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ぬりかべの餞別

ぬりかべの餞別①

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「これはヒトが何らかの"異変"を感じ取った際、その理由に対象物を思い描き、見えない存在を"知りたい"と願った場合の話だ。あやかし側にも、その特定の人間に姿を見せたいという意志があると、力なくとも"波長"が合い、認識が可能になることがある。アンタの時みたいにな」

 雅弥は不服そうに眉根を寄せ、

「アンタみたいに、それを"きかっけ"として特異を得るのは稀だ。大抵は、そのあやかしだけを認識するに留まる」

「ええと……なんか、ごめんね」

 あーでも、やっとわかった。
 私はもはや懐かしくも感じる、始まりの時を思い起こして、

「だから最初に会ったあの夜、私に"知ろうとするな"って言ってたの。もうちょっとちゃんと説明してくれないと……。あれだけじゃ、なんかカッコつけてるヤバい人だーって思うだけよ」

「なっ……」

 思わずついて出た驚愕を飲み込むようにして、雅弥はコホンとひとつ咳ばらいをすると、

「…………善処する」

 難しい顔で、雅弥がロールケーキを咀嚼する。
 なんだかちょっぴり気落ちしているように見えるけど……。うん、そっとしておいてあげよう。
 ともかく謎は解けたと、私は郭くんに視線を戻す。

「つまりお爺さんは、メモ書きにあった通り、ずっと郭くんに会ってみたいって思い続けていたのね」

「……誰もいないはずなのに、誰かいるような気がしてたって言ってた。でも何か悪さをするでもないから、もしかすると、自分の知っている相手がお化けになって来たのかもって。……僕があやかしだって知って、すごく、驚いてた」

 白玉と餡子をすくった郭くんが、小さく笑む。

「あの人は、あの家で、一人ぼっちだったんだ。でも、それでいいんだって、言ってた。あの家には、あの人の穏やかな温かさと、静かな寂しさが漂っていて……。それが、すごく心地よかった」

 それから郭くんは、あの家でお爺さんと共に生活するようになった。
 一緒に庭の草をむしり、プランターで夏野菜を育て、共に台所に立つ。
 散歩に出かけ、冬には雪をかいて、炬燵に入りながら年の瀬を迎える。

「ずっとずっと、こうしていたいって、思った。……でも、あの人は、年を取っていった。初めて会った時よりも、もっと」

 少しずつ少しずつ、崩れていく抹茶パフェ。
 郭くんは悲し気な瞳で、手を止めた。

「……俺はこの家が好きなんだって、あの人が言ったんだ。死んじゃった奥さんと過ごした、娘が孫を連れてときどき帰ってくるあの家が、自分の"居場所"なんだって。……すごく、急で。どうしたのって訊いたら、自分ももう、そう長くはないだろうからって、笑ってた」

 郭くんの持つスプーンが、小さく揺れる。

「……初めて、あの人がいなくなるってことを考えた。すっごく苦しくて、怖かった。あの人は僕に、せっかく見つけた"家"なのに、残してやれなくてごめんなって、謝った。自分が死んだら、ここは無くなるだろうからって。……その時、気が付いたんだ。僕が本当に"居心地がいい"って思ってたのは、あの家じゃなくって、あの人自身なんだって」

 丸まった手の甲に、ほたりと雫が落ちた。

「……あの人が、大好きだった。あの人の"居場所"を守っていれば、いつか、帰ってきてくれるかもしれないって……そう、思ったんだ。肉体はなくても、ほんの、一瞬だけでも。僕は、僕は……っ」

 ただ、と。
 絞り出すような声が、心をかたどる。

「もういちど、あの人に、会いたかったんだ。会って、"ありがとう"って……"大好き"って、伝えたかった」

 ボロボロと涙を落としながら、郭くんは未練を振り切るようにして、パフェを口に運ぶ。

 ――魂だけでもいい。
 もう一度、ほんの一目だけでも、会えたなら。

 私達は。残されてしまった者は。
 一体いつまで、ありもしない"もしも"を願い続けてしまうのだろう。
 それでも耐え難い胸の痛みを誤魔化して、治癒を時間に委ねて。
 意地でも前を向くと決めたのは、自分自身だから。

「……次に会えた時に、ちゃんと伝えないとね」

 絶対の保証なんてない、いつかの再会を夢見て告げると、郭くんは「……うん」と力強く頷いた。
 ズボンのポケットからあのハンカチを取り出して、乱雑に目元を拭うと、ダージリンを口に含む。
 そしてまた、残り僅かとなったパフェを口に。

