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守りたかったのは

守りたかったのは③

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「私はね、いつか大好きな人とまた会えたら、"ちゃんと頑張ったよ"って笑って言いたいの。だから今を全力で楽しもうって決めてる。私の大好きな人は、私の笑った顔が好きな人だったから」

 おばあちゃんが亡くなってから暫くの間、休日は決まっておばあちゃんの家に行った。
 両親には遺品整理と言っていたけど、本当は、ただ寂しさを紛らわせたい一心で。
 そうして一人、耐えがたい喪失感を埋めようとしていた、ある日のことだった。
 寝室の戸棚に隠すようにして収められた、一冊のアルバムを見つけた。

『これ……』

 初めて見る、羽ばたく白い鳥が描かれた表紙。明らかに絵本とは違うそれに興味を惹かれ手に取ると、ずっしりとした重みが掌を沈ませた。
 床に置いて、表紙を開く。刹那、息が止まった。

 ――私だ。

 まだ寝返りも出来ない頃から、数枚ずつ。
 丁寧に貼られた写真はページをめくっていくたび、笑顔の数を増やしていく。

『彩愛ちゃんの笑顔は、世界一の特効薬だねえ』

 私が歳を重ね、愛らしい幼児から"大人"へと外見が変わっても、おばあちゃんは私の笑顔を見つけるたび嬉しそうに笑っては、飽きずにそう繰り返していた。
 いつでも私の幸せを願ってくれる人だった。
 それなのに。私がおばあちゃんの死を受け止められず、塞ぎ込んでしまったら。
 きっとおばあちゃんは、自分が私の笑顔を奪ったのだと、責任を感じてしまう。

 ――そんなの、絶対にダメ。

 そうして目の覚めた思いで悲哀を振り切った私は、おばあちゃんと次に会ったときに、笑ってたくさんの"それから"を話そうと決めた。
 死を思い出に押し込めて、強引に前を向いた。
 大好きな人が大好きだった、私の笑顔を守るために。

「……ねえ」

 私は祈るような心地で、はらはらと雫をこぼす少年の水鏡めいた瞳を見つめた。

「あなたが守るべきものは。守らないといけないのは、本当に、この"家"?」

 少年が瞼を伏せる。
 薄い色の睫毛が上下し、まあるい涙がほろりと落ちた。

「……あの人は、ここは自分の宝物だって言ってた」

「……そう」

「優しい人だった。ここにいていいよって、僕に居場所をくれて……。たくさん話をして、たくさん、教えてくれた。ずっと心が温かくて、ずっと一緒にいたいって、思ってた。……でも」

 苦痛に耐えるようにして、少年が服の裾を強く握る。

「……いつも、僕よりも早起きのあの人が、降りてこなくて。おかしいと思ったから、部屋まで見に行ったんだ。そしたら……もう……」

 きっと彼の脳裏には、過去のその場面が。
 うなだれた頭が、後悔に緩く左右した。

「僕は、気が付けなかった。あの人はたくさん、僕にくれたのに。僕は助けることも、傍で手を握ってあげることも……なにひとつ、出来なかった。なにも返せなかった。だから、だからっ……!」

 少年が顔を上げる。
 赤く色付いた瞼を必死に見開き、すべてが詰まった"家"を見上げた。

「あの人は、自分がいなくなったら、きっとここもなくなるだろうって、僕にいったんだ。だから僕は、ここを守ろうって決めた。……僕は、"通さない"しか出来ないから。あの人に返せるのは、もう、それだけだって」

 でも、本当は。
 少年は開いた自身の掌へと視線を落とし、

「僕はあやかしだから、たくさん、時間がある。ここを出たら、あの人のことも、温かったことも、全部忘れちゃいそうで。……それが一番、怖かった」

 忘れたくない、忘れる筈がないと思っていても、時間というものは気づかない間に『大切な記憶』をもひっそりと連れ去ってしまう。
 覚えがある。だから私は彼に、"大丈夫だよ"なんて言えない。

 ――けれど。
 膝を寄せ、彼と目線を合わせた。
 微かに震える痛ましい掌を、両手で包み込む。

「……この家にこもっていたって、時間は進んでいくの。必死に"思い出"を抱きしめてても、記憶は少しずつ霞んでいく。そうやって少しずつ失くしていって、いつか全部がおぼろげになってしまったら、アナタはきっと、忘れてしまった自分を責めてしまうと思うの。そんなの、悲しすぎる」

 下から覗き込むようにして、少年の顔を伺い見る。
 驚いたようにして顔を跳ね上げた彼に、私は柔く笑んでみせた。

「私ね、後悔のない"お別れ"なんてないんじゃないかなって思ってて。その人が大切であればあるほど、きっとたくさんの"ああしていれば"が出てくる。私だって、考えだしたらキリがないもの。その人との思い出を失うたびに、どうして忘れちゃったんだろうって、自分が嫌になるし」

「……なら、どうしてあなたは、そうやって笑えるの?」

「私はね、忘れてしまった分だけ、"いつか"のお土産話が出来たなって思うことにしてるから」

「……いつかの、お土産話……?」

 そう、お土産話、と。
 首肯した私は言葉を重ねる。

「立ち止まっていたら、失うだけでしょ? でも、進めば進んだだけ、その人の知らない"私の記録"が生まれるから」

「……っ」

「最初は嘘でもいい。自分を騙しながら進んで、ときどき振り返って。そうやって新しく出会っていく"これから"を、いつかまた会えたその時に話してあげたら、大切なその人は喜んでくれないかな?」

 面食らったような丸い眼が、瞬きを繰り返す。
 刹那、少年はくしゃりと顔を歪め、

「……僕は、ここを出る。だって」

 伏せられた瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
 それはまるで床を飾る、ビー玉のような。

「あの人は、僕の話が好きだって……っ。楽しそうに笑う僕をみていると、嬉しい気持ちになれるって……そう、言ってくれたから」

 顔を上げた少年の眼に、決意が帯びる。

「僕はこの家じゃなくて、あの人の"嬉しい"を、増やしにいく」

「……そっか。それならこれからいっぱい、話せることを作っていかないとね」

「……うん」

 とうとう袖口で涙を拭い始めた彼に、「これ、使って」とバッグから取り出したハンカチを差し出す。
 淡い水色のリボンが刺繍された、新垣さんから受け取ったそれとは別のもの。
 少年は当惑したように私の顔とハンカチを交互にみて、それからおずおずと手を伸ばした。

「……ありがとう」

 小さく呟きながら受け取って、目元を覆いながら涙を拭い始める。

(この子も家を出るって行ってくれたし、雅弥にも祓われずにすんだし……)

 これにて一件落着。
 平和的解決でめでたしめでたし――と、言いたいところだけど。

「……この子はこれから、どうなるの?」

 雅弥がこんなにも黙したまま、文句ひとつ挟まずに見守っているなんて、ひょうでも降ってきそうで怖い。
 伺い見るようにして背後に視線を遣ると、雅弥は眉間に不機嫌の谷を作りながら、

「さっき言った通りだ。ヒトへの直接的な被害はなかったとはいえ、コイツは"隠世法度"を破った。隠世において、罪を償わなければならない」

 少年が、「……ごめんなさい。迷惑、かけて」と俯く。
「平気よ」と告げた私を遮るようにして、歩を進めてきた雅弥が少年の眼前に立った。
 何をするのかと思いきや、そのままの姿勢を保ったまま、眼だけで見下ろしてくる。
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