もう、やだ……っ。

 副社長には“大切な人”がいることを知りもせずに、心のどこかで期待してしまっていた自分も。

 そんな期待させてしまうようなことをしてくる副社長も。


 何より、こんな風に副社長を責めたって何にもならないのに、彼を責めてしまった。

 自分自身が恥ずかしくて消えてしまいたくて、私は思わず副社長に背を向けて走り出していた。



「紗和っ!」


 不意打ちで私の名前を呼ばないでほしい。

 いつも“木下さん”って呼んでるのに、何でたまにそんな風に私のことを名前で呼ぶのだろう。


 副社長が私を追ってくる。

 追いつかれたら、何を言われるのだろう。

 永遠に逃げ続けるなんて不可能だってわかっている。逃げたって、この恋の終わりを副社長の口から告げられる瞬間を先伸ばしにしているだけだってわかっているけれど、今はこれ以上副社長と向き合う勇気がない。



「紗和、止まれ!」


 ちょうど青信号になっていた横断歩道に差し掛かったときだった。

 一層切羽詰まった副社長の声が聞こえた。


 辺りはもう暗くなって視界が悪くなっていたことと、自分自身に余裕がなかったことが重なって、私は全く気づいていなかったんだ。

 今この瞬間に、こちらに曲がってきた車両の存在に。



「危ない!」


 ファァァァァァァァァァァァァァァン!


 悲鳴のような副社長の声とクラクションの音が同時に響き渡った。


 耳をつんざくクラクションの音に弾かれるようにしてその方向を向けば、すぐ目の前に迫ったトラックが見えた。

 そのとき視界の隅にこちらに向かって飛び込んでくる副社長の姿が映った。


 “来ないで! またあなたを巻き込みたくないの……っ”

 頭の中で、もう一人の自分が切羽詰まったようにそう叫んでいたのが聞こえた。


 胸が痛い。息が苦しい。それが何によるものかなんて、わからなかった。

 ただあり得ないくらいの早さで身体が動くのを感じた直後、私の意識はそこで途絶えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

こじらせ女子の恋愛事情

あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26) そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26) いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。 なんて自らまたこじらせる残念な私。 「俺はずっと好きだけど?」 「仁科の返事を待ってるんだよね」 宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。 これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。 ******************* この作品は、他のサイトにも掲載しています。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【実話】高1の夏休み、海の家のアルバイトはイケメンパラダイスでした☆

Rua*°
恋愛
高校1年の夏休みに、友達の彼氏の紹介で、海の家でアルバイトをすることになった筆者の実話体験談を、当時の日記を見返しながら事細かに綴っています。 高校生活では、『特別進学コースの選抜クラス』で、毎日勉強の日々で、クラスにイケメンもひとりもいない状態。ハイスペックイケメン好きの私は、これではモチベーションを保てなかった。 つまらなすぎる毎日から脱却を図り、部活動ではバスケ部マネージャーになってみたが、意地悪な先輩と反りが合わず、夏休み前に退部することに。 夏休みこそは、楽しく、イケメンに囲まれた、充実した高校生ライフを送ろう!そう誓った筆者は、海の家でバイトをする事に。 そこには女子は私1人。逆ハーレム状態。高校のミスターコンテスト優勝者のイケメンくんや、サーフ雑誌に載ってるイケメンくん、中学時代の憧れの男子と過ごしたひと夏の思い出を綴ります…。 バスケ部時代のお話はコチラ⬇ ◇【実話】高1バスケ部マネ時代、個性的イケメンキャプテンにストーキングされたり集団で囲まれたり色々あったけどやっぱり退部を選択しました◇

同居人の一輝くんは、ちょっぴり不器用でちょっぴり危険⁉

朝陽七彩
恋愛
突然。 同居することになった。 幼なじみの一輝くんと。 一輝くんは大人しくて子羊みたいな子。 ……だったはず。 なのに。 「結菜ちゃん、一緒に寝よ」 えっ⁉ 「結菜ちゃん、こっちにおいで」 そんなの恥ずかしいよっ。 「結菜ちゃんのこと、どうしようもなく、 ほしくてほしくてたまらない」 そんなにドキドキさせないでっ‼ 今までの子羊のような一輝くん。 そうではなく。 オオカミになってしまっているっ⁉ 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* 如月結菜(きさらぎ ゆな) 高校三年生 恋愛に鈍感 椎名一輝(しいな いつき) 高校一年生 本当は恋愛に慣れていない 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* オオカミになっている。 そのときの一輝くんは。 「一緒にお風呂に入ったら教えてあげる」 一緒にっ⁉ そんなの恥ずかしいよっ。 恥ずかしくなる。 そんな言葉をサラッと言ったり。 それに。 少しイジワル。 だけど。 一輝くんは。 不器用なところもある。 そして一生懸命。 優しいところもたくさんある。 そんな一輝くんが。 「僕は結菜ちゃんのこと誰にも渡したくない」 「そんなに可愛いと理性が破壊寸前になる」 なんて言うから。 余計に恥ずかしくなるし緊張してしまう。 子羊の部分とオオカミの部分。 それらにはギャップがある。 だから戸惑ってしまう。 それだけではない。 そのギャップが。 ドキドキさせる。 虜にさせる。 それは一輝くんの魅力。 そんな一輝くんの魅力。 それに溺れてしまう。 もう一輝くんの魅力から……? ♡何が起こるかわからない⁉♡

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

処理中です...