「……あの家を出て、よかった。だって、こんなに美味しいモノがあるんだって、知れたから」

 呟く言葉は、まだ、自身の選択を"正しかった"としたいがための、言い聞かせなのかもしれない。
 だからこそ私は、わざと軽い調子で「でしょでしょ?」と笑んで見せる。

「けどね、このパフェだけで満足してちゃダメよ。だって『忘れ傘』のスイーツは、他のもすんごく美味しんだから」

 だからね、と。私はもう一つの再会を胸に描きながら、

「今回は、渉さんと雅弥の"おもてなし"だったでしょ? 今度ここで会えた時は、私が郭くんにご馳走してあげる」

「……いいの?」

「もちろん! あ、でもその代わり、私の話し相手になってもらうから、その覚悟で」

 ね、とちょっと意地悪っぽく両目を細めた私の対面で、雅弥が「アンタはまた……」と額を抑える。
 私は何を今更、と首を傾げて、

「だって雅弥、ハンカチ返してもらうってだけでも、二人で勝手に会うなって言うでしょ?」

「当たり前だ。アンタはあやかしに抗うすべを持たないだろう。そればかりか、そいつらに対して考えが甘すぎる。俺がいてこの有様では、俺の目の届かない場でうっかり連れ去れてもおかしくは……」

「え? 隠世って、"見える"ってだけの私でも行けるの?」

「……昔から、ヒトが隠世に来ることは、あるよ。連れてこられたり、紛れ込んじゃったり、理由はいろいろだけど」

 でも、と。郭くんは悲し気に眉根を寄せて、

「隠世の空気は、ヒトにはあまり、良くないから。あやかしと"契り"を結ばないと、そう長くは、いられない」

「へえ……ってことは、私がもし連れていかれちゃった場合は、急いで戻ってくるか、そのあやかしとなんとしても"契り"? とやらを結べばいいってことね!」

 理解した! と手を打った私に、「だから、どうしてアンタはそう考えが斜め上なんだ……!」と憤る雅弥の声。

「だって、注意すべき事項があるのなら、ちゃんと対応策を知っておかないとだし」

「そもそもまず最優先事項として、危険事に足を突っ込まないよう、振る舞いを正してだな……!」

「だから郭くんとも、『忘れ傘』で会おうって話してるんじゃない。郭くんが私を襲ったり連れ去ったりするとは思えないけど、そうやって雅弥の胃がキリキリしちゃうでしょ?」

「俺の胃の心配をするのなら、あやかしや神と"約束"を結ぶのを止めろ」

「それは無理。だって私の人生は、私が選んでいくモノだし。私がしたいって思ったら、止められるのは私だけなんだから」

「……じゃじゃ馬め」

 歯噛みするような罵倒も、「私をコントロールしたいのなら、上手く乗りこなしてくださーい」と受け流してみせる。
 だってお葉都ちゃんの顔造りも、カグラちゃんの事情も、郭くんとのいつかの再会も。
 相手があやかしだとか神だとかなんて関係なく、全部、私が大切にしたい"約束"だから。

「……確かに、あなたは少し、危ないかもしれない」

「へ?」

「……これ」

 郭くんはそう言って、自身の耳元に手を滑らせた。
 その耳を飾っていたピアスを外し、私へと差し出す。

「……これには、僕の妖力が込められているんだ。あまり強くはないけれど、少しだけ、あなたを守れるかもしれない」

 もらって、と告げる郭くんに、私は戸惑いながら、

「そんな大事なモノ、本当に私に渡しちゃっていいの?」

「……うん。あなたに、受け取ってほしい。……僕もまた、ここであなたと会いたいから」

 向けられた笑みに微かな願いを見つけてしまって、私はその強い瞳に背を押されつつ「ありがとう」と受け取ろうとした。
 刹那。

「本当に渡すつもりか」

「!」

 硬い声に、上げた手を止める。
 見れば雅弥は見定めるような双眸で、郭くんをまっすぐに見据えていた。

 口を挟めない。
 そんな空気を感じ取った私は、場合によってはすぐに助け舟をだそうと準備をしながら、心配を手に郭くんを見遣る。
 けれど郭くんはひるむことなく、決意を帯びた表情で「うん」と頷き、

「……渡しても、いい?」

「……害することが目的でないのなら、俺に止める権利はない」

「……ありがとう」

 ロールケーキを一口放り込んだ雅弥は複雑そうに顔をしかめているけども、どうやら話はまとまったみたい。
 再び私へと向き直った郭くんから、今度こそ「ありがとう」とピアスを受け取った。
 淡い雫のようなそれは、光の角度によって、透明にも青色にも見える。

 ――綺麗。
 私は右耳のピアスを外して、さっそくと受け取ったそれを耳に。

「どう? 似合ってるでしょ?」

 髪を退け尋ねた私に、「……うん。よく、なじんでる」と郭くん。
 私はそうでしょそうでしょと満足に頷いて、

「それにしても、私がちょっと危ないってどういう意味?」

 郭くんは苦笑交じりに口角を上げる。

「……あなたは、そのままでいて。僕は今のあなたに、助られたから」

 郭くんはそっと手を伸ばして、私の耳につけたピアスに触れた。

「……次はきっと、僕があなたを守る」

 それはまるで、未来での再会を誓うかのような。
 だから私もこの先を祈って、「ピアス、大事にするね」と笑みを返した。

 共に願いを乗せた舌状に残る、抹茶の渋みと苺の甘さ。
 彼の誠心が込められたピアスが、"次"を叶えるまでの支えになってくれたなら。
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