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烏天狗と浅草散歩にいきます

烏天狗と浅草散歩にいきます③

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「もしかしてこれ"念"のせい……!?」

「その小さき式では、これだけの濃さには耐えられぬだろうな」

「! 壱袈……っ」

 ゆったりと歩を進めてくる涼し気な顔を、"念"の合間から睨みつける。
 が、壱袈は「そう怖い顔をするな」と肩を竦め、

「これもすべて、彩愛の為を思ってのこと」

「はい!? どこが……っ!」

「雅弥は怖くない。むしろ共にあるのは楽だと言っていたが、近ければ近いほど、こうした事態に巻き込まれるのは明白。これまでは運よく切り抜けてきたようだが……こうして雅弥のいない場ではどうする? いくらその目で見えようと、所詮は無力」

「!」

「ならば雅弥が現れるまで耐え忍んでみせるか? それはなんとも、健気というよりお荷物ではないか。見ろ、その式を。苦しそうになあ。今の彩愛では、その小さきモノすら救えん。どころか次にそうしてもがき苦しむは、彩愛自身よ」

 ――言い返せない。
 だって、壱袈の言う通り。私は結局、無力。

 お葉都ちゃんも、高倉さんも、郭君も。この子狐ちゃんだって。
 雅弥という防護壁に囲われた安全圏の中から手を差し伸べることはできても、私がたったひとりで守れたことは、一度も。

「その身が傷つき、苦しむのは怖いだろう? そうして愛いモノが巻き込まれ、目の前で朽ち行く様を見届けるのは、なんとも辛かろう」

 私の周囲はうごめく"念"に囲われているというのに、いたわるような柔い囁きが、妙にはっきりと響いている。

「彩愛。関係を断てとは言わん。だがこれ以上、深入りするべきではない。こうして俺の我儘に付き合ってくれた美しく心優しいその方が、涙にぬれ傷つく姿を見たくはない」

 ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返していた子狐ちゃんの息が、すっと引いていく気配。

「やっ……」

 原因は私を取り巻くこの"念"だと言っていた。
 なら、この子をここに横たえて私が離れれば。

(――だめ)

 私が離れたところで、この子はきっと力の限りついて来ようとする。
 だってこの子は雅弥が"私"につけた、式だから。
 悔しさに奥歯を噛む。
 守れない。守りたいのに、何もできない。

 ……何もできない?

(――本当に?)

「……っ!」

 衝動に、私は駆け出した。
 子狐ちゃんを落とさないよう胸に抱きかかえ、力の限り、必死に走る。

「何をしている? 気でも触れたか?」

 投げかけられた失礼な問いに、私は顔も向けずに全力で駆けながら、

「ちがう! "念"を薄めるの!」

 この"念"はもともと私に憑いているわけじゃない。
 壱袈が風を起こして寄りまとめ、私に飛ばしてきたモノ。

(ならこうして走れば、その風で少しは剥がれるんじゃ……!)

 目論見通り、視界を覆っている黒い靄が、徐々に薄まってきた。

「やった……!」

 後ろを振り返るようにして歩を止める。
 瞬間、追ってきた"念"が、再び私を取り囲んだ。

「もう……っ!」

 即座に足を動かす。
 走ればまた、"念"は薄らいできた。

(子狐ちゃんは!?)

 がらんどうな石畳を駆けまわりながら、視線だけを手元に落とす。
 白い身体は未だ力なく目を閉じ横たえたままだけれど、ぽてりと丸みを帯びたそのお腹は先ほどよりも穏やかに上下している。

 ――よかった。
 そう、安堵を覚えたのも束の間。

「考えたな。だが、いつまでもそうしてはいられまい」

「――っ!」

 そんなの、私が一番わかってる。
 開いた口からいくら酸素を取り込もうと、痛む胸はますます圧迫されて、ちっとも楽にならない。
 少しずつ曇りゆく視界。こんなにも無理やり足を動かしているのに、速度が落ちてきているのだと嫌でもわかる。

 喉が渇く。足があつい。
 浮かんだ汗が額を、背を、つたい流れ落ちていく。

(なにか、他の手を考えないと……っ!)

「もう、良いではないか」

 呆れを含んだ声が耳をさす。

「その狐は所詮、式のひとつ。いくら愛くるしい見目みめをしていようと、それは仮初かりそめの器だ。実体のないモノのために、なぜそこまで身を費やす」

 流れる視界の端で、壱袈が首を傾げる。

「それとも、それほどまでに己の無力を認めたくはないと?」

「――そんなの、とっくに知ってる!」

「ならば、そこまでにその狐が気に入ったのか? ならばそのひとつが破れたとて、また雅弥に新しい式を望めば――」

「それじゃだめ!」

 そうじゃない。
 雅弥の"式"である子狐ちゃんが、他にもいるのなんて知っている。
 けれど今、この掌に乗っているのは、この子。

 汗ばむ皮膚から伝わってくる微かな重みも、柔らかな毛並みも、細くか細い吐息だって。
 全部全部、この子のもの。

「――っ」

 視界が黒にのまれていく。足が重い。肺が張り裂けそう。
 でも、止まりたくない。止まるもんか。
 こんなにも、ほんの一瞬で握りつぶせてしまいそうな無防備な身体を、この子は"私"に預けてくれているのだから。

 滲む涙を汗と一緒に腕で拭う。
 大丈夫。しぶとさには、自信がある。

(なにか、"念"を引き剥がす、別の方法……!)

 考えろ。考えなきゃ。なんとしても、守りたいんだから。
 ううん。この子は絶対に、私が守ってみせる。
 だって――。

「わたしが一緒にあげまんじゅう食べたのは、この子なの……っ!」

 刹那。リン、と軽やかな音がした。

 引かれるようにして視線を下げる。
 と、スマホと共にポケットに入っていたはずの鈴が飛び出ていて、駆ける振動に合わせて跳ねている。
 それだけじゃない。

「光って――?」

 はっと脳裏に思考が弾ける。
 "念"はヒトの陰の気。壱袈はそう言っていた。だから同じ"陰"である自分は、祓えずに散らすのだと。
 いつだかの雅弥とカグラちゃんの言葉が駆け抜ける。

 ――この鈴には、お祖母ちゃんの"護り"の気が込められている。

「……っ!」

 イチかバチか。立ち止まりスマホをポケットから引き抜いた私は、鈴を掌に乗せ光を子狐ちゃんの鼻先に寄せた。
 そうだ。しかもこの鈴は、カグラちゃんの力を分けてもらった"護り"の子。
 神は陽。なら――!

「お願いっ! この子を守りたいの!」

 力を貸して……っ!
 そう、叫んだその時。

「なん、と……っ!?」

 壱袈の驚愕が轟く。
 私はというと、声も出せずにいた。
 鈴から発された淡い光。それは私の掌どころか全身を包みこみ、まるで"念"との間に薄い膜が出来たよう。

「こ、れは……?」

 やっとのことで、戸惑いを零した刹那。
 力なく伏せられていた耳がピクリと動き、子狐ちゃんの瞼がゆっくりと開かれた。

「子狐ちゃん……!」

 歓喜の声を上げる私に、子狐ちゃんが顔を起こしてキュウと鳴く。
 そのまま上体を起こそうと前足を踏ん張るも、まだ力が入らないのか、ずるりと滑り伏せてしまった。

「あ、まだ無理しちゃダメだって……!」

 キュウンと鳴くその声は、なんだか申し訳なさそう。
 けれども見上げる顔はすっかり元の様相で、先ほどまでの苦し気な姿は消え失せている。
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